第16話

 百鬼の頬は涙で濡れていた。両親の仇を自分自身の手で討ったという高揚感。そして鬼を討てど、もう戻ってこないという虚無感。

 その二つの狭間に立たされた百鬼の心は、大きく揺さぶられた。

 鬼共と戦うと誓ったからにはもう後戻りはできない。

 けれど今日だけは今日だけは、自分の感情に素直になって泣き崩れたいというのが本心だった。

「お父さん……お母さん……私……ちゃんと二人の仇を討ったよ……」

 そう言うと激しく嗚咽を漏らした。

 むせび泣く百鬼の背中に、紅葉、修羅、清姫、羅刹が駆け寄り包み込むようにやさしく囲んだ。

「や、やったね……百鬼」

 紅葉は、すでに涙腺が崩壊していた。

「おめえ、かっこよかったぜ。アタシもあんな風に啖呵を切ってみたかったぜ」

 修羅は百鬼の髪をくしゃくしゃにかきあげ、頭を少し荒っぽく撫でた。

「伊吹さん……あなたはとても強い。私達の希望よ」

 清姫は切れ長の目に涙を溜めながら、かすれ声で言った。

「パねえよ、オニちゃん」

 羅刹のアイメイクが涙で黒ずんで、パンダのような目になっていた。

 誰もが百鬼が一番辛い思いをしてるのを理解してるからこそ、心から嬉しい気持ちが溢れた。

 これで終わりではないが、初戦としては上々の出来だ。

 一方、結界の中の古木達は、鬼と少女達の血なまぐさい戦闘を目の前で散々見せつけられ、ぐったりしていた。

 悪い夢なら早く覚めて欲しいと願っている物もいるかもしれない。

「俺達は一体、何を見せられてるんだ?」

 武井が頬が痩けたげっそりとした表情で、吐き捨てるように言った。

「俺なんて、一発撃っちゃいましたよ。 この後が怖いっすよ」

 拳銃の適正使用であったか否か、上層部からの尋問の方がよほど気がかりだと柴崎は憂鬱に浸る。

「この状況から脱出しても、鬼の死体とか明るみに出たらパニックに陥るし、鬼を斬り殺したのが未成年、それに銃刀法違反で逮捕の可能性も出てくる」

 古木は頭を悩ませた。日本は法治国家だ。正義が悪をやっつけたらそれで終わりではない。法律に乗っ取り、それが果たして適正な判断だったか……つまり正当防衛なのか、過剰防衛なのか、刀類をなぜ不法に所持していたのか等々……一つ一つ検証していかなくては、ならない。

 怪異の殺人鬼を倒してくれた少女達は、これから警察による聴取、マスコミによる過熱な報道等で、ある意味地獄のような日々が待ってるかもしれないと思うと、古木はやるせない気持ちになった。

 様々な思いが交差する結界内で、ただ事のなり行きを見守っていた男子高校生が指を差しながら、ぼそっと「あれ」と呟いた。

 一斉にその指先に視線が移る。切断された工藤の首の断面から、黒煙が立ち込めていた。

 まじまじと観察してみると黒煙は生き物の形となり、大量に形成されていった。

「お、鬼だ」

 古木が声をあげた。

 吐き出された煙は大量の鬼へ変化していていき、一つ目の鬼、手が六本の鬼、蛇、蛙、牛などの動物に似た異形の鬼等が群れを成して現れたのだ。

「おーい!! 鬼がいるぞ!!」

 結界の中から騒がしい声が聞こえ、百鬼達が辺りを見渡すと、鬼の群れにあっという間に囲まれてしまった。

「マジかよ!!」

 修羅が驚愕の声をあげると、皆が刀を構え臨戦態勢に入る。

「と、とにかく斬るわよ!」

 戸惑いの顔を見せながらも、清姫の言葉に皆が頷く。

 鬼達が次々と襲いかかる。各々はがむしゃらに刀を振り回し、斬っていく。

 鬼達はあっさりと斬られ絶命していく。どうやら工藤程の戦闘力を持った鬼ではなく、いわゆる「雑魚」のようだ。

 とにかく次々と工藤の首から放たれる鬼の群れを、斬って斬って斬りまくる。

 斬っていくうちに、身体がうまく反応してくれるようになり、ビビっていた紅葉、羅刹も太刀筋が上達していき、袈裟斬りや一文字斬りなど様々な技を繰り出せるようになっていった。

