【Repair】

海斗が点検に入ってから5分程度。


シフトレバーを動かしながら、その周辺の様子もなにやら探っている。


車の事などよく知らない香苗には、海斗が何をしてるのかが全く分からない。だが、真剣にみてくれている事はハッキリとみてとれる。


香苗は少し後ろにがり、その様子をボーッとながめる。


すぐに海斗が運転席から出てきて、両手でくせのある前髪をかき上げながら、香苗の方に振り返った。


『確かに普通よりシフトレバーが固いな。でも、原因は大体だいたい分かった。』


「え、もう?」


『こういうの、よくあるんだよ。うーん、部分洗浄したいな。ここでも応急処置は出来るけど・・・でもなぁ、やるなら、工場でしっかりやりたい。』


「えっと、うん。」


『車、持って行っていい? ちゃんと対処したいんだけど。』


「あの、うん。」


『乗ってきた車、代車だいしゃで置いとくからさ。っつっても、今日中には返しに来れると思う。』


「あ、うん。」


ほうけて〝うん〟しか言わない香苗に、海斗は怪訝けげんな表情を浮かべる。


『あのさ、どしたの?』


「なんか・・・すごいなって・・・」


『なんだよ急に』


「海斗って、プロなんだなぁって・・・」


『まあ?この道16年の中堅ちゅうけんですし~?』


おどける海斗に、香苗はなにも言わず、まだほうけた表情をしている。


香苗がいつもの調子じゃないな、とさとった海斗は、ほこらしげにしつつも、思うことを答える。


『おまえもだろ。』


「え?」


『事務のプロなんだろ?』


「それとはなんか違う気がする。」


『違くねぇよ、同じ。』


「そ・・・か。」


よく分からないという顔の香苗に、海斗は本来の話を引き戻す。


『んで、車、持ってっていい?』


「あ・・・あっ、はい!よろしくお願い致します。」


『はい、うけたまわりました。』


ハッと我に返り、しっかりとした言葉遣いで依頼をしてくる香苗に、海斗はまた楽しそうに、わざとらしく敬語を使う。


そんな海斗に、香苗はやわらかく微笑ほほえんだ。会社では決して出てこない笑顔が、海斗の前では自然に出てしまう。


それを自覚して、〝人に期待しちゃいけない〟と、心にセーブをかける。


香苗はゆるんだ顔を引き締め、仕事用の顔に戻る。


「今朝、連絡しました担当には伝えておきます。車両返却の時に、軽く原因を教えて頂きたいのと、内訳うちわけがある請求書を頂けますか?」


『かしこまりました。確認してお持ちします。・・・な、代車、ここらへんにめとこうか?』


「そうね、お願いしたいわ。」


『おけ!』


仕事上の会話から、くだけた口調に変え、緊張をく。


海斗は乗ってきた車に走って戻り、故障した車両の隣に移動させた。すぐに降り立って香苗にキーを渡し、預かる車に乗り込んでエンジンをかける。


運転席の窓を開けて香苗の方を向き、〝じゃ、お預かりします!〟と声をかけた。香苗は〝お願いします〟と軽く会釈する。


駐車場の出口からゆっくりと道路に出て走っていく車を見届け、香苗は事務所に戻った。


走らせているライトバンの中。


海斗は預かった車両を傷つけないよう、慎重に運転をする。客先の車両を預かる時は、いつにも増して緊張感を持つ。


それにしてもと、香苗を思い返す。


接客業のような満面の笑顔、自分だと解った瞬間の驚いた顔、そしていつも知っている顔。


いつもの通りに点検作業をしていると、香苗がこちらを眺め、どんどんとほうけていく。


そうかと思えば、急にキリリとした仕事の顔になり、その後にやわらかい微笑ほほえみも浮かべる。


(何だったんだろう・・・。)


偶然に会えた事、仕事ぶりをみて褒められた事、色んな表情を見れた事、それらはとても嬉しい。


だが海斗が知っている香苗は、そこまで表情ゆたかではない。


いくつもの顔を使い分けている・・・いや、別人が瞬時に入れ替わっている、といった表現が正しい。


自分も猫を被るのは得意だが、あそこまで別人のようにはならない・・・少し心配になった。


(そう言えば・・・俺、香苗の事をよく知らない。)


この前の出来事でも・・・夢中むちゅうで気付かなかったが、〝して〟貰っている時、素人のそれとは思えない程だった。


本人が話したがらないということもあるが、普段の生活、家族の事、どんな過去があるのか、聞いた事が無い。


(俺は・・・香苗のことを知っているようで、何も知らないんだな・・・)


海斗は、短いため息をついて眉間みけんしわを寄せ、無意識にハンドルを強く握りしめた。


建設会社の事務所。


香苗は、詳細を書いたメモを添えて、海斗から預かった代車のキーを部長のデスクへ置いた。


従業員の前日日報ぜんじつにっぽうの入力をしようと、そのまま、日報提出用の引き出しから紙のたばを取り出してくる。


デスクに戻ってシャーペンを持ち、チェック入力を進めるが、先程の海斗の顔が頭をよぎって上手く進めることが出来ない。


(ちゃんと・・・技術者って感じだったな。)


あんなに真剣な顔は見たことが無い。褒められれば嬉しそうにしながらも、こちらの事も気遣ってくれた。いつもの海斗じゃなかった。


(そうよね・・・。いつも歌ってたり、犬みたいなわけがない。)


世間では〝ギャップ〟というんだろう。


(私にとっては、それだけじゃないわ・・・)


優しそうにして近づき、依存したり、利用しようとするやからしか知らない。だから人をけている。


それなのに海斗は、知る度にこのましい印象を深く刻み込んでくる。


(怖い・・・怖いよ。人に心を許すことが怖い。嫌だ・・・。)


香苗は、ハッと思い直す。


(・・・海斗は既婚者きこんしゃじゃないの。)


どんなに良く思ったって、どうする事もできない。


(思うこと自体がナンセンスね。私ったら、何考えてんのかしら。)


香苗は、ボーッとする頭を理性で整え、再び日報のたばに向かった。

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