【Self-deprecation】

 海斗が、バインダーに挟めていた封筒を香苗に渡すと、交換に香苗が、借りていた代車のキーを海斗へ渡した。


「代車、ありがとう」


『まぁ、持っていってるあいだめさせて貰ってたみたいなもんだけどな』


「午前中にね、急に、現場から不足材料を持ってきてって電話あって。少し使わせてもらったわ」


『お、役に立って、なにより』


「工事部長のあの感じなら、またお願いすると思うわ。よろしくね」


『おう、任せろい!・・・今日、何時なんじくらいに仕事終わる?』


「えーと・・・定時には終わるつもりだけど」


『俺も定時に終われそうだからさ、カラオケ行かね?』


「ふふ、いいね。久々に行こうか」


『そんじゃ、後でLINEするよ』


「ん、わかった」


 香苗がいつもの調子で快諾かいだくすると、海斗はニコニコと笑顔を隠すこともなく、貸していた車両に乗り込む。空のバインダーを助手席に置くと、窓を開け、香苗の方を向く。


『それじゃ!またお願いしまーす!』


「こちらこそ、ありがとうございました」


 仕事上の挨拶をすると、お互いに小さく手を振った。


 海斗が乗る車が駐車場から出るのを見届けると、香苗は封筒をきながら、事務所へと戻った。


 総務部の経理担当に、0円請求書が発生した事を告げ、処理をした後の確認を頼むと、自分のデスクに戻る。


 海斗の会社の社名が書かれている白い封筒を開け、クリアファイルに入れられている書類を取り出すと、書類の左上に留められている紙片が目に飛び込んできた。


 ぎこちない笑顔の海斗の写真がプリントされ、〝自動車整備士 里田さとだ 海斗かいと〟と書いてある。


(あ・・・名刺)


 同時に、工事部長と名刺交換していた事を思い出す。


(それなら、これは部長に渡す必要ないわよね)


 そう思うと、何となく鍵のかかる引き出しに、そっと入れた。


(私・・・なんでこんな事してんのかしら)


 LINEも既に交換し、常々つねづね喋ってる相手。〝あんな事〟だってしてしまったし、今日だってカラオケに行く約束をした。


 なのに、こんな名刺ごとき、とても大事にしたくなる。


(バカみたい・・・)


 それでも、そのままゆっくりと引き出しを締め、請求書類の仕分けにかかる。


 経理システムの工事部門をクリックし、支出報告欄を表示させる。項目に車両修理費、金額に0円と入力する。


 請求書と報告書を2枚のクリアファイルで分け、請求書を総務が書類回収しにくる引き出しへ入れておき、報告書を工事部長のデスクへ置いておく。


(楽だわ)


 一体化になっていれば、それぞれ必要箇所をコピーし、保管する手間がある。海斗はそこまで見越して書類を作ったのであろうと、香苗は予想した。


(こういう事・・・周りをつねに考えてるから、あんな風に疲れるのよ、あの人)


 手間が少なくて助かる気持ちと同時に、日常的に考えを巡らしている海斗を、少しだけ心配になった。


(乗り越えられなくなると、ああやって、爆発しちゃうのね・・・)


 香苗は、この前の行為の様子を思い出す。その時の海斗の豹変ぶりに、少しだけ同情を覚えた。


 この前のような事はもうしないとしても、歌うことくらいは、止めちゃいけないだろうと、香苗は自分に言い聞かせる。


(ちがう・・・私の方が、つながっていたいんだわ)


 香苗は仕事中にも関わらず、声を漏らして自嘲した。隣のデスクの同僚が席を立っていて、助かったと思う。


 どんな言い訳をしても、どんなに気持ちがあっても相手は既婚者で、なんともならない。だからこそ、歌う事にかこつけている。


 今までと、何も変わらない。


(今まで、失敗ばっかりじゃない。また繰り返そうとしてるの?私は・・・本当に馬鹿だ。笑いしか出ないわ)


 自分にしかわからない過去と感情を考え、自嘲とも自虐ともつかない笑いをなんとか押し殺し、香苗は仕事へと戻る。


「カラオケ・・・楽しみ・・・」


 自虐心とは反対に、誰にも聞こえないような小さい独り言が、口からすべり出た。


 ・・・


 香苗の会社にて車両返却が終わり、香苗とカラオケの約束をとりつけた海斗は、機嫌良く鼻歌を歌いながら、職場へと戻った。


 会社の数少ない駐車スペースに社用車をめると、そのまま上役部屋うわやくべやへと向かう。ノックをしてから返事が聞こえ、ドアを開けた。


 今後も取引できそうだ、というむねを報告すると、上役うわやくはあからさまに明るい顔になり、海斗の肩を揉む真似をして、上機嫌でねぎらった。


 上役部屋うわやくべやを出た海斗は、午前中に後輩と共にやった仕事の片付けをしに修理場へ向かう。


 事務所の廊下と繋がっている鉄のドアを開けると、既に、後輩が片付けと次の仕事の準備をしている所だった。


 〝おお、ありがとな。流石だなぁ〟と声を掛けると、嬉しそうにする後輩が、〝あの、準備、一緒に確認して貰ってもいいでしょうか?〟と頼んでくる。笑顔で快諾すると、後輩が持っている材料リストを見ながら確認をする。


(俺・・・こういう所は恵まれてるよな・・・)


 調子は良いが信頼出来る上役うわやく、素直で頑張り屋の後輩。噛み合わなかった同僚とは、ぎこちなくも、ちゃんと話せるように元に戻りかけている。


 家に帰れば、愛する妻と可愛い我が子。暖かい家庭がそこにある。


 これで幸せのはず。これが正しいはず。


 幾度となく、海斗が、自分自身に言い聞かせた事。


(もっと・・・求めてるのか、俺は)


 もっともっと、満ち足りたくなる。仕事を利用してまで、一人の女性を知りたくて、繋がりを持とうとしている。


(あわよくば・・・独占したい)


 海斗は、後輩の準備した材料にミスが無いことを確認すると、自分の思考に、今日だけで何回したか解らない自嘲をまた漏らした。


 後輩が自分の方を向き、不思議そうな顔をしているのが視界に入るが、気が付かない振りをする。


(ああ・・・俺は心底、馬鹿野郎なんだ)


 海斗は、自分を卑下するように、心の中で叫んだ。


 後輩に材料リストを返しながら、〝ミス無し!エラいエラい〟と後輩の髪をくしゃくしゃとする。〝やめてくださいよ~〟と楽しそうにする後輩に後を任せ、日報を書きに、修理場から自分のデスクに向かった。


「カラオケ・・・楽しみだな」


 卑下する自分をふっきるように、暗い廊下を歩きながら、独り言を呟いた。

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