【 Salvation 】

 香苗は、そんな海斗の顔を見ると、一緒に胸が詰まるようだった。同時に、自分にはとても珍しい事だと自覚する。他人などどうでも良くなってきているはずなのに。


 気持ちだけの問題・・・か。それなら少しゆっくりと話でも聞こう。カウンセリングってやつの代わりと、香苗は切り出す。


「カラオケ行く?」


『んー・・・折角せっかくだけど・・・歌うより、ゆっくり休みたいってのが強い』


「休める所、あるの?」


『ネカフェとか?行ったことないから、どこにあるかも知らないけど・・・』


 香苗はすぐに悟った。この人、落ち込んだ時はどうしていいか分からないんだ。無理やり笑って乗り越える以外の方法を知らない。


 ああそうか、私は心を凍らせる事しか知らない。方法がちがえど、不器用な所は同じなんだと。


 それなら


「・・・カラオケ〝も〟できるとこ」


『ん?』


「静かに休みたいんでしょ?」


『うん』


「行こうか? 話をするくらいなら、別に罪じゃないわ」


『なに?なんの事言ってんの?』


「ベッドに横になって、ゆっくり目を瞑ると良いよ。弱音よわね吐きたいなら聞く、少しの間だけど」


『・・・いや、だって、そんな、俺』


「行きたくなければいいよ、それならネカフェでも探そうか」


『いや・・・なん・・・待ってくれよ』


「まあ、ゆっくり考えて」


 海斗は戸惑とまどった。正直、その提案は非常に魅力的に響く。勝手に落ち込んでいる俺に、目の前の女は、なんでもないように手を差し伸べてくれているのだ。その手をつかみたい。助けてくれ。いやしてくれ。ああでも、これは・・・愛する家族への裏切りだ。


 だけど、


 香苗は言ってくれた。何もしなければ罪では無いと。・・・そうか、裏切るような事では無いんだ。


 〝ずるい大人の言い訳〟


 海斗は結局、それにすがってしまった。


 二人は香苗の車に乗り込み、きらびやかな外装がいそうをしたホテルへと走らせる。言い訳をするように言葉を並べながら。〝これは違う〟〝落ち着いて話をする為に仕方ない〟〝ほかに場所なんか思いつかなかったから〟


 肝心かんじんなところにはれない。

 居心地いごこちが良いように。

 迷惑にはならないように。

 責任が無いように。


 見かけたホテルに素早く入り、人目をけるように車を降りる。お互いになんとなく目をらしながら、足早に建物に入った。


 中に入って誰もいないことに安心感を覚えると、光っているパネルから、広めのくつろげそうな部屋のボタンを押した。エレベーターに乗り込み、選んだ部屋に向かう。


 静かにドアを開けると、存在感のあるダブルベッドが目に入る。その横に大きめのソファと、もうわけ程度のテーブル、独特の薄暗うすぐらい照明、そんな妖艶ようえんな空間が広がっている。


 持ってきたバッグをテーブルへ置き、二人はソファに並ぶように座った。気まずい映像が流れそうでテレビは付けず、有線の音楽だけが響いている。


 ゆっくりとするはずが、少しの緊張を感じる。最初にカラオケに行った時とほぼ一緒だなと、海斗は思った。違うのは、これから起こる事が、純粋な楽しさだけではないという事だとも理解して。


