第7話

 清姫の直球すぎる一言に、二人の顔がみるみるうちに強ばる。

「な……な」

 紅葉は、うまく言葉が出ない。

 不意打ちにも程がある。

 まるで、地獄の使者が死刑宣告を告げに来たかのようだった。

「あの、黙ってないで質問に答えて欲しいのよ」

 清姫が、冷たい目でじりじりと追い詰めて来る。

 しかし、はいそうですなど安易に答えられるはずもなかった。

「いやぁ、何を言ってるのか、わかんないんだけど?」

 百鬼は、脂汗を背中いっぱいに流しながら、シラを切った。

「とぼけたって、無駄よ。」

 清姫は、髪の毛先を指でくるくると巻き付けながら、鋭い視線を送ってくる。

「ち、ちょっと! 何よ! やぶからぼうに! 失礼でしょ!」

 怒鳴る紅葉だが、明らかに動揺していた。

「あなたたち、重傷を負ったのに、ケロッと回復して一日で退院したわよね。これは、明らかに鬼の治癒能力よ」

「何で……そこまで詳しく?」

 百鬼は、観念したように恐る恐る聞いた。

 清姫はふっと微笑んで、言った。

「私も、鬼人だから」

 ―― 待って待って待って! 思考が追い付かない! 八瀬さんも鬼人?

 百鬼は、混乱のあまり目をパチクリさせた。

 紅葉は口を手で覆い、固まっている。

「見せてあげるわ」

 清姫はそう言って、ブレザーの内ポケットから、カッターナイフを取り出した。

 ―― 何? 何? この子、何してんの?

