【Witness:side cigarette】

 土曜日 午前11時。


 月に1度通っている病院から処方箋しょほうせんを受け取り、すぐ隣の薬局へと歩く。


 自動ドアを入り、笑顔で挨拶をしてくる薬剤師に処方箋とお薬手帳を渡し、いている椅子に腰掛けた。


(なんでこんなに厄介な身体からだなのよ…)


 考えたくもないのに、薬を待つ間は、いつも余計な事が頭に浮かんでしまう。


 ニュース記事でも眺めようと、バッグからスマホを取り出した。


 流行っている便利グッズの紹介、SNSで話題の記事、スポーツ選手のインタビュー集。


(本当に、どうでもいいわ)


 興味が無い記事が並ぶ中で、ある芸能人の電撃結婚の記事が視界に入ってきた。


「結婚ね…」


 周りには聞こえない小さい声で、抑揚なく言葉が漏れてしまった。


(そういえば、私にだってそんな話もあったわね……今となっては、どうでもいい事だけど)


 昔を思い出し、一瞬だけ胸が苦しくなるが、心を凍らせて壁を作る。


 そんな事でしか、おのれたもすべを知らない。


 背中を伸ばしながら大きく息を吸い込み、ニュース画面をさっさと閉じてスマホを仕舞しまう。深く息を吐き出して目を閉じ、膝に乗せたバッグにうずくまった。


(気分転換に、デザートも付けちゃおうかな)


 近くのショッピングモール内にある、お気に入りのカフェで昼食をとるのが、通院の日の唯一の楽しみだ。そんな風に楽しみを作らなければ、こんな面倒な事、やってはいられない。


 しばらくつと、女性のほがらかに通る声で、受付番号と名前を呼ばれた。


 仕切られたカウンターに立てば、いつもの薬、いつもの説明、いつもの会計。お決まりの儀式のようなそれらが終わると、さっさと自車へと戻った。


 運転席に入り込み、ケースをから煙草を取り出して1本咥え、火を付ける。エンジンのキーを回し、数センチほど窓を開けながら、アクセルを踏み込む。


 本当は治療の上で、医者から煙草を止められている。禁煙しなければ薬を出せないとも言われるが〝もう吸っていませんし〟と言い張っている。


(まあ、これでも減らした方なんだけどね)


 言い訳を思い浮かべながら、窓から入り込んでくる涼やかな風を感じながら、10分ほど車を走らせる。


 左手にショッピングモールが見えてくると、そのままハンドルを切って、だだっ広い駐車場を走らせる。


 レストランエリアに近い場所に車を停めて降りながら、季節限定メニューは出たかなと頭を切り替える。かすかに顔がゆるむのが、自分でも解った。


 モール内に入るが、お昼時にも関わらず思ったよりも人が少ない。むしろ好都合とばかりに、レストランエリアの慣れた通路を颯爽と、いつものカフェへと歩く。


 カフェの入口に立てばすぐに、白シャツに黒エプロンの清潔感のある店員が近づいてきて、いつもと同じように、外が眺められる一人席へと案内してくれる。


(すっかり覚えられちゃってるわね)


 余計な事は何も聞かれず、一番好みの席に案内される事に安堵感あんどかんを覚える。


 おしぼりと水を置かれ、それを飲みながら置いてあるメニュー表を開くと、一番最初に季節限定パスタの案内が差し込まれている。


 これのサラダセットにしようと決めてしまうと、呼び出しボタンを押し、店員に注文を伝える。


(デザートも選んでおこうかな、さっぱりしたのが食べたいし)


 再度メニューを開きながら、何となく外を眺める。すると、楽しそうに歩いている家族連れが視界に入ってきた。


 母親らしき人は、今にも走り出しそうな小学低学年くらいの女の子の手を繋ぎ、走らせまいとしている。


 父親らしき人は、そんな女の子に目線を合わせるようにしゃがみ、目尻に皺を作って笑顔で話しかけている。


 よくある、幸せそうな家庭のお出かけの場面。いつもなら、微笑ましいなと思うだけ。


 それだけのはずなのに。


「海斗……」


 声にならないほどのかすれた音が、口から出てしまった。


 海斗はこちらのカフェを指差し、子供に向かって何かを話している。


 私の知らない顔の海斗。


 〝父親〟〝夫〟の海斗。


 そんな海斗が、目の前にいる。


 その幸せそうな光景が、嫌でも目に焼き付いた。


 海斗が立ち上がりながら、カフェの中の方を向いた瞬間、ガラス越しに目が合った。


 すぐさま目を逸らしてメニューを見るが、海斗が大きく目を見開いているのが分かった。


 そのまま〝私は赤の他人です〟というように、内容が入ってこないデザートのページを眺め続ける。


 それしか、できなかった。


 向こうには分からないよう、チラリと窓の外を見る。


 海斗は、ぎこちない笑顔を貼り付けたまま、別の場所を指差しながら子供の手を繋ぎ直し、奥さんらしき女性を案内しながら、歩いていった。


 その時、海斗が少しだけこちらを見たような気もするが、気が付かない振りをするしかない。


 メニューを持つ手がかすかに震え、デザートを選ぶ余裕など無くなっていた。今から来る食事すら、食べる気になれない。


(分かりきってる事じゃない。自分でも、海斗にそう言ってるじゃない)


 自分にそう言い聞かせ、いつもの様に心を凍らせたいのに、頭が、胸が、言うことを聞かない。


(なんでこんなに……こんなに……苦しくならなきゃいけないのよ!)


 久しぶりに目に浮かんでくる、うっすらとした涙を、目をこする振りをしながら拭う。


(なんで、どうして、こんなに……ああ、私は、本当に馬鹿だ)


 水と一緒に置かれたおしぼりの袋を開け、メイクも気にせずに目を押さえる。周りに見られるのだけは絶対に許せなかった。


 鼻の奥のツンとした痛みが引いていくと、涙が出る感覚も引いていく。


 落ち着いたのを見計らっておしぼりを目から離すと、トレーに料理を乗せて運ぶ店員が、心配顔でこちらに歩いてきた。


 急に目が痒くなっちゃって、大丈夫ですよ!と、わざと明るく嘘を言うと、店員はホッとしたように目の前に料理を置いた。


 店員が去るのを見届けてから食べ始めるが、味など感じることは無かった。それより、煙草が無性に恋しくなる。


 機械的に口に運び、咀嚼そしゃくして飲み込むだけの作業を淡々とすすめ、伝票を持ってレジへと急ぐ。すぐに会計を済ませると、逃げ込む様に車に戻った。


 すぐさま運転席に乗り込み、ケースを開けるのももどかしく、煙草を1本咥えて火をつける。


 大きく1口吸い込み、ハンドルを抱えるようにうずくまる。下を向いて紫煙を吐くと、そのまま嗚咽も出てしまい、止まらなくなった。


「海斗…海斗…」


 〝あかり〟のはずのその人の名前を、泣きながら呼び続けても、何も起こることは無かった。

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