【Coffee】
午後8時。
辺りが暗くなり、
香苗は、
独身である香苗は、子供のお迎えがある同僚を先に帰らせ、その分の仕事を請け負う事が多かった。
(そんな事をしても、給料はあまり変わらないのにな)
だが、女性社会を穏便に過ごしている手前、恩を売っておくのも悪くは無い、という気持ちに切り替える。
あまりにもこなす書類が多ければ、むしろ達成感は大きい。疲れというよりも、やっと帰れるという喜びを噛み締め、駐車場に向かう。
同時に、スタスタと軽快に鳴るスニーカーの足音。
海斗も同じく、年度末で押し寄せる修理や購入依頼、同時期に来るタイヤの交換に対応し、遅くまで仕事を受け持っていた。
もうすぐ1年目が終わろうとする新人後輩が、初めて迎える、年で一番の
(まあ・・・帰りが遅くなるけどな)
少しの後悔は感じるが、それよりも後輩が倒れる方が問題だ。慣れている自分が仕事を受け持つ方が、精神的には楽だ。
あらかたの仕事を
頼りない
ヒールの足音に、スニーカーの足音が追いつき、嬉しさを
『よぉ香苗!おつかれ!』
「あれ、海斗?おつかれさま。遅くまで大変ね。」
香苗が後ろを振り向くと、街灯が照らす微かな光の中に、小走りで来た海斗が見えた。
やっぱり犬みたいで可愛い。ブンブンと振っている尻尾が見えるようだと、香苗はフフっと笑う。
『そっちもだろー?大変だよな、この時期。』
「覚悟してるけど、毎年きっついよね。」
『だよなー・・・ おっと、なんか飲む? コーヒー買うけど。』
「あ、オゴり? やった、ありがと。」
もう閉店時間を過ぎてシャッターが降りた小さい商店に設置された、違和感があるほど浮いて光る自販機の前で、二人は立ち止まる。海斗が千円を入れ、それぞれに好きなボタンを押した。
海斗はブラックコーヒー。香苗はカフェオレ。
数日前あんな事をしたのに、変に意識する事無く、〝友達〟として接し合っている。少しの罪悪感を心に隠してはいるが、互いに互いを感謝していた。
話しながら並んで歩き、いつもの駐車場に
「ブラックって、眠れなくなんない?」
『んー、俺、すぐに眠くなるからな~。あんまり思ったことねぇな。』
「そうなのね。」
香苗から話題を振るのは、少し珍しい事だ。海斗は話題を引き延ばそうと、香苗の持っているカフェオレを軽く指差す。
『カフェオレとそんなに変わらんとおもうけどなぁ。香苗は眠れなくなるのか?』
「んーまあ、ブラックどうこうじゃなく、寝付きは悪いね。眠れない時もあるわ。といっても、寝れる時は長時間起きないけど。」
『不規則なんだな・・・神経使ってそうだもんな。』
「そんな事もないけどね。」
『そっか。』
海斗が気を
「ふ、相変わらずお優しい事で。」
『そーゆーわけじゃねぇけどさぁ・・・。』
「あんまり、私に気を
『そうか?』
「職場じゃ人当たり良くしてるけど、仕事に関しては厳しくしてるし。」
『はは、それっぽい。』
「
『えー、ひどくね?』
「そうしてるからね。言われて当たり前。」
『・・・本当は、優しいのにな。』
穏やかに
海斗の
そして怖くなる。
ああ、嫌だ。こういう人に、何度も騙されてきた。最初はみんなこうしてやってくる。そして自分の事を知ると、利用しようと、本性を
海斗がどうかは分からない。だが、〝友達〟のままでいればこの穏やかな関係が続くのだと、香苗は
話題を変えようと、香苗はぬるくなったカフェオレを一気に飲み干して、再び話し始める。
「忙しい時期終わったらさ、またカラオケ行こうよ。黙って仕事してるから、喉が
『喉が
海斗は目尻にシワを作り、楽しそうに笑う。香苗の真似をするように、ブラックコーヒーを一気飲みした。
「さてさて、
『いやいや、こんなもんで良ければいつでも。』
「あは、
『だろー? さすが俺!』
二人は笑いながら軽口をきき、手を振りあって別れ、それぞれの車に乗り込んだ。
煙草を取り出し、火をつける。
ホルダーのスイッチをいれる。
少しだけ交わしたなんでもない会話。
これがこんなに疲れさえも癒すのかと、二人は別々の場所で、想いを噛み締めた。
香苗はスマホを取り出し、LINEのアイコンをタップする。感謝の気持ちを伝えたいが、迷惑になるような文面にはしたくない。
少し考えてから、なんとなく買ったスタンプの一覧を表示させる。海斗がよく使う、犬のデザインのものだ。
その中から〝ありがとワン!〟と、犬が可愛くお
すぐに既読が付き、シュパッと言う音と共に、〝どういたしまして!〟と犬が親指を立てているスタンプが送られてきた。1分ほどおいてから〝またね!〟と、犬が手を振るスタンプがLINE画面に現れる。
こんなスタンプのやり取りだけで、なんでこんなに嬉しいんだろう。まるでうぶな中高生だと、香苗は苦笑いを浮かべた。
でも・・・やっぱり、どこかで警戒している。
(どうせそのうち、私には興味が無くなるくせに。)
今まで皆そうだった。
(海斗だって、いまにそうなる。だって、海斗には自分の家庭があるじゃないの。帰る場所がある人でしょう。)
海斗は、最近仲良くなった友達。今までの人間関係とは何も関係ないのにと思いつつ、香苗は助手席にスマホを強めに放り投げた。
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