第12話

 百鬼の視線の先には、変わり果てた四郎の姿があった。

 両腕は切断され、切り裂かれた下腹部からは腸が露出し、全身を血で真っ赤に染め上げた四郎が、仰向けで倒れていた。

 壁面と積まれた段ボールには血しぶきがべっとりと付着している。

「ぎゃあ!!」

 まず声を上げたのは紅葉だった。おびただしい流血から生臭さが立ち込め、思わず口を両手で覆うが我慢しきれず嘔吐した。

 床は吐瀉物と血が入り交じり、ますます悪臭を漂わせた。

 百鬼は声を発せずただ呆然と立ち尽くす。目の前の現実と自分の思考が追い付かないといった様子だった。

 そしてもう一つの絶望がやって来る。

 二階へと続く階段の前に、頭部がパッカリと割れ、脳を床にぶちまけた佳代が横たわっていた。顔はドーランを塗ったように鮮やかな赤に染まっている。

「なによ……これ……」

 顔面蒼白の百鬼は、言葉を振り絞るように発した。すでに失禁をしていたようで、ジーパンの股間部分がじんわりと濡れていた。

 まさに地獄絵図だった。切り裂かれ、損傷した傷口から様々な臓器が、床に散乱している。

 恐怖と絶望の波が辺り一面を飲み込み、心臓の鼓動が耳をつんざくように百鬼の頭に鳴り響く。

「……さん……お父さん……お母さん……」

 佳代は一目見て、手遅れだとわかった。カッと目を見開き微動だにしない。四郎は少し息があるようで、肩が小刻みに上下していた。

「百鬼か?」

 四郎が今にも消え入るようなかすれ声で百鬼を呼んだ。

「お父さん……何これ? どうなってるの?」

 震える足でゆっくりと父の元へ近づいた。

「……にやられた」

「え? 何?」

 百鬼は息も絶え絶えに訴えかける四郎の口元に、耳を近づけた。

「お……鬼に……やられた」

「え!そんな……!」

 激しい動悸で意識が飛びそうになった百鬼は、必死に唇を噛み締めた。

「ねぇ! お父さん! しばらくすれば回復するんでしょ! 鬼人なんだから回復するんでしょ!」

 噛んだ唇から血が滲んだ。

「でき……ない」

「できないって……何でよ!」

「き……じんの能力は……親から子へ……継承される……。わ、わたしにはすでに……その能力は……ない」

 四郎の思いもよらぬ告白で、頭を鈍器で打ち付けられたような衝撃が走った。

「嘘……でしょ」

 もう助からないという事実を突き付けられ、目の前に闇が広がっていく。

 鬼人の自己再生能力で、助かるだろうと僅かながらの期待を抱いていたが、それは一瞬のうちに打ち砕かれた。

「ひゃっ……き……強く……いき……ろ……」

 最後の力を振り絞ったように四郎の声はそこで途切れた。

「お父さん! 死なないでよ! 私を置いていかないでよぉぉ!!」

 百鬼の溢れ出る涙が四郎の頬を濡らした。息も途切れ、もう動かない。

「うわぁぁぁぁぁ!!!!うわぁぁぁぁぁ!!!」

 獣の咆哮のような慟哭が響いた。

 紅葉は目を見開きながらゆっくりと百鬼の元へ、にじり寄った。

「あんまりだよ……こんなのってあんまりだよぉ!!!」

 紅葉は叫び百鬼を強く抱きしめた。百鬼もそれに応じ、互いにむさぼるように抱き合った。

「お父さんお母さんが何したっていうのよ!! 何でこんな目にあわなきゃいけないのよぉ!!!」

「ひゃっきぃ~ ! ひゃっきぃ~! うぅぅぅぅぅ!!」

 二人の絶叫に気づいたのか、客の一人がバックヤードに入り、血と臓器が飛び散った惨劇を目の当たりにすると「うわぁぁ!」と大声を上げた。

「き、救急車!救急車!」

 客が、慌てふためきながらスマートフォンを取り出した。

 まさに阿鼻叫喚の地獄がそこにあった。



 ***

 四郎と佳代の葬儀はしめやかに営われた。

 故人の親族、鬼導教の一部信徒のみの参列で密葬という形で行われた。 鬼導教では葬儀の事は「帰還式」と呼ばれている。魂の帰還という意味合いを持っている。

 魂は黄泉の国へ還り、鬼神として甦り自然界を司るというのが鬼導教の教えである。

 開祖の白羅は元々黄泉の国の住人で、日本列島を作ったと言われている女神‘’イザナミ"という原初の鬼の配下であった。

 イザナミは様々な鬼神を生み出し、それらは長い間、自然界を統治していたという伝説がある。

 二人の棺の前では、鬼導教専属の僧侶が「鬼導書」という白羅の教えを記した書物を読み上げている。

