第15話
薄暗く無風な空間の中で百鬼の目にまず飛び込んできたのは、無数の「骨」だった。
人骨なのか獣の骨なのかは、判別できなかったが、無造作に散らばっていた。
――これはあいつが食べた人の骨?
百鬼は険しい表情で、散らばる骨を見渡した。
「ど、どこだ! ここは!」
店内にいる人間全てが闇へと引きずり込まれたようで、古木が困惑の声を上げた。
店員と客も数人いたのか、店の制服を着た男性一名、帰宅途中に寄ったであろう学校の制服を着た男女二名が、唖然とした顔で立ち尽くしていた。
「ようこそ、俺の島へ。 まーた邪魔者がゴチャゴチャ入ってきたら、かなわんからな。 お前らを闇へ閉じ込めた」
工藤が手を大きく広げて、得意げな顔をした。肩に喰らった弾の傷も再生してるようだ。
「そうかい、そうかい。 ここなら思う存分てめえをぶっ殺せるなぁ」
修羅がニヤリと笑みを浮かべ、炎々龍の柄に手をかけた。
「ふっ、鬼人の小娘の分際で意気がりやがって」
工藤が握り拳を作り、ボクシングのファイティングポーズのように構えると、修羅が刀を鞘から抜き正眼の構えを見せた。
その様子を見つめ立ち尽くす古木は、狐につままれた状態だった。
鬼の存在自体、信じがたい事実なうえに、異空間に移動させられ、目の前では刀を構えた少女と鬼が対峙している。
それに、自身も鬼に襲われ、親は殺されてしまった少女もいるではないか。何故、ここにいるのか。理解が追い付かない。
もうこれ以上警察官、いや、生身の人間が踏み込める領域ではないと、屈辱的だが、そう思うしかなかった。
「でやぁぁぁぁぁ!!」
修羅がかけ声と共に勢いよく踏み込み、刀を工藤の頭上に高く振り上げた。
工藤は一瞬がら空きになった修羅の胴体めがけて、拳を放った。
その一撃はみぞおちを深くえぐり、修羅は苦痛で顔を歪めながら、体勢を大きく崩し、仰向けの状態で地面に叩きつけられた。
「ぐぅはぁ!」
胃の中が燃えるように熱くなり、思わず胃液を吐き出す。
「おいおい、何だよ。 少しはやるだろうと思ったら、動きが素人じゃねぇか。 お前、経験ないだろ?」
図星だった。白羅に武器を授かったはいいが、実戦経験は皆無。武器の使い方も、剣術の基礎もわからない。
即席でやったものの、百戦錬磨の鬼は甘い相手ではなかった。
「もう実戦を積んで慣れるしかないわ。 と言っても鬼は待ってくれない……」
清姫が焦りの顔で言うと、何かを思い出したのか、後方の紅葉に大声で叫んだ。
「四条さん! 刑事さん達と、店内に取り残された人を結界で防御して!」
紅葉は清姫の唐突な要求に困惑した。結界など張った事もないし、張り方もわからない。
「えぇ……。 ど、どうやんの?」
「白羅様が、イメージを浮かべれば何とかなるって。 あなたはもう術を使えるはずだから!」
確かにアバウトな説明だった。詠唱を行うのかと思いきや、そうなるように念じて術を展開させるなど、拍子抜けな感じがしないでもなかった。
「え、えっと……」
紅葉は自信なさげな言い方で古木達に向かって、広げた両手をかざした。
テレビアニメで観たことのある魔法使いのような動きを、見よう見真似に実行してみる。
「け、けっかいよー、あの人達をまもるのだー」
紅葉が照れくさそうに棒読み口調で言うと、目が赤色に発光して、かざした掌から青白い光か放たれた。
たちまち古木達は光の膜に包まれる。いとも簡単に結界が成立し、紅葉が目を丸くする。
「嘘でしょ?」
適当ではないが、何となく結界を張るイメージを頭に描いたら見事に展開してしまい、紅葉は唖然とした。
「もみっちかっこいい!! 私もやってみる! けっかいカモーン!」
羅刹が目を輝かせて両手を前へかざすが、何も起きない。
「ちょっと、高野先輩ふざけないで下さいよ」
紅葉が顔を紅潮させながら、頬を膨らませた。
「私達も援護しましょう!」
清姫が数珠を 打刀黒雨に変化させ、下段に構えた。
その間にも修羅は工藤に斬りかかるが避けられ、斬りかかるが避けられを繰り返していた。かすり傷どころか、刀が全く当たらない。
