第6話

 検査を諸々終えて、退院した百鬼は翌日、四郎の運転する車で中学校へ登校した。

 車内では、あまり会話がなかった。

 実は帰宅してから、両親とぎくしゃくしてしまったのである。

 鬼の話は一切しないようにと、両親が気を遣ってるのをひしひしと感じ、居心地が悪かった。

 しばらく伊吹家は、その話はタブーになりそうだ。


 百鬼が二年三組の扉を開けると、すでに朝の会が始まっていた。

 担任の池内がちょうど、出欠を取っている最中だったが、百鬼の姿を見た生徒達が「おおー」という歓声を上げた。

「おかえり! 百鬼!」

「百鬼! 心配してたんだよ!」

「伊吹ー! ケガ何ともなかったのか?」

 生徒達が、心配そうに次々と話しかけてくる。

 百鬼は、少し苦笑いを浮かべながら「大丈夫、大丈夫」と皆に言った。

「伊吹、先生は心配したぞ! 通り魔に襲われてケガしたって聞いてたから」

 池内が胸に手を当てながら、言った。

「でもよぉ、誰だよ? 伊吹が大怪我して死にそうになってるって、デマ流した奴は!」

 丸刈りの男子が、池内の顔をわざとらしく見ながら、まくし立てるように言った。

「いやぁ、そう聞いたんだがな。」

 池内が困った様子で、頭をかいた。

 ―― いや、実際死にかけたんだけどね……。

 死にかけたけど、すぐに治りましたなど、言えるはずもなかった。

 生徒達が、ワイワイと騒いでる中、紅葉の姿が目に入った。

 少し暗い表情で俯いていたが、百鬼と目を合わせると、笑顔で小さく一回頷いた。

 百鬼は、紅葉の顔を見て安心し、少し込み上げるものがあったが、堪えてコクっと頷く。

 清姫は、相変わらず机に顔を伏せて、寝ていた。

 百鬼が自分の机に向かおうとすると、教室の戸が開き、教頭の倉木が顔を覗かせた。

「伊吹さんと四条さん。警察の方がお見えになっててね、是非、お話を聞かせてくれって」

 ―― あぁ、そう来たか

 近々、警察の聴取があるだろうと、予測はしていたが、鬼に襲われたと言って、信じてもらえるだろうか。

「わかりました。すぐ行きます」

 百鬼はそう言って、紅葉と共に教室の扉へ向かった。

 後ろには、教室を出ていく二人に視線を向ける、清姫の姿があった。


「失礼します」

 二人は、教頭に連れられて応接室に通された。

 中に入ると、テーブルに二人の男女が並んで座っている。

 三十代半ばくらいのダークグレーのスーツを着た男と、二十代くらいの、黒のジャケットを着た女だった。

 男は端整な顔立ちで、俗にいうイケメンタイプ。女は、ショートカットの美人で、カップルだと言われても違和感がないくらい、美男美女だ。

「どうぞ、お掛けになって下さい」

 女にそう言われたので、二人はテーブルに着いた。

「私、警視庁の古木です」

「同じく、近藤です」

 二人はそう言って、警察手帳を見せた。

「はい……」

 緊張気味の百鬼は、かすれた声で言った。

 紅葉は、無言で俯いている。

「早速なんですが、二人は一昨日、事件に合われたという事で、怖い目にあったとは思うんだけど、今日は当時の状況を、詳しく聴かせてもらいます」

 古木は、目の前のコーヒーカップを持ち上げ、口に付けた。

 近藤は記録係なのか、ノートPCを開いて文字を打ち込んでいる。

「じゃ、始めますね。犯人は当日、どういう感じで現れたのかな?」

 古木が柔らかい口調で言った。

「家に帰る為、通学路を二人で歩いてたら、前から歩いて来ました」

 それから、犯人の服装、武器の所持の有無、性別等、事細かに聴いてきたので、覚えている範囲で受け答えを続けた。

 近藤のカタカタという文字を打ち込む音が、途切れなく響いた。

 紅葉は、俯く一方で何の反応も示さない。

「空き家に連れ込まれて、何をされた?」

「えーと、さ……」

 百鬼は言いかけて、言葉を飲んだ。

 刺されたと言えば、何故傷がないのかと、疑問に思われる。

 何とか誤魔化せないものかと、必死に考える。

「お、お尻を触られました」

 百鬼が、思いつきでとっさに答えた。

「触られた?」

 古木の眉間がピクっと動いた。

「はい、触れたり、頬を舐められたりしました」

 百鬼は自分の言葉が恥ずかしくなり、顔が紅潮した。

「おかしいなぁ。刺されたんじゃないのかな?」

 古木が、疑いの眼差しを向ける。

 ―― うわぁー、さすがに苦しかったか。でも、 刺されたらこんなに早く、退院できないよねぇ。また別の意味で疑われる。

 百鬼が並べた苦し紛れの虚偽の証言は、とっくに古木に見透かされたようだった。

「刺されて出血が酷かったって、救急隊員に聴いてるんだよねぇ。現場にも大量の血痕があったし。でも……貴方の身体は何ともないね」

 ―― さすがにバレてるかぁ

 古木が、眉間にシワを寄せ、コーヒーカップに口を付けた。

「じゃぁ触られた時、相手はどんな感触がした? 例えば、爪が当たってたとか」

「爪が……伸びてました」

 紅葉が、急に口を開いた。

「伸びてた?」

「はい、長めです。」

「後、特徴なかった?」

「目が……光ってました」

 紅葉の言葉に強く反応したのか、古木の目を見開いた。

 ―― 刑事さん、反応した。見覚えがあるとか?

