【ambition:side cigar】

 預かった車両を運転して戻り、修理場に入ると、上役が〝おっ〟という顔で事務所から出てきた。


 〝上手くいったなぁ、さすが~〟と言われると、〝たまたま友達がいまして、上手く進められたんすよ〟と返しておく。


 後輩が近寄ってきて〝僕、やりますよ!〟と申し出てくれるが〝ああ、ってきたの俺だから、とりあえず俺やるわ。ありがとな~〟と答えた。


 シフトレバー周辺のパネルを外す。予想通り、こぼしたであろう飲み物の跡と、その為に固まったほこりかたまりがある。これを除去じょきょすれば直ると見立みたてた。さいわい、駄目になった部品は見当たらず、ブロワーとクリーナーのみで丁寧に拭き上げを行う。


 30分ほど作業し、エンジンをかけてシフトレバーを動かすと、動きが格段に軽くなった。ホッとしてエンジンを切り、パネルを戻す。


 思いつき、ついでにとまっているゴミを片付け、車内の目立つ箇所かしょを軽く掃除する。


 建設会社の社有車は様々な人が使うからか、タバコの灰や土埃つちぼこりが大変多い。それらが無くなり、見た目が綺麗になっていれば、客先きゃくさきの印象が良いだろう。


 再び上役うわやくが様子を見に来た。〝部分洗浄と掃除しただけですけど・・・請求は出さなくても・・・?〟と聞くと〝いいよ、サービスにしとこ。次もよろしくって伝えて貰えると助かるよ~。忙しいのに、やってもらってありがとね~〟と返事が来た。


 一見いっけん、適当に見える上役うわやくだが、こういう所が上手いなと思う。


 自分のデスクに戻って一息つき、今朝、飲みそこねたコーヒーをれてきた。それをすすりながらPCを立ち上げる。


 請求書のフォルダを選び、入力用のデータファイルを開く。内訳うちわけのページに対処した項目を入力し、請求金額には0円と打ち込む。保存してからウィンドウを閉じ、別添べってんの報告書フォルダを立ち上げて、対処した内容の説明を、軽く打ち込んだ。


 特にここまでする必要もないが、香苗の立場上、書類としての請求書が必要かもしれないと思った。対処についても、口頭こうとうで伝えるだけよりは、記録として残した方が、受け取った側は処理の負担が少ない。


 はしっこのデスクにいる事務員が気付いて〝あれ?請求起こしてるんです?私やるのに〟と言ってくれる。〝ああ、あざっす。自分でってきたんで、最後までやろっかなって思いまして~〟と、また穏やかに答える。


(俺は、なんでこんなに張り切ってしまっているんだろう)


 後輩や事務員さんに任せればいいのにと、自分で自分に苦笑くしょうする。


(・・・香苗に会えると思うからか・・・)


 この先、あの会社と取引が出来れば・・・


 この流れなら、自分が担当になるだろう。仕事中でも、香苗に会うことができると予想がつく。


 戻る途中に気がついた、香苗の事をよく知らないという事実。これが、自分をき動かしているのは分かる。


(仕事を利用してでも・・・香苗を知る機会を増やしてやる)


 下心したごころがある自分の仕事ぶりに、また苦笑くしょうを漏らしてしまう。だが、別に誰も損なんかしてない。向こうはサービスで直せて、こちらは新規開拓のチャンス。


(win-winってやつだよな)


 海斗は、無理やり正当性を自分に言い聞かすと、請求書の印刷ボタンを押した。


 それから、午前中に予定していた修理業務に取り掛かった。後輩との二人作業で進め、あらかた済むと、先に後輩を昼休憩ひるきゅうけいに入らせる。


 その間の1時間で最終調整をするのだ。後輩に教えながらの作業も大事だいじだが、本音を言えば、一人の方が効率が良い。集中して仕上げにとりかかった。


 後輩が休憩から上がってくるのを見届けると、交代で、自分が遅めの昼休憩ひるきゅうけいに入る。


 午後1時半。


 持ってきた弁当をレンジにかけている間、デスクの引き出しに入れておいた、香苗の会社への請求書類を取り出す。


 新品のクリアファイルにいれ、更に会社の封筒に入れて、丁寧にふうをする。担当した事を伝える為、自分の名刺をクリップでめておく。


(何時なんじに返却に行こうかな・・・香苗が対応するだろうから・・・確実に居そうな時間を狙って・・・)


 まただ。自分で自分に、苦笑を漏らすしかない。


(どうしたんだ、俺は。もっと他に考える事はあるだろうよ)


 いつもなら、食事を取った後に仮眠をしたり、電子タバコを吸いに喫煙所に行く。


 そうしながら、我が子の将来や妻の体調を案じ、休日の過ごし方の算段さんだんをとるのだ。


(ああ、いつもの俺らしくない・・・)


 ・・・〝いつもの俺〟?


(俺は・・・いつも、どんな奴なんだ?)


 人当ひとあたりが良くて、家庭を大事にする。真面目に仕事をこなし、着実に周りからの信頼を得られるように努力している。


 では〝今の俺〟はなんなんだ?


 責任のある立場も忘れ、一人の女性の事をただただ考えている。仕事すらも体良く、自分の欲望のままに利用している。


(俺・・・どうしちまったんだろう)


 レンジの音が響き、ハッと我に返った。


 レンジから取り出してきた弁当を見ると、少しだけ胸が痛む。


 これを作ってくれる妻がいるのに、俺はどうして、他の女性の事を考えているのだろう・・・


 ・・・


『休憩が終わったら、車、返却に行くか・・・』


 ぐちゃぐちゃとした葛藤を消すように、呟いた。

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