【Empty】

それぞれの煙草を吸い終えると、二人は部屋へと戻って行った。


歌おうと曲を選び出すが、気まずい雰囲気が二人の間を流れた。無理やり作る上辺うわべだけの会話は、元の盛り上がりを取り戻せないでいる。


重くなる空気に耐えられず、海斗が口火くちびを切った。


『なあ、悪かったよ』


あえてデンモクから目を離すことなく、香苗が答える。


「なにが?」


苦しそうに顔をしかめる海斗が、食い下がる。


『さっき、さ』


「んー、別に……あ、ねえ、この曲、懐かしくない?これ歌う?」


海斗が、デンモクを操作する香苗の手首を軽く掴んだ。


『話、らさないでくれ。違うんだよ、さっき聞いたのはそういう事じゃなくて』


香苗は短い溜息をつき、微かに眉間に皺を寄せながら、そっと手を離し、海斗に顔を向けた。


「なに?」


『今日のな、お前がさ、いつもとあまりにも違いすぎた』


「仕事中なんだから、そうもなるでしょ」


『……あまりにも、別人みたいで、不安になった』


「人なんて、そんなもんでしょ。ほら、海斗だって、ものすごくカッコよかったわよ? そういう事じゃない?」


『違う、それとは何か違った』


「何かって、なによ。違うことなんてないわよ」


『……ただ、なんとなく、心配になった』


香苗が拍子抜けした顔で、また、溜め息をつく。海斗はそれでも、更に真剣な顔で続ける。


『あんなに、くるくると別人に入れ替わるようなことなんて……過去に、何かあったのかって思ったんだ 』


「そう、心配してくれたのね、ありがとう。でも特に何もないわよ」


『……俺は、お前のこと、何も知らない』


香苗はやれやれと呆れた顔で、氷が溶けて薄くなったウーロン茶を一口ひとくち飲んだ。


「知ってるじゃない、色々。この前だって……知ったでしょ」


『そうじゃない、そうじゃなくてさ!』


語気を荒げながら、海斗はすっくと立ち上がり、テーブルを挟んで向かい合わせにいた香苗の隣にドカリと座った。


それでも香苗の方を向けず、下を向く海斗を、香苗は無意識に少しだけ距離をあけて座り直し、横目よこめで眺めた。


「もう、なによ?」


『俺はお前に、何も、出来ないのか?』


「は?」


海斗からの予期しない質問に、香苗はさらに眉間に寄せた皺を深くしながら、聞き返した。


『お前の事を何も知らないのに、お前に何かあった時、俺は助けたりできるのか?』


更に突拍子もない海斗の言葉に、香苗は怪訝な表情を浮かべ、聞き返す。


「一体、何を言ってるの?」


『俺は、この前、お前に助けられたよ。何も分からないのに悟ってくれたよな。だから、友達だから、お前に何かあったら、俺もって」


「なるほどね」


『でも俺は、お前の事なにも分からない、悟れない!…ああもう、自分で何言ってるかわかんねぇ……』


海斗は上を向いて、両手で顔を覆う。この仕草で、香苗は海斗がまた自分を追い詰めてる事を悟った。


ふと表情を柔らかくし、香苗は、顔を覆う海斗に向き直った。


「私のなにを知れば、安心するの?」


『安心とか、そうじゃなくて』


「何を知りたいの?何を知れば満足なの?」


『そうじゃないんだ』


「ただ、私の事を知らないって思うのが、悔しいだけでしょう?」


顔を覆っている両手を離して香苗に顔を向け、海斗は不思議そうにした。


『……え?』


「それは独占欲ね、海斗。私の過去まで知らないと、許せないだけよ」


『……ちがう』


「違わないわ」


腹から湧き上がる、複雑に絡む正体不明の感情を抑え、海斗は喉につっかえる言葉を吐き出す。


『ただ、お前のことが、心配に、なって、どうしても、知りたくなっただけで』


「そう」


『独占とか、そんなんじゃ、な……』


香苗は、もう聞きたくないとばかりに、海斗の言葉を遮る。


「わかったわよ」


『わかってない』


「はあ……昼間とは大違いね」


『そういうことじゃない』


「ちょっと、お手洗い行ってくるわ」


『まてよ』


海斗は香苗の手を掴もうとするが、スルリと避けられる。


「すぐ戻るから」


『うん……』


香苗は無表情で立ち上がり、部屋の外へと消えていく。その後ろ姿を見て、海斗はまた両手で顔を覆いながら、うなだれた。


心配という言葉を使い、香苗の全てを知ろうと、踏み込み方を間違えた事。それに気づかず、香苗から指摘された事。


『やっちまった……』


香苗にそんなことをしては、するりと逃げていく。海斗は、それを本能で分かっていながら、いつか別人となって自分の元から居なくなってしまうような焦燥感で、詰め寄ってしまった事を自覚した。


『戻って、くるよな……』


部屋から出た香苗が戻ってこないような気がして、海斗はドアへと顔を向ける。


ソファにもたれ掛かりながら、ため息に似た独り言を、後悔とともに深く深く吐き出した。

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