 香苗は海斗の愚痴を聞こうと思うが、取りつくろうような会話しか出てこない。変な空気を感じながら、二人はそれぞれに種類の違う煙草を取り出した。


 香苗は紫煙しえんをくゆらせ、海斗は水蒸気を吹き出す。


 二人は顔を見合わせないようにした。顔を見てしまえば、何かを認める気がする。わからないそれを認めてしまっては・・・良くは無い事だけはわかる。


 手元を見るしかない二人は、それにかこつけた会話しか出てこない。


『俺も紙煙草かみたばこだったよ』


「前も言ってたよね、電子タバコに変えたって。なんで?」


『気になるから』


「なにが?」


『人の目とか・・・家族の事、副流煙とかさ』


「あーね、まあ心配よね。かと言って急にめたくもないし」


『紙もさ、たまには吸いたくなるな。やっぱりちがうもんだよね』


「1本吸う?」


『うん』


 香苗は自分の煙草を1本出し、海斗に渡す。それをくわえるのを見ると、火を貸してくれと言われる前に、先端せんたんに火をつけてあげた。


 海斗は、久々の紙煙草かみたばこを大きく吸い、上に向かって思い切り吐き出した。


『あー・・・やっぱ・・・うまい・・・』


折角せっかく、電子に変えたんだから、クセになっちゃだめよ?」


『うん、これでやめとく、サンキュ』


 テーブルに置かれている電子タバコを眺め、香苗は呟いた。


「それ、友達の貰って吸ったことあるけど」


『どうだった?』


「焦げたような匂いが駄目だった」


『ああ、そう思う人もいるんだってな』


「どうしても、こっちが良いって思っちゃうわ」


『まあ、無理に変えなくてもいいんじゃないの?』


「というより、変われないのよ、私は」


 香苗は煙草の事だけじゃなく、自分の事もからめて答えた。


『・・・そういう事じゃないだろ』


「変わる気もないのよ」


『あー・・・な』


「だから、でしょ。今がこんな薄情はくじょう人間なのは」


『・・・そんなことねぇだろ』


 海斗をなぐさめるはずが、なぐさめられている。香苗は苦笑くしょうしてしまった。何しに来たんだろうか。


「ふ・・・優しいねぇ」


『変わるのが、一概いちがいに良いとは決まってないから』


「ま、そうかしらね」


『ああ、俺だって・・・』


「海斗は、自分を変えた事、後悔してないんでしょ」


『・・・してないよ』


「それなら、それでいいじゃない」


『ああ・・・』


 二人は、また一口ひとくち煙草を吸い、大きく吐き出した。少しの沈黙をやぶるように、香苗が話し始める。


「変わったら変わったで、新しい悩みが出てくるの」


『そうだな・・・』


「今、海斗は、それに立ち向かってるんでしょ、こうやって落ち込みながら、足掻あがいてさ」


『うん・・・』


「それができるんだから、海斗は良い男ってことよ」


 良い事を言ったとばかりに、いたずらっぽく笑いながら、香苗は海斗の方を向いた。


 海斗は手元を見ながら、少し目をうるませていた。それを見ると、不意に胸がドキリとした。


 海斗は少し震える声で、香苗に語りかける。


『なぁ』


「んー?」


『俺は、歌だけか?』


「・・・どういう意味」


『そう、振舞ふるまってたよな、言わなくても』


「・・・うん」


『なあ、でも・・・なあ・・・』


 海斗は両手で顔をおおい、言葉を吐き出すのを止めた。


 何か言いたい事はあるんだ。

 出しちゃいけない。

 でも言ってしまいたい。


 香苗は、そんな海斗の様子を横目で眺め、次第しだい慈愛じあいの表情になっていった。


 言葉を出せずに苦しんでいる、この男が、いとおしい。


 煙草を消し、吸殻すいがらを灰皿に置いた。そのまま顔をおおっている海斗の手を優しく握り、顔から離してやる。


 うるんだ目のまま、不思議そうにこっちを向く海斗にしっかりと目線を合わせ、背中に手を回し、あやす様にゆっくりとさする。


「歌だけじゃないよ、全部がそのままでいいの。そういう海斗がいとおしいよ」


 香苗は踏み込んだ。


 そんな甘い言葉を吐いては駄目だと理解しているのに。そんな事に気づかない振りをしてでも、目の前の男の心を救いたかった。


 海斗はもう余裕が無いように、幼子おさなごの様に弱音を吐き出す。


『つらい』


「うん」


『くるしい、さびしい』


「そうだね」


『でも、そんなんじゃダメなんだ』


「そんな事ないわ」


『いいの?』


「良いのよ」


 海斗は香苗の肩に顔をうずめ、抱きしめた。こぼれる涙が見えないように、少しだけ甘えるように。


 見なくてもそれがわかる香苗は、海斗の頭をでた。頑張がんばったね、と言うように。


 海斗の、くせっ毛でふわふわした髪は、香苗の心も暖かく満たしていった。

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