第5話

 紅葉は、白のブラウス、下はジャージというアンバランスな格好だった。

「百鬼……」

 声を震わせながら、ベッドに駆け寄り、百鬼を抱きしめた。

「よかったよぉ。死んだのかと思ったから、本当によかったよぉ!」

 紅葉の顔は、涙と鼻水でクシャクシャになっていた。

「紅葉……ううう……紅葉ぃ」

 百鬼は涙声で、紅葉の身体を強く抱きしめた。

「うぅぅぅぅ……うわぁぁぁぁん」

 二人はしばらく縛り付いていた緊張が解け、安堵感が込み上げ、大声を上げて泣いた。

 心を許し合える同士だからこそ、全てを吐き出すように、感情を爆発させながら、嗚咽をもらした。

「紅葉は、何も、なぐで、よがっだぁぁ!」

 百鬼が、しゃくりあげながら言う。

「わ、私もあ、アイツに切られ、たんだげどねぇぇ」

「うん……。 え?」

 紅葉の思いがけぬ言葉に、百鬼は目を丸くした。

「切られたって……。身体、何ともなってないじゃん?」

「……うん。でも、百鬼の方が酷かったのに、今は治ってんじゃん?」

 二人は、しばらく見つめ合う。

「ん?」

 百鬼が瞬きを二回する。

「意味わかんないよ。私も襲われて、死にそうなくらい痛くて、血がいっぱい出たのに、何ともなってなくて、紅葉も切られたのに、何ともなってない。いやいや、意味不明」

「うん、私も意味不明」

 やや沈黙があった後、百鬼は自分の頬を強くつねった。

「……痛い。夢、ではない?」

「うん……」

 紅葉が目を閉じて頷く。

 二人の間に沈黙が流れていると、訪問者なのか、ドアが開いた。

「百鬼!! 」

 騒がしく入ってきたのは、父の四郎、母の佳代だった。

 四郎は、慌てて来たのか「サケのイブキ」とプリントしてある前掛けを、腰に巻いたままだった。

「大丈夫なんだな!? 本当に大丈夫なんだな!?」

 言いながら、百鬼の肩に両手を乗せて、激しく揺さぶる。

「うん……この通りだよ」

 四郎と佳代は、安堵の表情で深々とため息を吐いた。

「よかったぁ。もう心配で心配で、生きた心地がしなかったのよ」

 佳代は少しやつれた顔で、吐き出すように言った。

 指で、涙を拭う父と母の姿を見て、百鬼も込み上げるものがあったのか、涙腺が緩む。

 親子のやりとりを見つめている紅葉も、両目いっぱいに涙を溜めた。

「ところで、お父さん、お母さん」

「ん?」

「何?百鬼」

 両親は、ハンカチで涙を拭っている。

「私の、傷……疑問に思わないの?」

 急に、百鬼が無表情な顔で問い掛けてきたので、両親は一瞬、戸惑いの顔を見せた。

 紅葉は、ギョッとした表情で百鬼に視線を移す。

 四郎は一回、フゥーと息を吐いた。

 先程まで部屋中に流れていた優しい空気から一変、重たい空気が流れた。

「……百鬼。これは、信じられないとは思うんだけど……」

 四郎が、真剣な眼差しで、百鬼を見つめる。

「伊吹家のご先祖様に……鬼がいたんだよ」

 その言葉で、部屋の空気が更に重くなる。

 ―― は? 急に何を言い出したかと思えば、鬼?

