【 Comfort 】

カラオケ屋にて歌って語り合う二人は、2時間では物足りず、1時間延長して更に盛り上がった。


ドリンクバーに何回も飲み物を取りに行き、なつかしい曲を入れれば二人で合唱して笑い合う。それぞれに得意な歌を歌い上げ、片方がめるように聴き入る。


〝ああ、楽しいな〟

二人は純粋に思っていた。


延長した時間も、終了10分前のコールが鳴った。海斗の歌を聴いていた香苗がコールに対応し、独断で「終わります」と伝える。時計を見れば、18時半をしていたからだ。


海斗が歌い終わったのを見計らって、香苗は話しかけた。


結構けっこう時間経ってるから、終わるって言っちゃった。そろそろ帰らないとまずいんじゃない?」


『あ、サンキュ。そうだなー・・・帰らないとかー・・・あーあ、もう終わりかぁ・・・』


「まあ、仕方しかたないわよね」


『・・・帰りたくねぇなぁ・・・』


歌い終えてマイクを置いた海斗は、大袈裟おおげさに上を向いて、両手で顔をおおった。何かあると顔をおおいたくなるのは昔からのくせだ。


香苗は気分が上がればそれだけで良いが、海斗は険悪な雰囲気であろう自宅に帰らねばならない。ここでズルズルと過ごしていても、帰宅した時の居心地いごこちの悪さが増すばかりだ。


『はぁ、仕方ない帰るか・・・俺があやまればいいだけだろうし・・・』


「んー・・・あのさ、愚痴ぐちを聞くくらいなら、するわよ?」


『そう?・・・LINEさ、交換しててもいい?』


「いいよ」


『たぶん、あんまり連絡はしないとは思うけど』


「私もそんなにマメじゃないから」


『んじゃ、何かあったら連絡する』


「そうね、まあ、また駐車場で会うだろうし」


『そうだな~』


部屋を出て会計を済ませ、二人は店を出た。日が暮れて薄暗うすぐらくなりかけている中を歩き、並んでめたそれぞれの車に乗り込む。窓を開け、「またなー!」と笑顔で手を振る海斗に、香苗は少し微笑ほほえんで手を振り返した。


「『 久々だったなー 』」


何がとは言えないが、若い頃に馬鹿をしていた感覚の事だろうか。二人は充足感を得て、それぞれ帰路きろに着き、車内でつぶやいた。


帰宅後、香苗は軽く1人分の夕食を作り、味などどうでもいい様にそそくさと済ませた。シャワーを浴び、濡れた髪をタオルで拭きながらバスルームから出ると、テーブルに置いておいたスマホに1件のLINEが入っていた。


海斗からだ。可愛い犬のイラストで〝こんにちワン!〟と、スタンプが送られている。香苗は「やっぱり犬っぽい・・・」と、苦笑しながら独り言をらした。


〝ありがとう〟と描かれたスタンプを返すと、すぐに既読が付き、メッセージが入ってくる。


« 今日はありがとう! »


< こちらこそ >


« あの後、帰ったらさ、嫁、すげー機嫌悪かったけど、謝ったらすぐに機嫌直った »


< あら、良かったねー! >


« ちょっと安心した »


<ん、音れには気をつける事ね >


« そだね、音楽自体は別にいいって、落ち着いて言ってたし »


< まあ、夫婦の譲り合いってやつ? 平和が一番なんでしょ? 知らんけど >


« んーでもなー »


< なに? >


« なんでもないや。それより、ありがとうな。すげー楽しかった! »


< こちらこそ、久々に楽しくてスッキリしたわ >


« 初めて会った人と、カラオケ行くと思わんかったw »


< 私もよw びっくりしてるw >


« そっちもさ、変な男の事なんか忘れちゃえよ »


< 歌いまくって忘れさせてもらったから、大丈夫 >


« そか、それならいいけど・・・また行こうな »


< そね、楽しみにしてる。それじゃ、おやすみ >


そこまで送信すると、眠っている犬のイラストで〝おやすみ〟とスタンプが返ってきた。香苗は少し吹き出し「やっぱり犬だわー・・・」と、また独り言を言った。


・・・


それからというもの、二人はそれぞれに駐車場に来ると、わざわざ周りを見渡みわたすようになった。出勤や仕事帰りの時間は似たようなものなのか、2~3日に1回はお互いを見かける。目が合った時は微笑ほほえみながら手を振る、それが習慣になった。


今までと変わりは無いはずなのに、意識すると気づくものなのだなと、海斗はしみじみと感じ入る。


仕事が終わって駐車場に着き、香苗の車があるときは、私服に着替えた後に、電子タバコを2回分ほど吸うくらいの時間は待つようになった。香苗も同様に、海斗の車を見かけると、煙草を吸いながら海斗の車を眺め、人影が現れるのを少し期待する。


そうして過ごしているうち、顔を合わせる度に世間話をし、時間が許せば歌いに行くようになった。以前のカラオケ屋に行くこともあれば、香苗の車に乗り込んで走らせ、CDに合わせて歌うこともあった。


海斗の車に香苗が乗ることは無い。既婚きこん男性が女性を乗せていれば、やましい事をしていなくても、流石さすがに気にしてしまうだろう。なら、逆の方がまだ気が楽、という暗黙の了解。


・・・


その日、二人は同時刻に仕事が終わり、駐車場で顔を合わせる事ができた。海斗はいつもの軽快さで話しつつも、顔に疲労の色をにじませている。香苗は気になり海斗に訊ねた。


「ずいぶん疲れてそうね、どしたの?」


『え、そう見える?』


「見えるけど」


『えー・・・隠せてないのかー』


「隠せてると思ってる事に驚くんだけど」


『職場では隠せてたんだけどな・・・』


「周りも鈍感ね」


『香苗が敏感すぎるんだよ』


「まあいいから、何があったのよ」


『何があったってわけじゃなくて、んー、ここ最近な、なんか、同僚と微妙に上手くいかなくてさぁ・・・』


「あらま」


『話が噛み合わなくて、変な空気でさ。仕事、今は繁忙期はんぼうきだから仕事詰め込みすぎてるし。だからかなぁ・・・。今日は久々の定時上がり』


「そうね、最近見なかったから」


『疲れてくるとさ、独りで余計な事、色々考えちゃってな。家族の事とか、将来の事とか・・・漠然ばくぜんとした不安って言うか』


「ああ、なるほどね・・・」


『考えてても仕方ないとは思ってんだけど、そんな事、嫁にも言えねぇし・・・うちじゃ、無理やり元気でいるから、疲れてきた』


香苗は、それだけでは無いことを感じた。きっかけはそれだとしても、それが引き金になって、全てにおいて自分を否定するという悪循環あくじゅんかんになっているんだろうと。


海斗が無理やり作る笑顔は、今までになく深く淋しげに見えた。

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