 驚きで立ち尽くす二人をよそ目に、清姫は淡々とした表情で、左袖を捲り、手首にカッターの刃を突き立てた。

 そして、ジワジワと力を込めて刃を皮膚に食い込ませた。

「嫌ぁ!」

 百鬼が思わず目を伏せる。

「ちょっと……何やってんのよ、あんた!」

 紅葉は、叫びながら膝をガクガク震わせ、目を見開いた。

 溢れ出る血が、緑色の床を真っ赤に染める。

「黙って見てて」

 足下には血だまりが出来ていた。それを見た紅葉は、吐き気を催し思わずえづいた。

 唐突な奇行に、百鬼は恐怖を感じたが、目をゆっくり開いてみると清姫の手首の血はすでに止まっていた。

 横にパックリと開いた切り傷も、綺麗に塞がっている。

 傷は瞬く間に消え去った。

「どう? これが鬼人特有の自己再生能力よ。 少々の傷なら、すぐ治る。深い傷だったら、ほっといても二~三十分程度で治っちゃう」

 百鬼が重傷を負った際、搬送中の救急車で、急速に再生できたのは、この能力だったらしい。

 しかし、驚きの事実はそれだけではなく、清姫も鬼人だという事だ。

「な……何で、あんたは自分が鬼だっていう事を知っているの? 」

 胃酸が込み上げて、不快な腹部を押さえながら、紅葉は言った。

「鬼人ね。親から聞かされたに決まってるでしょ? あなたたちも、聞いたんでしょ? 」

 百鬼は小さく頷いた。

「しかし、よく生きて帰れたわね」

「それはどういう意味なのかな?」

 百鬼が言うと、清姫はハァーと息を吐いた。

「鬼は、獲物を絶対に逃がさない。喰うか、殺す。でも、あなたたちは、怪我を負わされたとは言え、生きて帰った」

「ちょっと、待ってよ! 私達を襲ったのが鬼だって、その根拠はどこにあるのよ!」

 紅葉が、苛立ちながら強い口調で清姫に詰め寄る。

「ちょっと……ね。」

 清姫は言葉を濁した。

 その時、紅葉は、清姫の胸ぐらを掴みあげ、そのまま背中をフェンスに叩き付けた。

 清姫の顔が一瞬、歪む。

「ふざけんじゃないわよ!」

 紅葉が怒りの目で、睨み付ける。清姫はそれに冷たい視線で対抗する。

「あんた、何が言いたい訳? さっきだって、手首切って自分の能力見せびらかせたり、何もかも知ってるみたいに、上から目線で言ってきたり!」

「紅葉! ダメだよ! やめて!ね!」

 百鬼はいきり立つ紅葉を、必死でなだめる。

「あんたらは鬼人だから、人間じゃないから、私と同類だからって言いたい訳?」

 激しく怒りがこみ上げる。

「ちょっと、離してくれない?」

 清姫が淡々とした口調で言うが、紅葉は力を強める。

 そして、百鬼が止めに入ろうとした時であった。

 清姫の目が黄色く発光した。と同時に、紅葉が苦悶の表情で、うなりだした。

「う……く、く、ぐぅー……」

 紅葉が苦しさのあまり、思わず手を離す。

「ゲホッ! ゲホッ!」

 激しく咳き込む紅葉に、百鬼が駆け寄る。

「も、紅葉! ちょっと、大丈夫?」

 清姫はシワになった襟とネクタイを直し、唇を噛んだ。

「八瀬……さん?」

 百鬼は、目を大きく見開き清姫を見た。目の発光は消えていた。

「あんた、今……何やったのよ!」

 喉を押さえながら、紅葉が怒鳴る。

「四条さんが聞き分けがないから、ちょっとやり返したわ」

 清姫は髪からシュシュを外し、毛先を丁寧にまとめて再び結んだ。顔は少し紅潮している。

 しばらく沈黙が続いた。紅葉のハーハーという、荒い息使いだけが聞こえる。

「あ、あの!」

 最初に沈黙を破ったのは百鬼だった。

「八瀬さんの目が光ったんだけど、私達を襲った鬼と一緒だった。それは何が起こったの?」

 百鬼は無意識に、鬼に襲われた事を自ら漏らした。

「目の発光は、鬼が力を発揮している時に現れる印? みたいなものね」

 清姫が自分の目に、人差し指を当てて言った。

「発揮って、あんた私に何をしたの?」

 少し落ち着きを取り戻した紅葉が、眉をひそめた。

「"精神感応‘’の一種よ」

「え? 何よそれ」

「俗に言うテレパシーね。 さっき、四条さんに行ったのは、精神に介入して、首を絞める暗示をかけたの」

 紅葉が首に手を当てて、目を見開く。

「確かに、首が絞めつけられるように苦しかったわ」

「安心して。あくまで暗示をかけて、脳に錯覚を覚えさせただけよ。死んだりはしないわ」

「いや、殺されても困るし。しかし、鬼人てのは、えげつない能力を持ってるのね」

 紅葉が呆れた表情で、ため息を吐いた。

「ごめんなさいね。二人とも動揺させちゃって」

 急にしおらしく謝る清姫だが、顔は無表情のままだった。

「あの……私達も自分達が鬼人だって知ったのは、つい最近で……」

 百鬼の言葉に清姫が一瞬、ハッとした表情を見せた。

「そう……だったのね。まだ気持ちの整理もついてないのに、いきなりすぎたわね」

「本当だよ。ったく」

 紅葉が口を尖らせる。

