黄金キノコの進化と歴史
ねずみ
第1話 先生はウンダス推しだった。
事前配布されたレジュメを印刷し、飲み物を準備して14時50分を待つ。入室可能時間きっかりにミーティングの参加ボタンを押し、学籍番号とパスワードを入力するといつもの待機室に通された。濃いレンガ色の背景で撮影されたらしい、黄金で装飾されたキノコにも似たアクセサリーの写真が繰り返しパターンで並んでいて、いつもながら派手なデザインだと思う。アクセサリーは幹の反り具合や先端のふくらみが毎回異なっており、どうも授業のたびに写真を撮り直しているらしいのだが、いったい参加者のうち何人が気づいているのだろう。
部屋には既にログインしていた受講者が数人、何かのキャラクターだったり謎の風景だったりポーズを決めた女装自撮りだったり思い思いのアイコンで喋っている。壁紙の話を振ってみたいところだが、あいにく顔なじみの連中――と言っても会ったことはまだないのだが――はいなかった。レポート課題の進捗だとか最近始めたバイトの店長が変わってるだとか適当な話で時間を潰していると、ぱっと画面が切り替わった。
どこまでも続く広大な砂の海と、どこまでも広がる雲ひとつない青い空。この国ではめったに見られない2つが組み合わさったその写真は、先生がかつて留学へ行った際に現地で撮ったものだそうだ。今となっては夢のような、書類ひとつで飛行機に乗って外国へ足を運べた時代。その写真、褪せた薄黄色と突き抜けた青色をくり抜くように、ぽんと人影が現れた。
「アクセサリーは、何のためにあるのでしょう」
今日の授業はその一言から始まった。
『ウンダス文明とフグリス・ヌーブラテス文明の勃興から衰退まで』
殖栗先生の担当する講座は、毎年多くの受講者がいる人気科目だ。自由選択かつ金曜日の7~8限目という月曜1限に次ぐ不人気時間にもかかわらず大教室に入りきらない数の受講希望者が殺到し、抽選に落ちた学生に向けてWEB聴講が準備されていたらしい。
今も動画配信ツールの「参加者」欄は色とりどりのアイコンでにぎわっていて、僕たちが「発言」するコメント欄もなかなかの速度で動いている。
『ファッション』
『好きなものを身に着けるとアガる』
『みんなが着けてるから』
『お守り』
『推しアピール』
『なりたい自分になる』
濁流のような言葉たちを彼女は手慣れたようすで確かめ、いくつかにマークを付けていく。青空に浮かぶ雲のように、白い吹きだしに入ったコメントがポップした。
こうやって取り出した学生の回答を切り口にウンダスやフグリス・ヌーブラテスの文化を掘り下げていくのがいつもの先生の授業なのだが、今日の先生はにこにこ笑うだけで一向に話し出そうとしない。コメント欄の流れが止まり、顔出ししている学生全員が――おそらく全員だろう、先生はそういう人だ――画面に顔を向けるのを待ってから、先生はようやく二言目を発した。
「今回は皆さんが考えてみてください。皆さんなりの答えを中間レポート課題とします」
小窓に映る受講者が一斉にきょとんと目を丸くし、次の瞬間また一斉に豆鉄砲を食った鳩のような顔になった。爆速で流れるチャットへ楽しそうに目を向けて、先生はいたずらが成功した子どものような顔で言葉を続ける。
「ウンダスとフグリス・ヌーブラテスの装飾品について有力とされている説をいくつかと、類似の対象がモチーフにされた美術品・神社の一覧を配布資料にまとめてあります。せっかくですからこの機会に足を運んでみてくださいね」
表現や信仰が自由な国に生まれて幸運でしたね、と先生が笑う。意見そのものについては同感だが、下腹部についているパーツを模したモノを拝みにいけるなんて理由でそう考えているのは日本広しと言えどこの人だけだろう。そんな変人がひょいひょいいても困る。
「課題の提出をもって本日と来週の出席とします。詳細は学内サイトの授業ルームに記載しましたので、各自でご確認ください」
さらっと告げられた追撃にざわめく学生に笑顔で手を振って、共有画面がいつもの黄金キノコに切り替わった。ホスト欄に先生のマイクと小窓は残っているから、時間いっぱいはミーティングルームに待機するつもりなのだろう。
新しい情報が増える可能性を考えて授業配信には繋いだままビデオ共有だけ外し、授業ルームとドキュメントアプリを立ち上げる。レポートの期限と条件を確かめて、主張の大枠を組み上げていく。
先生は授業初回で触れたのみだったが、ウンダス文明とフグリス・ヌーブラテス文明の出土品には大きな違いがある。ウンダス遺跡で見つかる黄金キノコはひとつとして同じ形はないが、フグユーの遺跡ではそっくり同じ形のキノコが複数発掘されているのだ。この"そっくり同じもの"を作る技術――鋳型の発明が、よく似た2つの文明の境とされている。