 百鬼は思わず頭を抱えた。

 鬼といえば、空想上の生き物。桃太郎や、一寸法師等の昔話に出てくる人間の敵だ。

 それが、自分の祖先にいたというのだから、ますます信じがたい。

「信じられないとは思うが……」

「ちょっ、ちょっと待って!」

 百鬼が、四郎の話を遮るように言った。

「鬼って、あれは人間が創った昔話でしょ? あと、怖い人とか、強い人をそういう風に例えたとかさぁ」

 鬼が祖先だと言うなら、自分は鬼の血が流れているという事になる。

 無論そんな事実、急に受け入れる事など出来る訳がない。

「あの……」

 眉間にシワを寄せる百鬼に、紅葉が口を開いた。

「私達を襲った通り魔、牙も生えてたし、爪が熊みたいに尖ってた。怖くてあまり直視できなかったけど、あれ、人間じゃなかった……と思う」

 その言葉に一同が凍りつく。

「だから! 鬼って実在する生き物なんじゃない? それと!」

 更に、紅葉が畳み掛けるように言う。

「傷が不自然に回復するのが、証拠なんじゃない? おかしくない? あり得ないよ、こんな事! だから、あり得ない事が現実に起こってるんだよ!」

 紅葉の言葉に、目を閉じながら聞く四郎と佳代の姿があった。

 百鬼は相変わらず、納得がいかない顔で下に視線を向けていた。

「ところで紅葉ちゃん、二人を襲ったっていう男が人間ではなかった、という話は本当かい?」

 四郎の問い掛けに、紅葉が頷く。

「そうか……」

 やや間があって、ドアをノックする音が響き、ゆっくりと開いた。

「パパ?」

 紅葉の父、誠だった。

 娘が被害に合い、大怪我を負ったという連絡を受け、紅葉の父親も病院に駆け付けていたのだ。

「こんばんは。百鬼ちゃん、大丈夫かい?」

「……はい」

 百鬼が、か細い声で答える。

「すまない、伊吹さん。 さっきの会話をこっそり聞いてしまったんだが……」

 紅葉の父親はスナックを経営していて、店の酒は伊吹家が卸しており、お互い気が知れた仲だ。

「紅葉、君も大怪我を負ったのに、すぐに回復したよね」

 紅葉は、誠の言葉に何かを察したのか、目をぱっと見開いた。

「四条家の祖先も、鬼なんだ」

 少しの沈黙が流れる。

「嘘……でしょ?」

 強張った表情で、紅葉が爪を噛んだ。

「四条さん……良いんですか?」

 佳代が神妙な面持ちで問うと、百鬼と紅葉が顔を合わせた。

「お母さん……良いんですかって、どういう意味なの?」

 百鬼は、佳代に厳しい視線を向ける。

「百鬼、紅葉ちゃん。よく聞きなさい」

 四郎は、意を決したように重たい口を開いた。

「伊吹家、四条家は"鬼導教"という宗教に入信している」

「鬼導教?」

「あぁ。 とは言っても怖いカルト教団とかじゃないよ。簡単に説明すると、鬼の血を引く鬼人の多くが入信していて、ご先祖様である鬼を祀って宴を開催したり、鬼神様に祈りを捧げたりしている 」

 百鬼は、ぼんやりだが、幼少時代に何度か両親に連れられ、宴会のような行事に参加した事を思い出した。

 確か、部屋の中央に大きな鬼の面が飾ってある宴会場で、スパゲッティやら、ケーキなどを紅葉と一緒に頬張った記憶がある。

 ―― あれが、鬼導教の集会だったの……?

 思い出した事を少し、後悔した。

 自分がまさか、鬼の子孫だったという驚愕の事実。

 紅葉の方に視線をやると、思い詰めた表情をしている。

 ―― そうだよね。ショックだよね。鬼の血が流れてるなんて。普通の女の子として、今まで生きてきたのに。

 痛い程、気持ちがわかる。自分も、そうなのだから。

「傷が勝手に回復したのは……やっぱり、鬼の血の力……なの?」

 百鬼が恐る恐る聞いた。

「そうだな。鬼の治癒能力だと考えていい。もっとも……これ程の大怪我を再生した話は、あまり聞いた事がない。多少の切り傷なら、数分で治るけど。個人差はあるが、ここまで再生が早いと、二人は鬼人の中でも稀な、特異体質なのかもしれないね」

 百鬼は目を閉じた。

 体質のおかげで、命拾いしたが、自分が純粋な人間ではないという現実が、徐々に理解できるようになっていた。

「だが、もう一つの問題が……」

 誠が、割って入るように言った。

「襲ってきた者が、我々と同じ鬼人なのかもしれない、という事ですよ」

 百鬼は、その言葉にハッとした。

 被害時、室内の暗さで犯人をハッキリと確認する事ができなかったが、不気味に光る目、鋭い爪は覚えている。

「鬼に覚醒した奴かもしれん」

 四郎が、低い声で言った。

「覚醒? 本当の鬼になっちゃったって、事?」

 百鬼が目を丸くした。

「あり得ます。過去に覚醒した者が、村人全員を殺害した後、鬼人達に捕まり、斬殺された記録が残ってます。ただ……これは極めて稀なケースですが」

 誠の言葉が引っ掛かった。

 稀なケースではあるが、鬼人全員にその可能性があるという事か。

 そう考えると、ますます自分の血筋が恐ろしいと思う、百鬼がいた。

「どうやって……覚醒したの?」

 先程まで俯いていた紅葉が、パッと顔を上げて言った。

「それは、わからない。原因不明なんだ。だが、その犯人を野放しにしてると危ない。鬼が暴徒化して国中が大混乱を起こす」

 ―― それって、かなりやばいんじゃないの?

「警察が動いてると思うが、射殺出来るならした方がいい。覚醒した鬼は、もう人間に戻らないと聞いています。逮捕など生温い」

 四郎が唇を噛んだ。

「とりあえず、後は警察の方に任せましょう。今日は、散々だったが、二人とも無事、生きて帰れたのだから」

 先程まで深刻な顔だった誠が、無理やり笑顔を貼り付けて、言った。

「そうですね。命あってこそだ。悲観する事はないぞ。二人は女の子として、これからも普通の人生を送ればいいのだから」

「そんな簡単に……」

 鬼人だと打ち明けられたばかりで、普通の女の子として生活しないさいなど、急に言われても気持ちの整理が付かない。

「そんな簡単に受け入れられる訳ないじゃない! 普通の人間として疑いもせずに、生きて来たんだよ! 急にあなたは鬼のハーフですって言われてさぁ!」

 百鬼の悲痛な訴えで部屋に重苦しい空気が漂う。

 佳代は涙を浮かべている。

「でも……受け入れるしかないんじゃないかな」

「紅葉?」

「現実に異常な体質だし、これ以上両親を責めるのも……」

 百鬼は紅葉の横顔を、じっと見つめた。

 もう、紅葉は覚悟を決めている。私は現実から逃げようと、必死に抵抗しているだけだと。

「すまないね。でもこういう事態だからこそ、告白するしかなかった。何もなければ、そのまま言わずに済んだかもしれないけど」

 四郎の言う事もわかる。今回の事件がなければ、一生知る事もなかったのかもしれない。

 あえて言う必要のない事だし、黙ってるのも親としての優しさだ。

「……わかった。もう今日は、疲れた。寝かせて」

 百鬼は、表情を曇らせたまま布団の中に潜り込んだ。

「百鬼、また、学校でね」

 紅葉の言葉に、百鬼は反応を示さず、深々と布団を被った。

「我々も帰りましょうか、四条さん。じゃあ百鬼、明日迎えに来るからね。ゆっくりおやすみ」

 四郎はそう言うと、皆に帰りを促し、出ていった。


 皆が帰り、一人になった百鬼は、布団の中で震えながら、嗚咽を漏らした。

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