第5話

 

 メシャル侯爵の提案でメシャル侯爵家令息とレイシャの婚約が決まり、それと同時にエレーナとメシャル家の次男との婚約も決まった。


 エレーナの婚約については元々年齢の関係で候補までは決まっていたが、正式に決まってはいなかった。


 今回の婚約でレフリア伯爵家とメシャル侯爵家の繋がりは強くなるが、通常であれば同格の家同士で婚約をするものであるが、この婚約は渦中の直後に結ばれたものだ。そのためやっかみや疑惑の目を向けられることになり、レフリア家に対する他の貴族からの当りは多少なりとも強くなるだろう。


 まあ、レフリア家の跡取りはほぼエレーナで決まっているため、大丈夫であろうが、当分の間は周辺の領地から疑惑の目を向けられるのは避けられないだろう。


 話しが終わり、婚約の纏めも済んだことでメシャル侯爵はレフリア伯爵家の屋敷を出て行った。



「アベル様は今回の話しで問題は無いのでしょうか?」


 未だレフリア伯爵家の屋敷に残っていたメシャル侯爵家の令息にレイシャは声を掛ける。先ほどの会談で一言も発していなかったところから、何か不満があったのではないかとレイシャは思ったのだ。


 アベルはレイシャより年は1つ上だ。背が高く、しっかりとした体格の好青年といった人物である。確実にシレスよりも見目は良いだろう。

 そんなアベルはレイシャの言葉に柔らかな笑みを浮べながら答える。


「得にはないですね。ただ、最初は私の相手をエレーナにするべきではという話があったのですよ。さすがにそうであれば、私は不満を覚えたと思います」

「そ……そうなのですか」


 自分でも問題はない、という発言よりも少し困ったような表情でエレーナに不満があると言われ、レイシャは困惑した。


「ああ、エレーナの事が嫌いという訳ではないよ。父上も言っていたけど、私よりも優秀な子が嫁に来るというのは精神的に辛いからね。それにエレーナは当主夫人よりも、自ら当主になる方が向いている」


 レイシャの表情を見てアベルがすぐに理由を話した。それを聞いたレイシャは確かにそうだ、と思い頷いた。


 レフリア伯爵家の跡取りはレイシャとエレーナしかいない。レイシャが嫁に行くことが決まっていたことで、実質レフリア家を継ぐのはエレーナになっていたのだ。それを考慮すればレイシャの嫁ぎ先が代わっただけで、予定に大きな変わりはない。


「あら、まだこちらにいらしたのですか」


 屋敷の玄関ホールでレイシャたちが話しているとそこへエレーナがやって来た。

 

 エレーナは先ほどの会談で来ていたドレスではなくなっているので、一度部屋に戻って着替えて来たのだろう。


「ああ、婚約者になったとはいえ、今まで殆ど話した機会が無かったからね。少しでも互いの事を知っておくべきだろう?」

「そうですか」


 アベルはそのように言っているがレイシャにはそのような考えはなかった。


「エレーナはどうしてここへ来たのですか?」


 少しだけ自分の考えの薄さに気落ちしながらもレイシャはエレーナに問いかけた。


「お姉さまは私の事が邪魔だという事でしょうか」

「い……いえ、そういう訳ではないのですよ。ただ、会談が終わったのにこちらに来る理由はないと思っただけです」


 エレーナの悲しそうな表情に動揺したレイシャはすぐにそう返答した。そのため、エレーナが何故ここへ来たのかを聞くことは出来なくなった。


「なら良かったです」

「ええ」


 すぐにいつもの表情に戻ったことから、何となく先ほどの表情は演技だったことに気付いているレイシャではあるが、このようなエレーナの反応は何時もの事だったため追及することはしなかった。


「レイシャ!!」


 突然、玄関ホールに声が響き渡る。


 何事かとレイシャは声のした方へ視線を向ける。するとそこにはシレスの姿があった。

 メシャル侯爵の話しによれば、シレスもイゲリス家の者たちと同じように捉えられているはずなのだが、どういう訳なのかこの場に現れた。


「え?」


 レイシャがそう声を出すよりも早く、シレスはレイシャの元へ走り出した。


 状況が呑み込めないレイシャはすぐに動くことは出来なかったが、アベルとエレーナはすぐに動き出し、アベルがシレスを取り押さえエレーナはレイシャを庇うように前に出た。


「何をする! 俺は婚約者のレイシャに会いに来たんだぞ!」

「貴方は自ら婚約を破棄したではありませんか。どうしてそのような事を言っているのでしょう」


 レイシャが声を出すよりも先にエレーナが声を出した。


「俺は薬で変になっていただけだ! あれは自分の意思ではない!」

「薬物の影響を受けていたのは事実ですけれど、あの夜会の時ではそれほど影響が出ていなかったことはわかっています。あれは紛れもなく貴方の本心でしょう? お姉さまの前では言いたくはありませんが、貴方がお姉さまのことをいつも馬鹿にしていたのは知っておりますから」


