【surprise】

 コーヒーを飲み終え、手を振りながら香苗と別れた海斗は、満足した表情のまま自車の運転席に乗り込んだ。


 朝、持っていたあわい期待が実現したことが、純粋に嬉しかった。それと同時に、遅い時間に歩いている香苗が心配になり、コーヒーをおごると言う名目めいもくで一緒に歩いた。


(いや、やっぱり、ただ話したかっただけか。)


 電子タバコのスイッチを入れて待つ間、LINE通知音が鳴る。妻からだろうか、と画面を見ると、意外にも香苗からだった。


 遠くて見えもしないのに、驚いて香苗の車の方に顔を向ける。


 香苗の方からLINEを送ってくるのはとても珍しい。早速、通知をタップすると、自分がいつも使っている犬のスタンプで〝ありがとワン!〟と送られていた。


(俺がいつも使っているスタンプ・・・?香苗がわざわざ買って、使ってる?)


 そんな些細ささいな事で、海斗は舞い上がった。


 すぐに同じスタンプで〝どういたしまして!〟と返す。既読がすぐに付き、まだ、香苗がLINE画面を開いている事が分かった。


(なにか、話を続けたい・・・)


 海斗は、「カラオケいつにしようか?予定あわせようよ!」と文字を打ち込む。


 だが、思い直して文字を消し、代わりに〝またね!〟というスタンプを送った。


 自分には少しだけ心を開いていると感じてはいるが、いつもは人をけている香苗。それを思えば、押し付けがましい言葉は伝えたくなかった。


 さっきだって、香苗の方からカラオケの話題を振ってきたのだ。誘いが来るまで待っていようと、海斗は自分の想いをおさえ込んだ。


 香苗へ送ったスタンプにはすぐに既読が付いた。だが返事が無いところをみると、話を続ける気がないのだろうと悟る。


(やっぱり、冷たい時は冷たいな・・・まあ、そういうヤツだしな。)


 海斗は苦笑しながらも、そのままLINE画面を閉じた。スイッチを入れたまま忘れていた電子タバコをつかんで、深呼吸のように大きく吸い込み、盛大せいだいに吐き出す。


 気持ちを切り替え、愛する家族の元へ帰る為、エンジンスイッチをゆっくりと押した。


 翌朝。


 香苗が出勤すると、上司である工事部長が何やら困った様子でどこかへ電話をしていた。


 理由を訊ねると、〝使う予定だった業務車のシフトレバーの動きが何かおかしい〟との事。


 自分には関係無いことだなと思い〝点検を頼むしかないですね〟と適当に言うと〝いつもの所が臨時休業で、代わりの所をなんとか見つけたんだ〟と答えられた。


 車両担当も大変だなと何気なにげなく思っていると、部長が自分の方へ近寄ちかよってきた。


 車のキーを渡されながら、〝取引先へ行かなきゃいけないんだ。電話した業者がすぐに見に来てくれるそうだから、対応してくれないか〟と頼まれた。


 わかりました、とキーを受け取り、自分のデスクへ置いておく。朝の日課である軽い掃除をしながら、業者の到着を待った。


 同時刻。


 海斗が出勤すると、いつも朝早くに来る上役うわやくが電話対応をしていた。事務所に入ってきた海斗をチラチラと見ながら〝ご住所は・・・ああ、近くですね。すぐにうかがいます。キーをご用意してお待ち下さい〟と伝えている。


 その様子を眺めていると〝今の、ご新規さん。近くの建設会社でね、故障かもしれないから見に来てくれないかって。上手うまつなげたいな~新人には荷が重いだろな~。な、ベテランさん?ちょっと頼むよ~〟と、ニコニコと頼んできた。


 〝はいはい、どこですか? 上手くいったらボーナス上乗せですよね?〟と軽口で返し、故障の症状と住所を書いたメモを受け取る。


 それを読むと、よくある故障のようだ。その場で対処もできるかもしれないが、意外と見落としがちな危険があったりする。安全性や、次に繋げる事を考えるなら、内部ないぶを見て把握したいな・・・と瞬時に考えを巡らした。


 代車を置いてくる場合も考え、対応の社用車に乗り込む。カーナビにメモの住所を打ち込み、愛用の点検道具を最低限だけ積み込んで、颯爽さっそうと出かけた。


 建設会社の事務所。


 インターホンの音が響き、香苗がマイクに向かって対応すると、〝先程、車両修理のご依頼を頂きました者です〟とげられた。〝ご苦労様です。入ってすぐのカウンターの前でお待ち下さい〟と伝え、音声を切る。


 香苗は預かったキーを持って、カウンターへ向かう。その間に、初めて会うであろう業者さん向けに、愛想あいその良い笑顔を作る。


 〝わざわざ足を運んで頂いてすみません〟と明るく声掛こえがけをしかける。


 たずねてきた修理業者も、接客業の笑顔を浮かべ〝この度はご連絡ありがとうございます〟と言いかける。


 カウンター越しに対面たいめんして、両者が目を見開いた。


『うお、香苗!』「わ、海斗!」


 意外な所で見知った顔に出会い、同時に驚く二人。


『ええ、香苗の会社か、ここ。』


「近いとは知ってたけど、偶然が過ぎるわ・・・」


『びっくりしたー・・・』


「同じく、ね。」


『えーと・・・でも、そんな場合じゃなかったな。故障の車、みせてもらえる?』


「そうよね、案内するわ。こっち。」


 香苗はパンプスにき替え、故障した車へ海斗を案内する。広めの駐車場の、社用車を置いているスペースへと二人は歩いていった。


『立派な駐車場だなぁ、うちの会社より広いじゃん。』


「え・・・それ、どうかと思うんだけど。」


『・・・なんで、あの駐車場使ってんの?ここにめられないのか?』


「別に、特に理由は無いわ。」


『ふーん・・・』


 理由無く、他に借りるわけないだろうと海斗は思ったが、突っ込んで聞けば香苗が心底しんそこいやがるだろう。それ以上の話をしなかった。


 香苗は、1台だけポツンと残されたライトバンにキーを向けてボタンを押し、ロックを解除した。そのままキーを渡しながら、会社の事務員として〝お願い致します〟と、敬語で海斗に声を掛ける。


 キーを受け取りながら少し笑い〝お任せ下さい〟と、わざと敬語で答える海斗。


 海斗は運転席に入り込み、エンジンをかけ、ブレーキを踏みながらシフトレバーを慎重に動かす。笑顔から、瞬時に真剣な顔つきにかわった。


 いつもは見ることの無い表情の切り替わりに、香苗はドキッとしてしまう。


 ああ、こういう顔もするんだ・・・

 香苗は少しだけ、海斗の横顔に魅入みいった。

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