忌むべき望郷

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 友人が、自分にとっての望郷を教えてくれた。私に向けられたものでは無かったけれど、それでも私が十分に理解できるように教えてくれた。故郷に馳せる想いは人それぞれ。なのに、彼女もまた私と同じで、地元の自然に呼ばれて振り返ってしまった人だった。僻地から街に出た人間はみんな、こんな思いをするのだろうか。


 私が住む街は、中心街から離れていて市内で唯一、地下鉄とJRの無い区。近所は山と木で囲まれているから、寒くなると狐がよく家の近くを歩いている。熊はまだみていない。社会人になり、満を持して中心街で一人暮らしをして、やんごとなき事情で半年もしないうちに忌まわしい地元へ帰ってきた。灰になっていたので、自分を立て直すために簡単なことを何かやろうと思い立った私は、実家の近くを散歩することにした。とにかく助かりたくて、藁にもすがる思いだった。外に出て陽を浴びるとメンタルに良いらしい。そして、常に好きな音楽を聴きながら移動する私だったが、デジタルデトックスなる言葉を思い出して、どうせすぐ戻ってくるし、と思いながらスマホを家に置いて外出した。


 実家を出てから近所を散歩するのは久しぶりだった。普段あまり通らない場所を歩こうと思い、山に面している区の端に沿って歩いた。音楽を聴きながら歩くのが常だったから、静かだなぁと改めて思った。

その時に聞こえた。山に生えている木々の間を風が通り抜けて、それに揺られた木の葉と枝が触れ合った。人工的には絶対に出すことができないような、決して一点から鳴っているわけではないような、コンサートホールで数十本の弦楽器が一斉に弓を引いたような音。こんなにたくさんの場所から同じ音が鳴っているのに、決してうるさく耳障りに感じることがない音に呼ばれて、思わず立ち止まって音がした方向を振り返る。見ると、木々が揺れ動いて、葉に太陽の光が当たったり当たらなくなったりして、海ができていた。私は長らく住み慣れた地元の自然を目で知ることはあっても、耳で聞いて知ることが今まで無かったことに気付いた。


 あんなに喧騒に焦がれていたのに、ビルのない広い空、毎時間変わる空気の匂い、木々の音が聞こえてしまうほどの静けさ、壁のように囲む木々だけが私を魅了した。プライドも生活も仕事も全部捨てて地元に帰ってきて、悔しくてたまらなかった。あんなに忌々しいと思っていた地元が、こんなに綺麗を運んでくることも、許せなかった。もう刺激的な場所では絶対に生きられない、理想の自分を捨てるしかない、と悟った。まだ悔しいと思い続けている。


 友人の望郷はそんな自分の虚しさ、悔しさ、忌々しさを辿るようなものだった。一緒にそれを辿りながら涙が出そうになった。私より幼い友人がこんなに気持ちを揺さぶられてしまうことも、自分が同じ望郷を辿って未だ笑い話として語れないことも、つらく思えて仕方がなかった。

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忌むべき望郷 🐯 @00_sogno

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