紅葉と羅刹も武器を出し、構えるが、間に入れず棒立ちになってしまった。
清姫がじりじりと間合いを取りながら、工藤の背後に回る。しかし紅葉と羅刹同様にタイミングが図れない。刀を構えるだけで身体中からどっと汗が吹き出した。
「おいおいてめえら、たいそうな武器持っといて素人の集まりかぁ?」
工藤は振り向き様に、清姫に向けて掌底を撃ち込む。
清姫は素早く反応し、鉄槌のように振り下ろされた掌を、大きく跳躍し、ギリギリ交わした。工藤の一撃で地面には大きな亀裂が走った。
「おお? 逃げ方は上手いようだな」
当たれば身体が吹き飛んでたかもしれない。清姫は自分の身体能力に驚いていた。これも白羅によって施された能力引き上げの効果だろうか。
しかし、慣れない動きで身体が悲鳴を上げたのか、清姫の呼吸は大きく乱れた。
「じゃあ、これはどうだ?」
そう言うと工藤の身体に黒い霧が纏わり付き、みるみるうちに姿を消し去った。
「え? どういう事?」
動揺が走ったが工藤の言った「闇を操るという鬼」という言葉を咄嗟に思い出した。周囲をキョロキョロと見渡すが、工藤の姿はない。
「清姫!! 」
修羅が切迫した声で叫んだ。
なんと、清姫の映し出した影から工藤がニョロリと現れたのだ。
一瞬の事だった。工藤の鋭利な爪が清姫の左瞼を切り裂いた。
「くっ!!」
左瞼から鮮血が飛び散った。清姫は思わず左の瞼を右手で押さえる。指と指の隙間から血が流れ落ち、左頬が真っ赤に染めあがった。
「てめぇ! 何しやがんだぁ!」
修羅が怒号を張り上げ、工藤に突進していった。
が、工藤の口から黒い霧が吐き出され、修羅の身体をすっぽり覆った。
「おい! 何だこれは! 目の前が見えねぇ!!」
視界を奪われた修羅は、闇を払おうと、ブンブンと刀を振り回す。
「お前は闇に飲まれたのさ! もう何も出来やしない。そんなに振ったら謝っててめえ自身を斬っちまうぞ」
工藤は影に潜む事も出来れば、闇を展開できる程の鬼術の使い手だった。まともにやりあっても勝てる所か、ダメージすら与えられない。
紅葉と羅刹の斬りかかる隙間は、全く作れない。二人は緊張と絶望に呑まれ、呼吸を荒げた。
清姫は後ろへゆっくりと後退しながらフゥーフゥーと呼吸を整えるように、息を吐き出し傷が再生するのを待った。
気づくと苦痛に満ちた絶叫が聞こえた。
羅刹だ。工藤は羅刹の影に潜り込み、姿を現すと素早く頭上に爪を振り下ろした。
羅刹の額がぱっくりと割れ、縦に彫られた傷口からドロッとした血が溢れた。
「い、痛ぇ!!」
羅刹はあまりの激痛に、その場に倒れ込んでしまった。
それを見ていた紅葉はより一層、切迫感に襲われた。次は自分だと。
急襲されるのを仮定して、己の影が映し出される方向に向けて、ガムシャラに刀を振り回した。
しかし、工藤は横で倒れ込んだ羅刹の影を利用して、紅葉の背後を襲った。
紅葉のブレザーの背が爪による攻撃で切り裂かれ、露出した肌から鮮血が舞った。顔を歪ませた紅葉が、膝を付いて倒れる。
影を自由自在に行き来し、闇を作って相手を無力化させる工藤になす術がなかった。
ヤケクソなのか修羅が視界が閉ざされた状態で、刀を滅茶苦茶に振り回した。運良く工藤に当たれば、と思っての行動か。
「待って!!」
声が聞こえた。全員がその声の方向に視線を向けると、百鬼だった。すでに短刀風虎を右手に握りしめている。
「この鬼は術を使う度に疲弊している。呼吸がだんだんと荒くなってるのがその証拠よ。 だからむやみに攻撃しないで! 必ず隙が生まれる」
刀を振り回してた修羅の腕が止まった。
さらに百鬼が続けた。
「こいつは武器の恐ろしさを知っている。 だから束になってかかって来られたら勝機が薄れるから、闇を操作して、一人一人いたぶって弱らせていたのよ」
「何を小娘がぁぁぁ!!」
工藤が怒気を含んだ声をあげ、煙状の闇から姿を現した。確かに肩が大きく上下に動いている。