男性がプロポーズとして女性に贈っていた男の唯一無二の部位が、鋳型の発明によって結婚指輪のような双方が持つ夫婦の契りの証に変わったのではないか。
今回はこれで行くことにして、スマホの乗換案内アプリに駅名を打ち込んだ。有力説が資料提示されている以上、今回求められているのはフィールドワークだろう。かつてユーラユラ大陸で栄えたウンダスとその文化を引き継いだフグヌーの人々が生命創造の半分を担う器官へ抱いていた想いの一端を、おれたちにも味わってほしいのかもしれない。
外出する人が少ないとはいえ、写真を撮ることを考えるとより人が少ないだろう平日に済ませるのが気が楽だ。そう判断して配信アプリから退室し、コートとサイフを引っ張り出した。
石造りの鳥居に、落ち着いた色の社殿。白いのぼりには達筆で社名が書かれ、上部にマツタケのような絵が添えられている。境内にはよく似た意匠の石像がいくつも並んでいて、首のところにしめ縄を巻かれたそのどれもが、幾多の人の手で撫でられて黒光りしている。
たままら神社。家から電車で20分ほどのところにある小さな神社だ。年に一度のたままら祭は多くの人でにぎわい、普段もそこそこ参拝客が来るはずなのだが、例の疫病の影響か閑散としていた。のぼりや石像の写真を撮りながら境内を散策し、目当ての人物に声を掛けた。
「じいちゃん!」
箒で参道を掃いていたじいちゃん――たままら神社の神主が振り向いて、大きく手を振ってくれる。
「おー! よく来たなあ、
「外で調べ物をする課題が出たんだ」
「そうかあ、猛はえらいなあ。飴ちゃん食うか?」
にこにこ顔のじいちゃんが袂からピンクの棒飴を出しておれにくれる。そそり立つご神体を模したたままら飴は、小さい頃からの大好物だ。
「ありがとう、帰りに食べるよ。いま食べると夕飯入らなくなるからさ」
「そうじゃな。久しぶりに猛が来る言うんで、ばあさんもカキ鍋つくって楽しみにしとるよ。たくさん食ってってな」
「いいね、楽しみ」
えのき、エリンギ、ぶなしめじ。キノコがたっぷり入ったばあちゃんのカキ鍋は絶品なのだ。
出汁がしみ込んだキノコとぷりぷりのカキを腹いっぱい食べて、おれを座らせようとするじいちゃんから洗い物を取り上げて。番茶を3人ですすりながら、課題に取り掛かることにした。
「なあじいちゃん、たままら様は夫婦の神様なんだよな?」
「猛はよく勉強しとるのう。そのとおり、うちの神社は男神のタママラヒコノカミと女神のタママラヒメノカミを祀っておる。」
「ならさ、なんでご神体はヒコノカミ様のほうだけなんだ?」
棒に見立てた湯呑みに手で先のふくらんだ円筒形をつくって訊いてみる。
「あの形はヒコノカミ様のモノじゃが、ヒメノカミ様のモノでもあるんじゃよ」
ヒメノカミ様、ついてんのか?
疑問が顔に出ていたのか、じいちゃんはかみ砕いて話してくれる。
「猛はたままら祭でご神体に何をするか覚えておるな?」
「うん。またがって後ろ向きに滑り降りるんだよね」
「そうじゃ。よく覚えているのう、さすが猛」
じいちゃんはうんうん頷いておれの頭を撫でる。小さい子に戻ったようで少しくすぐったい。
「だがな、大昔のたままら祭では、違う祀り方をしておったんじゃ」
じいちゃん曰く、昔のたままら祭ではご神体像はもっと小さく、先端を咥えてしゃぶるものだったたらしい。たままら様に良い気を注いでいただくことで、健康や子宝を願ったのだそうだ。
「その名残がたままら飴でな。中に練乳が入っとるじゃろ? 神社の井戸水を飲ませて育った牛の乳で作っておる」
あれ白濁ネタじゃなかったのか。
「ヒメノカミ様の
「借りる」
「わしらから悪い気を吸い出してくださるときは、ヒコノカミ様もヒメノカミ様の聖所をお借りなさるしのう」
「そうなんだ……」
「そっちの祭は隣町のぬれぼぼ神社でやっとる」
「きょうだい神社だったの!?」
さすが世界に誇るHENTAIの国、千年前からTSに目覚めて神事にしていたとは。フグヌーの類似文化として紹介するつもりが完全に主役を食ってしまう。
「どうじゃ、猛の勉強には使えそうか?」
「あ、うん、ありがとじいちゃん……」
「書けたらじいちゃんにも読ませてくれな」
「わかった送るね……」
殖栗先生、本論より強烈な参考事例でも怒らないかな……。
色んな意味で後に引けなくなったおれの渾身のレポートは期限ギリギリに提出され、先生から個別チャットで呼び出されたおれは爆笑と共に優評価をゲットした。
黄金キノコの進化と歴史 ねずみ @petegene
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