「身体が軽いし、反応できるようになってる!」

 紅葉は少し笑みを浮かべながら、襲いかかる鬼達を次々と斬り捨てた。

 百鬼は相変わらずの早業で、閃光が走るように連撃を繰り出していく。

 斬り始めてから三分は経過しただろうか。少なくとも百体の鬼が五人によって葬られた。

 やがて黒煙は消え失せ、もう鬼が出現する事はなかった。

 さすがに疲れたのか、五人はゼーゼーと呼吸を乱しながら、その場に大の字になり倒れ込んだ。

「ハァー!! ストレス発散になったぜぇー!! しかし、何だったんだよさっきのは」

 修羅が長距離でも走りきったかのような爽快な汗を流し、息を切らしながら言った。

「あれは、恐らく『邪鬼』ね。悪鬼とも言われるけど。鬼が溜め込んでいる邪念とか、憎悪が邪鬼となって放出されたんだと思う。 パパから聞いた事があるわ。 相当恨みの根深い鬼だったのね 」

 清姫が呼吸を整えながら説明をするが、こちらも汗でびしょ濡れだ。

「どんだけ恨み溜めてんのよ! おかげで手が痺れたわ」

 初めて槍を振り回したのが効いたのか、羅刹の腕は痺れでほとんど感覚を失っていた。

「百鬼大丈夫? なんか人が変わったみたいに勇ましくなってたけど……」

 紅葉は、百鬼の変貌ぶりを危惧していた。

 幼少の頃からいつも一緒にいた百鬼は、おっとりしていて、怒ったりもせず、ちょっぴり気弱で、でも友達想いの優しい子。

 その百鬼がドスの効いた声で鬼を罵り、目が追い付かない程の早業で鬼を斬り捨てた。

 白羅による潜在能力の引き上げ、鬼神の武器による影響と、頭では理解しているが、ショックの方が大きかったのだ。

 百鬼の目に少し曇り顔の紅葉が映った。

「なんかね、刀を手にしたら身体中が熱くなって、すごく気持ちが高ぶったの。そしたら感情が制御できないくらい爆発しちゃって……。後、酒呑童子様が側にいるような感覚になって、それで勢いづいちゃったというか……。自分でもまだわかんないや」

