【Passing:side cigar】

 土曜日 午前7時。


 珍しく土曜日に休みが取れたが、いつも仕事で起きる時間を少し過ぎたあたりで目が覚めた。


 もう少し寝ていたいとも思うが、はらが減ってきて、どうも寝付ねつくことが出来ない。


『あー…起きるか…』


 小さく独り言を漏らすと、隣でまだ寝ている妻と娘を起こさないよう、静かにキッチンへと向かう。


 玉子を3つ取り出し、熱したフライパンへと割り入れる。ふたをして放置し、その間に3枚の食パンにマーガリンを塗り始める。その上にハムでも乗せておき、焼くばかりにして並べておく。


 良い頃かとフライパンの蓋を開けると、好みの半熟になっている。早速、皿に取り出したそれをテーブルに置きながら、二人を起こした方が良いかなと思い立つ。


 寝室をのぞきに行くが、すやすやと気持ちよさそうに寝ている妻と娘の顔を見ると、まだ寝かせてやりたい気持ちが湧いてきた。


 静かにキッチンへと戻り、トースターに1枚だけ食パンをいれてツマミを回し、焼きあがった目玉焼きを1人分だけ別皿に取り分ける。


 続けてコーヒーをれていれば、トースターがチンと音を立て、焼き上がりを知らせてきた。


 いただきます、と律儀りちぎに手を合わせ、1人でモソモソと食べ始める。少し淋しい反面、静かな安堵感も生まれる。この複雑な気持ちを、熱いブラックコーヒーで流し込んだ。


 食べ終わって一息つけば、今度は煙が恋しくなる。電子タバコにリフィルを詰め、スイッチを入れながら、小さな縁側えんがわへと出た。


 良く晴れ渡った空は、気持ちの良い背伸びを促してくる。


『今日、何しようかなぁ…』


 週で一番忙しく、いつもは休む事がない曜日。会社の定休日の他に指定休がとれるが、たまたま同僚がシフト変更を申し出て、休みを交換した。


『土曜日って、何していいか分かんねぇなぁ』


 慣れない休みに、電子タバコを吸いながら考えを巡らす。


 そう言えば、土日、香苗に会うことはほぼ無い。ごくたまに土曜日の朝に見かけるが〝休日出勤なのよね〟と言われる。


 香苗は週末休みなんだなと、思いを巡らしながら大きく電子タバコを吸い、ハッとする。


(家にいるのに、香苗の事考えちゃダメだろ…)


 振り切るようにまた一口、大きく電子タバコを吸う。青空に向かって思い切り吐き出すと、多少は気持ちが落ち着いた。


 吸い終わって家の中に入ると、娘が目をこすりながら起きて来ていた。


〝おはよう!朝ごはんあるよ。食べるか?〟と聞くと

〝パパぁ、おはようございます~。食べたぁい~〟と、まだ眠そうな声で返事がきた。


 先程さきほど用意していた食パンをトーストし、作った目玉焼きと、冷蔵庫にあった常備菜を取り分けて温め直し、コップにミルクを注いでやる。


 イスに座って足をプラプラさせながら、まだまだ眠そうな顔で食べを娘を見ると、ふと思いつく。〝今日な、パパ、お休みなんだ。一緒にどこかに行くか?〟とたずねてみる。


 娘が急に目をキラキラさせ〝あのねあのね!お買い物!〟と、元気な返事が来た。聞けば、友達の間でビーズでアクセサリーを作る事が流行はやっているらしく、キットが欲しいとの事。


 スマホで軽く調べれば、それほど高いものでもない。たまには買ってやるのもいいかと思うが、どの売り場にあるのかと、唸るような独り言を出して悩む。


〝おはよ。あたしも一緒に行こうか?〟と、いつの間にか起きてきていた妻が、後ろから声を掛けてきた。


〝おはよ!おお、頼むわ!それなら、ランチもいいよな!〟と、話は着々と決まっていった。


 午前11時40分。


 家族水入らずでと、近所では一番大きいショッピングモールに到着した。


 いつも休みの日に居ない父親と出掛ける事ができ、欲しかったものも買ってもらえるとあって、娘は後部座席ではしゃぎっきりだ。


 妻は〝ちゃんと大人しくしてないと、買ってあげないよー〟と言うが、まるで効果はない。


 先に昼食を食べてから、おもちゃ屋に行こうかと言うと、レストランエリアの方に車を走らせた。


 車を停めて後部座席のドアのロックを解除すると、案の定、飛ぶように降りた娘ははしゃぎ回り、今にも走り出しそうだ。


 すかさず妻が手を繋いで〝転ぶよ!迷子になるよ!〟と注意をしている。


 外通路そとつうろを歩き、小洒落こじゃれたカフェの横にレストランエリアの案内板がある事を思い出す。そこで店を選ぼうと、妻と娘を連れていった。


 案内板の前に着くと、予想外に娘が〝わぁぁ!このお店オシャレー!ここにするー!〟と、またはしゃぎ出す。


 小学生にもなると、大人に憧れて背伸びしたくなるんだろうかと思いつつも、そのカフェに、はしゃぎすぎる娘を入れるわけにはいかない。


 言い聞かせようと笑顔で娘の横にしゃがみ、カフェを指さして〝ここは、おまえが中学生にならないと入れない所な。今はまだダメ~〟と言うと、娘は残念そうにしながらも〝じゃ、おまけがついてるお子様ランチあるとこ!〟と言う。


 やれやれと立ち上がり、カフェの中の方を向いた瞬間


『香苗…!』


 呟きかけて、言葉を飲み込む。


 いつも頭のどこかにいるその姿が、ガラスをへだてて、目の前にいた。


 驚き、悲しそうな顔の香苗と、一瞬だけ目が合う。


 香苗はすぐにメニュー表に視線を落とした。こちらの状況を悟り、他人の振りをしているのだろう。メニューを持つ手が、少しだけ震えているのが見えた。


 案内板を見ながら〝お子様ランチ食べられるところ、どこかな?〟と、妻が娘に話しかけるのが聞こえ、ハッとして、すぐさま笑顔を貼りつけ直す。


 そして、案内板の別の場所を指差して〝ここ、たしか、お子様ランチがあるはずだよ、行こうか〟と、少し遠くの、ファミリー向けのレストランの方に促した。


〝あっちだよ〟と指さすと、妻と娘が歩き出す。自分でも歩き出す前に、チラリと香苗の方を見た。


 相変わらずメニューを選んでいるようだったが、目線はうつろで、今にも泣くのをこらえているように見えた。


(どうして、香苗があんな顔をしてるんだ…?)


 いつも、家族を大事にしろと言う香苗が、なぜあんなに打ちひしがれているのか。


 香苗は、割り切っていたんじゃないのか?


(そんなわけ、ない、のか…?)


 俺たちは、たった1回だけの間違いだとしても、心も身体も重ね合った。


 情が、恋心が、生まれないわけがない。


 俺だけじゃない。香苗も、自分を抑えて居たのか。抑えた上で、俺の幸せを、願っていてくれたのか。


(今更、気付いても…!)


 俺は、香苗を傷つけてしまったかもしれない。しかしどうにもならない。


 間違っているのは、俺と香苗の関係だ。


(俺はどうしたら…?)


 香苗にとっての〝灯り〟でいるには、どうすればいいのか。


〝友達〟なんて、建前でしかない。


 答えの出ない思考のまま、とにかく、香苗の視界から立ち去ってやらなくてはと思う。


 娘の手を繋ぎ直し、少しでも遠くへと、歩き出すことしか出来なかった。

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