「図星でしょ? ほら、呼吸が乱れてる。 余裕ぶってネチネチと攻撃してたけど、そろそろ限界じゃない?」
百鬼は微笑を浮かべ、挑発するように言った。
「冷静に喋って随分と余裕だなぁ! てめえを先にぶっ殺してやるわ」
工藤が巨体を揺らし、大きく跳躍した。百鬼めがけて、立てた鋭い爪を大きく振り下ろす。
瞬間、百鬼の目が淡い赤色に発光した。それは今までとは違い、まるで獣が獲物を狙うかのような鋭い眼光だった。
そして、一瞬だった。工藤の振り下ろした右腕が切断され、鈍い音をたてて地面に崩れ落ちた。
百鬼はカチャッという音を響かせ、刀を鞘に収めた。
皆、何が起きたのかすぐには理解ができなかったが、百鬼が涼しげな顔で工藤を見下ろしている姿を見て、理解した。
工藤の腕は瞬時にして斬り落とされたのだ。
百鬼の視線の先には、切断された切り口から血が噴射し、苦悶の表情を浮かべながら両膝を付く工藤がいた。
「ひ、百鬼……だよね?」
傷の再生が始まり、背中の血も止まりかけた紅葉が、目をしばたたかせる。
別人のように豹変した百鬼の姿に戸惑いを隠せなかった。術が解けたのか、身体から靄が消えた修羅も目を見開く。
「こ、これが酒呑童子の血……!?」
清姫は激しく驚愕した。
普段の百鬼とは想像がつかない程の貫禄、威圧感そして狂気。この場の誰もがその姿に圧倒されていた。
「やべぇ……オニちゃんカッコいい~!」
羅刹は感動を覚えたのか、見惚れたような眼差しを百鬼に送った。
百鬼は工藤を嘲笑うかのように、地面に転がる腕を踏みつけた。
「私をぶっ殺すんじゃなかった? 何座ってんの?」
冷酷な口ぶりで工藤を見下ろす。
「く、くくく……て、てめえ、ただの鬼人じゃねぇなぁ」
あまりの激痛で脂汗をどっと流した工藤が、百鬼を睨み付けた。
「どうりであの時、圧力がハンパなかった訳か。 俺も鬼になってから身体が不完全体だったから、リスクを犯してまで追い込めなかったが……」
工藤が百鬼を襲撃した時、とどめを刺さなかった理由は、百鬼が無意識に放った圧力に屈したという事らしい。
「あれから身体がようやく慣れてきて、人間を喰らったけどやっぱり小娘の肉は最高だ。 ぷりぷりして口の中でとろけてよぉ」
唐突に語りだした工藤に少し違和感を感じ始めた百鬼だが、そのまま黙って冷ややかな目線を浴びせ続けた。
「あー、おめえの親は不味かったなぁ。 父親の腕喰ったけど、不味すぎてよぉ、母親の脳ならどうかと思ったら、これもくそ不味くて喰えたもんじゃなかったぜ」
百鬼の眉がピクリと動いた。
「このぉぉ!! くされ外道がぁ!!」
工藤の不愉快な語りに、修羅が怒りで顔を紅潮させ、工藤の背後から刀を振り上げた。
「待って!!」
百鬼の制止に修羅がピタリと動きを止め、刀を静かに下ろした。
「こいつは私が殺る」
親を侮辱され、怒りの感情がふつふつと沸き上がる。
「べらべらとよく喋る奴だな。お前、わざと興味を惹かせる話をして、腕が再生する為の時間稼ぎをしてるだろ?」
指摘する通り、工藤の腕の切り口がボコボコと波を打ち、すでに細胞の修復が始まっていた。
「さぁて、そいつはどうかな……」
言った矢先に、新たな腕がボコっと生えだした。工藤は一瞬ニヤリと笑みをこぼし、百鬼に向かって口から黒い霧を吐き出した。
百鬼の身体に黒い霧が纏わり付く。
この時を待っていたのか、視界を閉ざされたであろう百鬼の首めがけて、手刀を撃ち込んだ。
決まったと思った工藤だが、目に映る世界が一回転、二回転、三回転とぐるぐる回っていた。
その世界には、仕留めたはずの百鬼が無傷のまま、こちらを見つめていた。
そして視界には百鬼の足元が映し出されていた。
理解が追い付かない。そして首元が燃えたぎるように熱い。
そこで工藤の意識は途絶えた。
百鬼は無表情のまま刀を鞘に収めた。
転がる工藤の頭部を見つめたまま。
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