 百鬼は膝元に置いた風虎の刃先に視線を落とした。

「じゃあ、あの可愛い百鬼はまだいるんだね?ね?」

 今にも泣きそうで不安げな紅葉の顔を見て、百鬼は思わずプッと吹き出した。

「紅葉だってあんなに怖がりだったくせに、さっき鬼をブンブン斬りまくってたじゃん」

 百鬼と紅葉のやり取りで、先ほどまで鬼との戦闘でピンと張りつめていた空気が、一気に和らいだ。気がつけば皆に笑顔が戻っていた。

「あ! あれを見て!」

 何かを発見したのか、百鬼が勢いよく腰をあげ周りを見渡すと、地面に積みあがった百体程の鬼の骸から青色の炎があがり、身体を消し去っていった。

 そして消し去ると同時に、人魂なのかエクトプラズムなのか定かではない光の球体が次々と舞い上がり、百鬼達の所有するそれぞれの刀の切先に吸い込まれていった。

 最後は工藤の頭部と胴体も同様に消え去り、球体が風虎の切先に吸い込まれた。

「え……もしかして、この刀が鬼の魂を食べたって事?」

 紅葉が目を丸くした。

「この刀は恐ろしいわ。まさに鬼殺しの妖刀ね」

 鬼の魂を喰らい尽くすという、不気味さを漂わせる鬼神五刀。脅威の力を前に清姫はとてつもない武器を手にしてしまったという一種の恐怖心すら抱いた。

 百鬼は静かに目を閉じて、工藤の死体が置かれていた方向に合掌を行った。

「伊吹何してんだよ?」

 修羅がキョトンとした表情で百鬼に尋ねる。

「うん。鬼は私の両親を奪った憎い奴。でも、鬼になる前の人には罪はないと思うの」

 百鬼の言葉に皆は、はっとした。

 確かに鬼と化した工藤は、人間を殺し、喰らい残虐非道の限りを尽くした。しかし、鬼になる前の工藤浩一には何の罪もない。憎むべきは鬼人を覚醒させた者の存在だ。

「伊吹さんの言う通りね。この人は鬼になりたくてなった訳じゃないかもしれないしね」

 清姫が百鬼に習い合掌をする。

「心が痛むわね。鬼になったら元へ戻れない。そして、それが例え大切な人だとしても、斬らなきゃいけないなんて……」

 紅葉が物憂げな気持ちで合掌すると、修羅と羅刹も続き工藤浩一という人間に祷りを捧げた。

 一方この結果に対して不満を持ったのは武井だった。連続殺人事件の犯人、ましてや逃走も図っていた凶悪犯が消滅してしまったからである。

「おいおい、どうすんのよこれ。被疑者死亡のままで終わり? 上の連中それじゃ納得しないよ?」

 明らかに不服な顔で吐き捨てるように言って、煙草に火を点けた。

 それに首を振って古木が制止する。結界の中には未成年者がいるからだ。武井はハッとした顔で煙草を足元に捨て、靴底で火を消した。

「仕方ないですよ。 どのみちあんなの持ち帰ったとしてもパニックになって、日本いや、世界が揺れますよ。まぁ、被害者の家族は納得いかないとは思うが。屈辱だけど一生お尋ね者として扱われ、時効を待つのが得策です。今はね」

 鬼の存在を世界に見せつけ、世界中に激震を起こすか、逃亡した極悪殺人鬼を確保できずに、国民から非難を浴び続けるか……どちらにせよ茨の道だ。

 古木ら刑事達が頭を悩ませていると、紅葉と清姫が結界まで歩み寄ってきた。

 店員はその姿に酷く怯え、学生二人はただ黙ってそれを見つめた。

 古木は二人の姿に気付き、目を見開く。

「もう恐らく大丈夫だと思うので、結界を解きます」

 清姫は言うと紅葉に視線を向けた。

 少し困惑した表情の紅葉は、小さなため息を吐き、掌を古木達を囲む光の方向へかざした。

「け、けっかいよー、とけろー」

 まだ不慣れな口調で、適当だが適当ではない呪文もどきを唱えた。

 …………。

 結界は解けないようだ。

「な! ちょ、ちょっと! 恥ずかしい思いして叫んだのに!」

 紅葉は頬を紅潮させた。結界内の人間達に注目されながら、恥をしのんで叫んだのに。

 それから二回三回試してみるも、結界は解けず、紅葉は焦りと羞恥心でこの場から逃げ出したい気分だった。

「うぅぅぅぅぅ!! いい加減、解けろやぁ!!!!!」

 紅葉はドスの効いた渾身の叫び声をあげた。

 するとどうだろう、古木達を覆っていた青白い光の膜がスーッと消え去ったのだ。

「……四条さん、キャラか変わりすぎね」

 思わず清姫が呟く。

「全く……よ、ようやく解けたわ……手間かけ、させやがって……」

 さすがに何度も挑戦して疲れたのか、顔を真っ赤にした紅葉の息は切れていた。

「さて、大きな問題はこの異空間が鬼が死んでも消えないって事実ね」

 清姫の言うとおり、闇空間を作り上げた工藤本人が滅びても、術の効果は続いており、閉じ込められた状況は変わっていない。

「おい、なんかねぇのかよ。闇の世界を消し去る魔法とかよぉ」

 修羅が鼻をほじりながら呑気な口ぶりで言う。もう飽きてしまったのか、あくびまで出た。

「これって……」

 百鬼が何か気がついたのか、小さく呟き、こう続けた。

「これって、結界なんじゃないの? 鬼が外部から邪魔が入らないように、この空間を作ったんだよね?」

「なるほど。そう言われてみればそうかもね。って事は……」

 清姫が納得を見せると、紅葉の方へ視線を送った。

 紅葉は何かに勘づいたか、少し怪訝そうな顔を浮かべた。

「わ、私がやるって事、かな……?」

 その言葉に、この場にいる全員が大きく頷いた。

「結界を作れる者は、他の結界を崩せるはず」

 憶測の話であり、明証はないが清姫が絶対的な自信を覗かせた。

「はぁー、わかったわよ。やってみるわよ。どのみちここから脱出しなきゃいけないしねぇ」

 紅葉は、ふぅとため息を吐いて、天に向かって掌をかざした。

「ちょっと待って!」

 待ったをかけたのは百鬼だった。

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