 

 エレーナの言葉にレイシャは息を呑んだ。

 対応の悪さからシレスに嫌われていることは理解していたが、いつも馬鹿にされていたというのは初耳だったのだ。


 そもそも、レイシャが最初に勘違いしたエレーナとシレスが仲がよさそうにしていた場面は、エレーナがシレスの本心を聞きだしている所だった。この段階でエレーナはシレスがレイシャの事を馬鹿にしていたことを知っており、裏どりのために会話していただけだ。楽しそうな表情をしていたのは、他に人が居る場面であったためと感情を誤魔化すために過ぎない。


「そんなの知るかよ! 俺はレイシャの婚約者なんだ! だから、だから、ベルに会わせてくれ!」


 ベルとは誰なのか。レイシャはすぐに理解することは出来なかった。しかし、シレスの言動のおかしさから、件の令嬢であることに思い至る。


「あれの名前を出さないでください。あれとお姉さまは無関係ですし、こんなことをしなくても近い内に会うことになりますよ」

「え?」


 エレーナの言葉にシレスは呆けたような声を出す。


「それと、レイシャはお前の婚約者ではない。私の婚約者だ」

「ぅぐっ!?」


 アベルがそう言ってシレスを押さえ付けている腕にさらに力を入れた。


「アベル様! 申し訳ありません!」

「今後このようなことは無いようにしてくれ」


 玄関ホールに騎士と思われる者が2人駆け込んで来た。アベルがこの場に居ることを知っていた所からしてメシャル侯爵家の関係者だと判断できる。


 呆けたままのシレスが騎士によって外に運び出されていく。それを3人は声を出すことなく見送る。


「えっと、これはどういう事なのでしょう」


 碌に反応出来ないまま、ことが進み片付いたことにどう反応して良いのかわからないレイシャはアベルにそう聞いた。


「ああ、申し訳ない。メシャル家の馬車で捕らえたイゲリス家の者を護送していたのだが、どうやら逃げ出してしまったようだ。今後このようなことが無いように指導しておこう」

「そうですか」

「ああそうだ。先にあれを取り押さえたからけがはないと思うが、気分が悪くなった、何てことはないかい?」


 未だ軽くではあるが混乱しているレイシャを気遣うよう、顔を覗き込みながらアベルは問いかける。

 視界に入るその端麗な顔立ちにレイシャは息を呑む。


「この分だと問題はなさそうですね。今はまだ状況を整理できていないだけでしょうし、あれに未練があるかもしれないと思っていたのですが、先ほどの本能からしてもそうではなさそうです」

「はい?」


 何を言っているのか理解できない。そういった表情のレイシャにアベルは笑みを返す。


「今はまだ政略によって婚約した者同士ではありますが、正式に婚姻するまでには」


 アベルはそう言ってレイシャの顔に優しく手を添えようとした。しかし、すぐにその手はエレーナによって弾かれる。


「まだ、駄目です。婚約者になったとはいえ、今日なったばかりの方がお姉さまに触れる何てことは許すことは出来ません。それに、お姉さまは私の大事な人なのですから、私が良いと思えるような方になっていただけませんとね」

「へ?」


 エレーナの言っていることが理解できなかったレイシャは、また呆けたような声を上げる。


「エレーナに認められなければならない理由が理解できませんね。私はレイシャに認めてもらえればそれで構わないと思います」

「えぇ?」


 睨み合う2人にどのような対応をしたら良いのかわからず困惑したレイシャの声が、屋敷の玄関ホールに小さく響いた。





 この薬物を使った乗っ取り計画は、主犯とされたフマ家一族を被害者の前で断罪し、処刑。被害に遭った貴族家は治療のために王宮の一部にある、騎士団の救護室に留められることになったが、治療をしたうえで貴族として活動することが困難だと判断された者は、平民に落とされたという。その中にはレイシャの元婚約者であるシレスの姿もあったらしい。


 こうしてフマ家による洗脳術、薬物を利用した婚約破棄の事件は幕を下ろした。

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