 佳代は純粋な人間だが、四郎と結婚後は鬼導教に入信した為、同じ形式で葬儀が執り行われていた。

 式典中に取り乱すと心配されていた百鬼は終始、気丈に振る舞っていた。

 しかし、泣き腫らした顔と痩けた頬が、事件後相当の憔悴ぶりであった事を物語っている。

 参列者の多くは、百鬼の顔をまともに見れなかっただろう。

 両親を失くした百鬼を巡り、四郎と佳代の親族間で、誰が引き取るかでちょっとした揉め事になっていた。

 その件もあり、親族間では険悪な雰囲気が漂っていたが、百鬼は落ち着くまで紅葉の家に厄介になる事を選択した。

 紅葉の父、誠も快く引き受けた。経営するスナックは深夜帯の営業になる為、紅葉は毎夜一人で過ごしていたが、話し相手になるしお互い寂しい思いをしないだろうと大賛成した。

 式典後、両親の遺体は火葬場で焼かれた。十四年間寄り添ってくれた最愛の人間が、一時間程で灰になり、骨だけが残る。

 あっという間だ。もう、あの笑顔も見れない。暖かい体にも触れる事ができない。

 百鬼はここでも涙一つ見せず、淡々と骨上げを行った。

 箸で骨を拾い上げ骨壷に納める百鬼の横顔を眺め、思わず紅葉が嗚咽を上げた。

 紅葉、清姫、修羅、羅刹の四人は、百鬼の強い希望で、火葬の儀に立ち会ってもらっていた。

 いつもは仏頂面の修羅もこの時ばかりは、沈痛な表情で儀式を見つめていた。

 清姫と羅刹はハンカチで目元を何度もぬぐった。 百鬼の動作一つ一つに哀愁が漂い、見ているだけで目頭が熱くなった。

 骨上げが終わり骨壷は白い布で包まれ、百鬼はそれを両手で抱え込むようにして持った。肩が小刻みに揺れていた。

 緊張の糸が切れたのか、百鬼の瞳から涙が流れ落ちていた。

 十四歳の少女が、両親を同時に失くした。残酷すぎる現実が周囲を大きく飲み込んでいき、参列者からすすり泣く声が聞こえる。

 すると悲哀に満ちた空気の中、百鬼が四人の元へ歩み寄って行った。それは、しっかりとした足取りだった。

 突然の行動に、四人は動揺した表情を浮かべた。

「おいおい、どうしたんだよ急に」

 修羅が隣に立つ清姫の耳元で囁く。

 百鬼は四人の前で止まった。

「私……やるよ」

 百鬼のくぐもった声が聞こえた。

「やる? 何をやるの?」

 目を腫らし、頬を紅潮させた紅葉が鼻をすすりながら尋ねた。

「鬼と……戦うよ」

 そう言った百鬼の目は、淡い赤色に染まり発光していた。

「い、伊吹! お前」

 修羅は百鬼の目の発光に驚きを見せたが、すぐに鬼人である事を思い出した。

「百鬼……! 私もやる! 悔しい!」

 紅葉が両手で百鬼の右手をぎゅっと握った。百鬼もそっと握り返す。

「同意。 もう躊躇する理由なんてなくなったわ」

 清姫は力強い視線を百鬼に送った。

「マジ、 オニちゃんのお父さんお母さんの仇討つべ」

 羅刹の一見軽そうに聞こえる言い方だが、そこには闘志がこもっていた。

「バ、バカヤロー! ここまでされといて黙ってられっか! ア、アタシもやってやらぁ!」

 修羅は少し照れくさそうにしながらも、皆の意見に同調した。

「ありがとう。 でも、私の為とかじゃなくて、お父さんお母さんみたいな被害者をこれ以上増やさない為に、一緒に戦ってほしい」

 鬼人の覚醒化がこれから増えていくのを見越し、先の戦いを据えている百鬼の表情は、つい最近までの見せていた沈みきった顔ではなく、意を決した顔に変化していた。

「わかってるよ。 でも、まずは両親の敵討ちでしょ?」

 紅葉が涙を拭い、百鬼の肩をポンと叩いた。

「うん!」

 いつの間にか目の発光が消え、真っ直ぐな瞳を見せた百鬼に四人は勇気を貰っていた。

 戦う事に躊躇いを感じていたが、百鬼の両親が鬼に殺害されるという最悪な出来事が、皆の気持ちを一つにしてしまうという結果になってしまったのは、なんという皮肉な事だろうか

「よし、そうと決まったら白羅様に会いに行かねぇとな!」

 修羅がパチンと手を軽く叩き、清姫の方に目をやった。

「わかってるわ。 パパにお願いしてまた送ってもらわないとね」

 清姫の言葉に百鬼が頷く。

「もう迷わない 」

 上空にかかった夕焼け雲を見上げ、誓うように百鬼が呟いた。

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