「今日ここへ呼んだのは、怒らせる為でも、能力を自慢する為でも、ない。ちょっと、厄介な事が起きてね」

「厄介な……事?」

 百鬼の顔が曇り出す。

「ええ、鬼人たちの覚醒が始まってるんだよね」

 覚醒という言葉を聞いて、戦慄が走った。病室での会話にも、犯人は覚醒した鬼の可能性があると……。

「もしかして、私達を襲ったやつ以外にも、鬼がいるって事?」

 紅葉が、唇を噛む。

「その通り。この事件は単なる始まりに過ぎない。これからどんどん、こういう事件が起きる可能性が高いわ」

「どう……しよう」

 百鬼が俯きながら、小声で行った。

 屋上に吹き込む冷たい風が、身に染みる。

「共闘して欲しいの」

「え?え?」

 百鬼の理解が追い付かない。紅葉もポカンとした表情だ。

「えーと……よく聞こえなかったんだけどぉ。今、何ておっしゃいました?」

 動揺のせいか、百鬼の言葉に敬語が混じる。

「共闘よ。一緒に戦って欲しいの」

「誰と戦うの?相手は?」

「鬼よ」

「はぁぁぁー???」

 百鬼は口を大きく開いた。紅葉は呆れた顔をしている。

「無理、無理、無理、無理! 戦うって、あんな化け物とー? いや、無理、無理、無理、無理」

 百鬼が頭を大きく振る。

 清姫は、小さくため息を吐いた。

「さっき、鬼は獲物を前にしたら必ず仕留めるって言ったわよね?でも、途中で消えた。考えられる理由として、目の前の獲物から脅威を感じ、逃げ出した。鬼は自分より明らかに強い相手には、勝負を挑まない」

「え? それって、もしかして」

 百鬼は全身に鳥肌が立つ感覚を覚えた。

「そう、そいつはあなたたちから脅威を感じ取って逃げたのよ」

 清姫は、二人に強い視線を送った。

「待ってよ……。私達にそんな力が?」

 百鬼と紅葉が見つめあう。

「明日、学校休みよね?」

「う、うん」

「私の家に来て欲しい。話の続きはそこでするわ」

 清姫の話で、どんどん自分の真実に、近づいてきてるのがわかった。

 知るのは正直怖いが、自分は何者なのかハッキリさせたい気持ちも強くなっていた。

 紅葉も同じ気持ちのようで、すんなりと清姫の誘いにOKした。

 ―― 鬼人の覚醒。何かとてつもなく嫌な予感がする。

 自己再生といい、鬼といい、常識が通用しない事が現実に起きている。受け入れる事に躊躇はするが、もう覚悟をした方がいいのかもしれない。

 百鬼は腹をくくる決心をした。



 ***

 すでに、新な犠牲者が出てしまった。

 深夜、帰宅途中の女性が、何者かに襲われた。

 現場は人通りの少ない、閑静な住宅街にある公園。シーソー、ブランコ等の遊具が置かれた、昼間には子供たちの声で賑わう児童公園だった。

 女性は、砂場の上で両腕が噛み切られている状態で、遺体として発見された。

 死因は失血死。

 工藤逃亡から、三日が経過していた。

 捜査員達は、焦っていた。警察庁から厳命された、二十四時間以内での確保も虚しく、時間だけが過ぎて行く。

 古木は、百鬼と紅葉の事件で、工藤が関わっている事だけは、わかっていたが、その後の足取りを掴む事ができず苛立っていた。

「くそ、どうなってやがる!透明人間にでもなったか! 」

 捜査一課強行班係のデスクには、捜査員達が、慌ただしく作業を行っていた。

 都内各所の防犯カメラにも、工藤らしき人物が映っていなかった。

「ようやく特別手配出ましたね」

 柴崎が、PCの画面に目をやりながら言った。

 特別手配とは、社会的に著しく危険性が高く、治安に重大な影響を及ぼす凶悪犯が対象となる。主に殺人、テロなどだ。

「熊か虎、それ以上の相手だろ? おとなしく拘束なんかされる訳ないっつーの。こんな拳銃役に立たねぇし、MP5を貸してくれって部長に言ったら、怒鳴られたよ」

 武井が煙草の煙をくゆらせながら、愚痴った。

 MP5とは、特殊急襲部隊(SAT)が装備する短機関銃だ。

「上の連中は、現場が見えてませんからねぇ。いくら説明しても取り合ってくれないし」

「愚痴ってても始まらん。俺は危険が及ぶと判断したら、躊躇なく射つ。責任を取る覚悟は出来ている」

 古木は、はなから確保を考えていなかった。すでに四人も無差別に襲っている怪物に、並の手段は通用しない。

「さすが、警部! 一生付いてきます」

 柴崎が茶化す。

 すると突然、捜査一課長が大声を上げた。

「今回の被害現場は、西区! 奴がその近辺に潜入してる可能性が高い!そこを中心に徹底的に捜索しろ!! 」

 まるで雷親父のような怒号で、捜査員達を鼓舞する。皆、一斉に「ハイ !!」と大声で返事をした。

 次々と出て行く捜査員達の後を追うように、古木は上着を羽織り、刑事部屋を飛び出して行った。

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