「私も……目が光ってるのを見ました。赤く、光ってました」

 百鬼が言い終えると、古木が急に立ち上がった。

「古木さん?」

 隣でPCを打ち込んでいた近藤が、驚いて、古木の顔を覗き込んだ。

「やはり、 あいつか。ごめん!」

 そう言うと古木は、慌てた様子で、部屋を飛び出してしまった。

 三人は呆気に取られ、しばらく沈黙が続いた。

「あの……もういいんですか?」

 百鬼が言うと、近藤がフゥとため息を吐き、PCを閉じた。

「ごめんなさいね。あの刑事さん、すぐに周りが見えなくなる所があるの」

「はぁ……」

「今日はありがとうね。 事件から日があまり経ってないのに、辛い事を思い出させちゃってごめんなさいね」

 近藤がPCを鞄に詰め、帰り支度を始めた。

「いえ、お役に立てなくて」

 百鬼が、申し訳なさそうに言った。

「そんな事ないわよ。あの刑事さんには、十分だったんじゃない?」

 そう言って、近藤は手を小さく振りながら部屋を出た。

 それを見送った百鬼は、深々とため息を吐き、椅子に腰をおろした。

 紅葉も小さくため息を吐き、虚ろな目で窓の方を見つめた。

「ねぇ、百鬼……。私これからどうなっちゃうんだろう」

 紅葉が弱々しく言った。

「え? どうなっちゃうって?」

「あの時は、受け入れるしかないとか強がっちゃったけど……本当は怖いよ。自分が普通の人間じゃないって、現実が」

 やはり紅葉も心の中で葛藤してたのだ。こんな非現実的な事実を、いきなり突き付けられたのだから。

 将来、好きな人ができたら、果たして打ち明けられるだろうか。

 常にジレンマを抱えながら、生きていくのだ。その覚悟ができるのだろうか。

 しかし、一人で抱えていく必要は、ない。共有できる仲間がいるのだから。

「紅葉の気持ちはわかるよ。だって、私もそうなんだから! だから……一人じゃないんだよ」

 その言葉に紅葉は強く反応した。百鬼をマジマジと見つめ、目を赤くした。

「百鬼……私、自分の事しか考えてなかった。百鬼だって、辛いのに。ごめんなさい!」

 紅葉の涙腺は決壊し、涙が止めどなく流れ出した。

「私は、紅葉と同じで嬉しいよ! 一番の……大切な友達が自分と同じなんだよ! 辛い事も、嬉しい事も全部、共有できるんだよ! 変な言い方かもだけど、紅葉で良かった」

 百鬼も溢れ出る涙と、鼻水で顔がグシャグシャだった。

 そうなのだ。一人ではないのだ。

 紅葉がいる。こんなに心強い事は、ない。

 そう考えただけで、前向きな気持ちになれた感じがした。

「ありがとう」

 紅葉は真っ赤な鼻をすすりながら、言った。


 一通り泣き腫らした二人は、応接室を出た。

 廊下にある時計は、午前十時三十分を指していた。ちょうど、二時限目が終わった時間だ。

 教室のある二階へ向かう階段に差し掛かると、踊場に清姫が立っていた。

 二人を観察するように、上から下まで舐め回すように見始めた。

「あ、あの……八瀬さん?」

 清姫の視線に耐えきれず、百鬼が困惑する。

「ふーん……。二人ともさぁ、放課後に、屋上まで来てくれないかしら?」

「え? き、急に何で?」

 百鬼は、思いもよらない清姫の誘いに、動揺する。

 紅葉は怪訝な表情で、清姫に強い眼差しを向けた。

「お話があるの。待ってるわね」

 そう言って清姫は、あくびをしながら階段を上がっていった。

「な、何なの? あの子。教室で話せばいいじゃない。同じクラスなのに。何でわざわざ、ここで」

「でも、めずらしいよね。八瀬さんから話しかけてくるなんて」

「いつもは、無愛想でほとんど喋らないくせに」

 嫌悪感丸出しの紅葉は、舌打ちをした。

「紅葉こわーい」

「だってさー、普段挨拶してもシカトするし、掃除も真面目にやらないで適当に済ませようとするし、あいつ苦手ー」

「茨木さんといい、八瀬さんといい、苦手な人多いよね」

 百鬼は苦笑いしながら、紅葉の後ろを付いて行った。


 放課後、清姫に言われた通り百鬼と紅葉は屋上へ向かった。

 部活動は、事件直後という事もありしばらく休部の許可がおりていた。

 屋上に続く扉を開くと、辺りに緑色の合成ゴムの床が、広がっていた。高めのフェンスが、全体を囲っている。

 先に入っていた清姫は、フェンスに寄りかかり、スマホを眺めていた。

 二人の姿に気づくと、スマホをブレザーの胸ポケットにしまい、無表情のまま、こちらに視線を向けた。

「でー? 何なの話ってー?」

 紅葉が、ぶっきらぼうな口調で言うと、 清姫は気怠そうに、背伸びを一回して口を開いた。

「単刀直入に言うね」

 その言葉に、二人は一気に身構える。

「あなたたち、鬼人でしょ?」

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