【 Another world:side cigar 】

 職場から抜け出すと少しの解放感があったが、同時に背中を見られている様な錯覚さっかくがあった。


(はぁ、罪悪感ってやつ・・・か?)


 逃げ込むように、自車を置いている少し離れた駐車場に足早に向かう。


 歩行者用の通路に入り、駐車場の出入口の手前から壁伝かべづたいに奥に伸びるように借り上げているスペースの、一番奥のはじに置いている自車へと歩く。


 会社から指定されている場所ではあるが、場所を決める際に、一番はじを強く希望した。


 少しでも誰かに見られているような息苦しさを軽くしたかったから。車内に居る時まで、良い人の上っ面でいたくない。


 運転席のドアを開け、後部座席に投げつけたシャツとデニムジーンズに手を伸ばした。シワを伸ばすようにバサバサと振り、どうせ誰も見てないだろうとタカをくくって、さっさと着替えた。


 少しは気が楽になって、運転席にドカリと座る。


(これからどうすっかな・・・)


 とりあえず電子タバコのスイッチを入れ、スマホを操作して、近くに面白そうな所は無いかと探す。


 特に見つからない。行きたい所もない。


 ため息をついてスマホを助手席に放り投げると、電子タバコの水蒸気を大きく吸い込み、いきのように思い切り吐いた。


(つまらない男だな、俺は)


 カラオケもひとりじゃ、やる気がしない。とりあえず音楽でも聴くかと、今朝、喧嘩けんかの原因になったイヤホンをわざわざ取り出し左耳に入れた。


 なんとなく反抗期のようなバツの悪さがあるが、俺は悪い事をしたわけじゃないと、無理やり開き直る。


 サボってるんだし、見つかりたくない、という気持ちで、少し離れた、人が来ない所に移動する。


 エンジンをかけ、ゆっくりと発車させる。


 確か奥まった所に2台ほど、隠れるように停められる所があったはずだ。指定の場所以外に停めるなと言われているが・・・


(こんな淋しい時間帯に知ったこっちゃねぇわ。)


 奥の方に向かうと、既に1台分は使われていた。顔を少し上げてチラリとのぞき込むが、中に人はいないようだ。


 まあ、こんな時間にいるわけがない。むしろ、この車の影になって好都合こうつごうだとすら思った。


 慎重にバッグ駐車をしてエンジンを切ると、換気かんきの為に運転席、助手席の窓をそれぞれ半分ずつ開け、もう一度電子タバコのスイッチを入れた。


 加熱を待つ間、運転席のシートを全開まで倒して仰向あおむけになる。まだ完了の振動がせず、待ってる間に煙草ホルダーをなんとなく眺めた。


 それまでは紙煙草かみたばこを吸っていた。電子タバコにしたのは、妻と子供への副流煙ふくりゅうえんを心配したからだ。水蒸気とはいえニコチンはあるから、完全に止められたわけではないが・・・。


 (それだって譲歩してる方じゃないか・・・今までしていた事を変えたんだぞ。)


 今朝の苛つきがまた再燃してきた。折角せっかく早退したのにこれでは意味が無い。早々に電子タバコを吸い終わり、ドアポケットに突っ込んだまま、あまり使っていない昼寝ひるね用のアイマスクを取り出して被った。


 視界がさえぎられ、好きな音楽だけが耳に流れてくる。歌詞の情景が頭に浮かんできて、主人公になったような気分になってくる。


 (・・・贅沢だ。)

 これだけの事で、贅沢だと思ってしまった。そんな自分を自嘲する。


 家族はとても大切だ、愛している。それは揺るぎない事実。


 だが独りになって、本来の俺はどんな人間で、どんな個性だったか、それを思い出したい気持ちがない訳では無い。今、俺は、擬似ぎじ的にそれを体感しているのだ。


 気づけば鼻歌を歌っていた。そうだ、元々歌うことは大好きだ。周りには謙遜けんそんしてしまい言えないが、自信だってそこそこはある。


 そんな事を思うと、少しずつ大きく口ずさむようになってきた。


(どうせ周りには聞こえない。誰も居ないここは、今、俺だけの空間なんだ!)


 周りなど居ないと、もう大声でハッキリと歌ってしまっている。声を発する毎にイライラが抜けていくように思えた。やっぱりカラオケでも行ってやろうか・・・。


 その時、


「歌、お上手ですね」


 知らない女性の声が、助手席の向こうから聞こえた。


 心臓がねるかと思った。


 かぶっていたアイマスクをあわてて外して声の方に目を向けると、隣に停めてある車の横に立つ女性が居た。少しだけからかうように薄く微笑み、こちらを見ている。


 聴かれていた事に大変な恥ずかしさを覚える。思わずうつむいて苦笑いし、右手で顔をおおい隠す。


 自分だけの空間なんて、一瞬で崩れるものだ。今すぐ逃げ出したい。顔が熱くなっていくのがわかる。


 だがその女性は、意外な反応を見せた。


 もっと聴かせろと言う。

 素敵な歌だから、もっと聴きたいと。


 その瞬間、また違う世界に入ったような気がした。夫としてでも父親としてでもなく、俺自身の個性を求められている。


 根は単純な俺のことだ、うわつらがれている今、もう表情に出てしまっているんだろう。驚きつつも、ジワジワと嬉しさが胸に広がっていく。


サボっている引け目もあって一応謙遜けんそんするが、目の前の女性はそれを気にする様子もない。


 そのまま他愛たわいも無い会話をするうち、年齢も近く、似たもの同士であることが垣間かいま見えてきた。理由は違えどストレスを抱え、少しだけ仕事から逃げ出してきた。


 ああ、独りでいるより、少しはマシなのかもしれない。どちらともなく言い出した。


 〔折角せっかくだから、歌いにいきませんか?〕


 これは・・・ナンパなのか?いやいや、この年齢だ、そんなものじゃない。偶然が重なり意気投合、それだけの事だ。何かに疲れている者同士、趣味がたまたま合って、歌いに行くだけ。


 そんな思い込みをしてでも、なんとなく感じた。

 この機会を逃したら、きっと後悔する。


 ナンパというには軽快さが足りず、運命と言うには重みが足りない。久しぶりに胸が踊るような、無責任な出会いを果たした。

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