【Ambush】

 次日の朝、海斗がいつものように駐車場に着き、割り当ての場所にめると、香苗がいつも置いている奥まった場所に目を向けた。


『あ…れ? まだ、来てないのか』


 前日に香苗に会うことが叶わなかった海斗は、香苗の車が無い空間に向かって、思わず言葉をこぼしてしまう。


(なんだよ…もう少しだけ待つか)


 いつもの様にツナギに着替えると、助手席に転がしている電子タバコを掴み、リフィルを詰め込んでスイッチをいれる。


 加熱完了を待つ時間にすら、不安といらつきが混ざり合い増長していく。右手の人差し指が、ひざを勝手に何回も叩く。


 完了の振動が来ると、たまらずいそぎ大きく吸い込む。少しだけ開けた窓に向かって強く吐き出すと、そとに出た水蒸気は空気にただよい、すぐに消えた。


(香苗と、もう、会えない…?)


 消えゆく水蒸気を眺め、そう思いこんだ海斗は、更に焦燥感にられる。それを理性で押さえ込みながら、1本分の電子タバコを吸い終わるも、香苗の車は現れない。


『…なんで!なんなんだよ!』


 思わずハンドルにこぶしを叩きつけながら、海斗は怒鳴どなる。


(頼む……)


 ハンドルにもたれながらも、出勤時間が迫り、海斗はまた重い足取りで、会社へと向かった。


 持ち前の外面そとづらで業務をこなす。予約の修理を後輩へ指導をしながら、突然入る修理にすぐさま対応する。


 妻が用意してくれた弁当を昼休憩に食べ、少し目をつむり、また午後の業務に向かう。帰りには適当に日報を書き上げる。


 いつもの事を過ごすだけ。そして、香苗を逃すまいと駐車場へといそいで戻る。


 だが、白い車があるばかりで、香苗の影は現れない。


 焦る海斗が、香苗にLINEを入れるも、いつの間にか既読が付くばかりで返事はない。


(見てはいるのに、返してこない……?)


 強まりゆく独占欲と焦燥感で、海斗の胸中きょうちゅうは不安に支配されていた。


『俺、けられてる…よな……?』


 確実に、香苗は自分をけている。そう確信すると、後悔と不安で頭がめ尽くされ、海斗は自分を責めた。


 間違った事はしていないのに、香苗を傷つけた。


 そう思うことすら、社会では間違っているのに。


 いとしく思ってしまう人に、悲しい顔をさせた。


 それが事実だ。


 海斗は八つ当たりに、うなり声をあげながら、ハンドルを叩く事しかできなかった。


 2週間後。


 午後8時。


 フレックス制には慣れたが、同僚との業務引き継ぎが上手くいかない香苗は、顔から疲労を隠すことが出来ていない。


 慣れない仕事に、書類が少しずつ蓄積されていくが、事務負担を減らすための働き方改革という名目で提案した以上、残業をするわけにもいかない。


 同僚への伝達メモだけを残して会社を後にし、駐車場へと、なんとか身体を引きっていく。


(ああ、なんでこんな面倒な事を仕掛けてしまったんだろう)


 海斗に会いたくないという一心いっしんだったとはいえ、いまだに慣れない体制は、香苗の負担になっていた。


(まあ慣れて、やり方さえ確立できれば……)


 そんな事を考えながら自車を目指して歩くと、いつもは空いている隣に、青い車が停まっているのが見えた。


 最初に海斗に出会った時の、車の配置。遠目から見えるその運転席には、あの時と違い、動く人影が見える。


「嘘でしょ……」


 思わずつぶやいた香苗は、その瞬間から、頭の中でグルグルと思考が飛び交う。


(今更、顔を合わせるなんて無理)


 相手から見えない位置で立ち止まり、なんとか遭遇そうぐうしない方法を考えるが、どうしても答えは出ない。


(さっさと乗って、出ればいいか)


 そう腹をくくって、香苗は自車に近付く。もうすぐドアに手がかかるという所で、予想通り、青い車の運転席から人影が勢いよく降り、香苗に声をかけた。


『香苗!』


 その人影、海斗が、少しの安堵あんどを混ぜた声で香苗に近づいていく。


『久しぶり』


 声をかける海斗に答えず、目を合わせず、香苗は運転席のドアを開けようとした。


『なあ、待ってくれ!』


 香苗をのがすまいと、海斗は運転席のドアを開けられないように押さえ、必死に香苗の腕を掴む。


「痛い」


『あ、すまん…』


 パッと腕を離す海斗に、ため息をつきながら観念かんねんし、海斗の顔を見ないように、香苗は話し始める。


「こんな時間まで待ってたの?」


『だってお前、全然会えないし、連絡も返さないし……』


「仕事の時間が変わったの。仕方ないでしょ」


『だからって、連絡くらい! 既読無視ばかりで!』


「海斗は、ご家族と連絡が取れれば、十分でしょう?」


 目を合わせず、冷たく言い放つ香苗に、海斗の表情は暗くなる。


『そうじゃねぇだろ…』


「貴方の幸せの邪魔はしたくないって言ったわよね、私。こんな時間まで家に帰らないなんて、良くない事だわ」


『そうじゃない』


「何がよ」


『なんで、そんな事言うんだよ』


「本当の事だから」


 海斗がキッと香苗を睨み、唇をかみしめて、続ける。


『じゃあ……じゃあ!なんであの時、お前は泣きそうだったんだよ!』


 顔を向けることなく、香苗が横目でチラリと海斗を見る。


「あの時って?」


『この前、モールで…』


「知らないわ、人違いじゃない?」


 明らかにしらばっくれる香苗に、海斗は下を向き、肩を震わせる。


『あれは、お前だった…! 間違えてない…俺が、香苗を、見間違みまちがえるはずがないんだ……!』


「知らないと言ってるでしょう?」


『悲しそうだった!泣きそうだった!そんな香苗は、見たことが無かった!俺が…俺がそうさせた……!』


 またひとつ、大きくため息をつくと、香苗は口を開く。


「そうね、暖かくて、幸せそうだったわ」


『やっぱり……そうじゃねぇか……』


「見てるこっちが泣きじゃくるくらい、幸せそうだった。とても安心したわ、これからもそうしてね」


 驚いた海斗が顔をあげると、香苗の、静かにあざける横顔が見えた。


 この顔は、誰に向けてのものなのかと、海斗がゆっくりと顔を横に振る。


『お前、なんで、そんな顔してるんだ……?』


「はい、そういう事で。疲れてるから帰るわ。心配かけないように、海斗も、早くおうちに帰らないとね? ねえ、パパ?」


 苦しそうな表情の海斗に、香苗はからかう口調で、しかし冷たく言い放った。

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