【Respect】

 午後3時。


 休憩を終え、書類を入れた封筒をバインダーに挟んで持ち、海斗は事務所から出た。


 〝あ、返しに行く?気をつけて~、先方せんぽうによろしくね~〟と、上役うわやくが声を掛けてくるのに対し、笑顔で軽く返事をする。


 修理場に置いていた、預かった車両に乗り込み、キーを回す。慎重に公道こうどうへと出ると、香苗の会社に向かった。


(香苗に上手く会えるかな……)


 信号待ちをしながら、自然とき出る思考に、海斗はハッとしてしまう。


(本当に駄目だ……仕事中だろうよ)


 その事ばかりを考える自分を出すまいと、気を引き締めるように座り直した。


 15分ほど走らせたさき今朝けさも来た建設会社が見えてくると、その駐車場にゆっくりと車を入らせる。


 今朝、香苗に案内してもらった場所に向かうと、代車として置いてきた自社の車がポツンと見えた。その隣に、乗ってきた返却する車両を停める。


 再度、シフトレバーの動きを確かめる。預かった時よりなめらかな動きに確信を持つと、車から降り、建設会社の入口へと向かった。


 入口カウンターにあるインターホンを押すと、スピーカーから、対応する香苗の声が響いた。途端とたんに嬉しくなる心を押さえ、冷静に挨拶をする。


『お世話になります。お車の返却に参りました』


「お待ちしておりました。今、そちらへ参りますね」


 インターホンでの短いやりとりのあと、パタパタと足音を立てて、香苗が入口のカウンターへと現れた。その後ろに、中年の男性も歩いてくる。


「お待たせしました。お忙しいところ、丁寧に対応してくださってありがとうございます」


『いえいえ、こちらこそ、ご用命ありがとうございます』


 上司であろう男性を前に、くだけた口調ができない香苗は、よそよそしく挨拶をする。それをさっした海斗も、丁寧な口調で返した。


『こちらの者が、今朝、電話させて頂きました車両担当です。一緒に説明をうかがってもよろしいでしょうか?』


「かしこまりました。実際に車両を見て頂くと分かりやすいので、ご移動をお願いします!」


 海斗は営業用の笑顔を崩さず、目の前の二人を車両の元へとうながした。


 香苗と、上司であろう男性が靴を履き替えるのを見届けると、海斗は車両へと向かった。


 その間に、香苗は小走りに海斗へ近寄ちかより、小声こごえで話しかける。


「突然ごめんね、ありがと」


『いやいや、仕事だしな』


「あの人、車両担当って言ったけど、工事部長なの。元々、現場叩き上げだから、技術者が大好きなのよね」


『おっ、じゃ、俺の腕の見せ所だな』


「それ、自分で言っちゃう……?」


『冗談だって』


 少しだけ笑う海斗に、香苗もつられてフフッと笑いを漏らした。


「車を見てもらってる所、対応がルーズでね。部長、苛々いらいらしてたのよね」


『まぁ、故障だと思うと、不安になるもんなぁ』


「すぐ来てくれて助かったし、私的には、海斗の会社が担当になってくれた方が助かるんだけど」


『ん?そう?支障がなければ、うちもその方が嬉しいけどな』


「部長次第しだいね。頼む所、変えてやるー!って言ってたから」


『ほう……。まぁでも取引の関係もあるし、無理はしないでもらいたいけどな』


 遠慮する言葉を放ちつつも、海斗は心の中でニンマリと笑った。


(このままいけば、俺が担当になれる……!)


 またよこしまな考えをする自分にハッとする。


(いやいや、香苗がどうこうじゃなく、会社の売上アップの為だ!引いては俺のボーナス!)


 海斗は、自分にそう言い聞かせた。


 香苗はそのまま海斗から離れ、工事部長が追いつくのを待つ。


 その間に、海斗は車両のロックを開け、封筒を挟んであるバインダーを取り出しておく。小脇こわきに挟みつつ、車両の元に着いた工事部長に、改めて症状と対処の説明を始める。


 シフトレバーを動かしながら、こぼした飲み物やほこりが原因である事、こまめな清掃で防げる事を海斗が説明すると、〝そんな事で、大事になるんだ……〟〝掃除の徹底を周知だな〟と呟きながら、工事部長は真剣に聞く。


 その様子を、香苗はまた、後ろに下がって見ていた。


(やっぱり……海斗って凄い……)


 香苗は、工事部長に物を説明する人をあまり見たことが無い。


 と言うよりも、現場叩き上げがゆえに、言い訳や筋が通っていない事に対してがんとして話を聞かない工事部長に、説明をしたがる人が居ないからだ。


 それを知らずとはいえ、海斗は分かりやすく説明し、工事部長が納得して話を聞いている。


 それだけの事で、香苗には、海斗が凄い人に写っているのだ。


(……尊敬するって、こういう事かしら)


 人に関わらないようにしている香苗には、あまり人にいだかない感情を整理しながら、目の前の二人のやり取りをボーッと眺めた。


 説明が終わり、海斗は〝修理等はしていませんし、今回は料金は頂きませんので……〟と工事部長へと伝える。〝そんなわけにはいかんだろう〟と工事部長が言うのに対し、〝今後も宜しくして頂ければ幸いです〟と海斗が笑顔で答える。


 れとした顔の工事部長が〝そうだなぁ……次も頼むよ。名刺交換して貰えるかい?〟と言い、二人は盛り上がる。


 一連いちれんの流れが終わり、工事部長は香苗に〝すまん、また取引先に行くんだ。あとの事務書類は任せていいかい?〟と言い、去っていった。


『あー、緊張した』


「え、あれで緊張してたの?」


『そりゃあするよ』


「全然そうは見えなかった」


『そうか?はは、良かったよ』


「海斗って……すごいのね……」


『どしたんだよ、今日は。やたらとすごいって連発するなぁ~』


「そう……ね」


 なんとも言えない表情の香苗に、海人はまた嬉しくも、心配になる。話題を変えようと、持っているバインダーを、香苗の目の前に差し出した。


『一応、0円請求書作ってきたけど、必要?』


「あ、欲しい!助かるわ」


『さっき話した内容、軽く別紙にまとめてあるから。必要な時は使って』


「うわぁ、よく分かってる……」


『俺も書類はやるからなぁ』


「すごい頼もしい……」


大袈裟おおげさ


 海斗がフフッと笑うと、香苗も柔らかく微笑む。


(こういう顔するんだもんな……)


 海斗は、いつも冷たい香苗が出すこの笑顔に、少しずつ引き込まれていった。

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