第3話

激震が走った。

工藤逃走の一報が入ったのは、午後三時過ぎ。警察庁、警視庁の二大警察庁舎を構える霞が関は、揺れに揺れていた。

世間を震撼させた首なし殺人事件は、捜査が難航する事なく、1週間で容疑者逮捕まで至り、警察のメンツは保たれた。

しかし、それを一気に地獄の底へと突き落とす、逮捕当日に犯人逃走という大失態を犯してしまった。

すでに、工藤逮捕は、昼間に速報として各メディアに取り上げられたばかりだった。

警察庁長官は、大激怒。混乱防止の為、情報を規制。頭部切断殺人事件特別捜査本部の捜査チームに、二十四時間以内での、犯人確保を命じ、早期解決を促した。

応援として、都内各所の警察署から、捜査員総勢三百人も投入。

まさに警察の威信をかけた包囲網を敷いたのだ。


「シャレになってねぇよ、これは」

クラウンの運転席の武井が、困惑の表情で、アクセルを踏む。助手席の古木は、険しい表情で腕組みをしている。

クラウンは、国道一号線を南方向に走っていた。

逃走中、人ごみに紛れるには、繁華街が適している。古木・武井組は、南街を捜索する事になった。

「相手は、もう人間てレベルじゃない。超人か怪物だ。市民の混乱を避けたいのはわかるが、いつまで情報を先延ばしにするつもりだ。こんなのがウロチョロしてるなんて、危険だ!」

古木は苛立ちと困惑で、頭がどうにかなりそうな気分だった。

工藤の異変は理解していたが、まさか本物の怪物に変化してしまったとは。

信じがたいが、現場にいた警察官全てが、その目で確認しているのは事実だ。

「犠牲が出るのは、時間の問題だ。人が喰われるかもしれん」

古木は、ダッシュボードを両手で強く叩いた。

「人が喰われるって、まさかあいつの正体は本当に、化け物だったってのか?」

武井が、煙草をくわえながらハンドルをゆっくりと切った。

「武井さん、あの時、見なかったんですか? ホトケの右の頭頂部が削られてるのを」

冷蔵庫から発見された頭部は、腐敗は進んでるが、頭頂部に明らかに噛み切られたか、刃物で切断された痕があるのを、古木は見逃していなかったのだ。

「検死の結果がもう出るはずだ。あれは、喰っている」

古木は唇を噛んだ。

「でもよう、化け物だったら欲望のまま、一気に喰らっちまうんじゃねぇか? 残しておくものかね? 残りは後のお楽しみってか?」

「いや、工藤はまだ、完全に怪物になりきれていなかった。何とか理性を保とうと、必死に戦っていたのかもしれん」

工藤は、怪物に変化しようとする自分と、理性のはざまで格闘をしたが結局、闇に飲み込まれてしまったのだと、古木は推測した。

「化け物が相手なら、こんなショボい拳銃なんかより、機関銃くらいは欲しいよなぁ。後、火炎放射器か」

武井は、ゾンビ映画で観た知識を冗談ぽく言ってみた。

「機関銃でも、効かないかもしれない。ロケットランチャーくらい強力な火器が欲しい所ですね」

古木は冗談ではなく、本気で思った。きっと、それぐらい激しい戦闘になるのだろうと。


少し日が落ちてくる頃には、クラウンは、南街のスクランブル交差点に、差し掛かっていた。



***

百鬼は、帰りの会が始まる前に、教科書やプリント類を鞄に詰め、帰り支度を始めていた。

所属する部活は、家庭科部で主に料理などを作っているが、毎日活動がある訳ではなく、今日は休み。

スポーツが大嫌いで、インドア派なので、文化部を選んだ。

ただ、料理がしたくて家庭科部に入った訳ではなく、なんとなくだ。

それとは反対に、親友の紅葉はスポーツ大好きで、活発的に行動する子だ。

陸上部に所属し、日が暮れるまでグラウンドで、汗を流している。

一見、百鬼は運動音痴で、スポーツが苦手だと思われがちだが、体育の成績は常にA評価。

短距離を走らせれば、常にトップでゴールし、バドミントンでも、抜群の反射神経で、シャトルに喰らいつき、力強いサーブを打ち込んだりするのだ。

スポーツテストのハンドボール投げも、男子の平均値より上の結果を出し、周囲を驚かせた事もあった。

なので、今でも度々、運動部からの勧誘を受ける。それだけ運動能力が高いのだ。

紅葉からも、何度も入部の誘いを受けているが、ことごとく断っている。

百鬼は、とにかく目立ちたくないのだ。運動部に所属すれば、他校との練習試合、地区大会など様々な場所に行かなくてはならない。そこで結果を出せば、何かと注目の的になる。

それが嫌なのだ。自分は目立たず、大人しく過ごしたいのである。


しばらくすると、担任の池内が入ってきた。寝癖のついた髪をくしゃくしゃと掻きながら、出席簿を教卓に置いた。

「ほい、出欠取るぞー」

池内はそう言って、出席番号順に、名前を読み上げる。

ハイ、ハイと元気な返事と、だるそうな返事、か細い返事が次々と響いた。

全ての名前を読み上げると、池内はずれそうなる眼鏡のブリッジを、人差し指でクイッと上げた。

「えー、みんなもテレビとかで知ってるとは思うけど、最近、近くで物騒な事件が起きたな。先週、西地区で起きた事件の犯人は、捕まったらしいけど、油断したら駄目だぞー。こういうのが一件起きると必ず、模倣犯が出て来るからなー」

「先生! 模倣犯て、何ですか?」

いかにも、アホそうな顔をした男子が手を上げて質問する。

「模倣犯てのは、他の犯罪を真似る奴らの事だ。危ないと思ったら大声で助けを呼んで、逃げるんだぞー」

「マジか、首チョン切る奴が来たら、怖いわー」

生徒達がざわめき出す中、昨夜見た夢の事が百鬼の脳裏をかすめた。

――あぁ、そうか。この事件があったから、あんな気味の悪い夢を見たのね。

百鬼は、少し安心した。紅葉に正夢になるかもしれないと言われ、心配したが、思い過ごしのような気がしてきたからだ。


百鬼は、紅葉と共に帰宅の途についた。辺りはすこし、薄暗くなっている。

紅葉の所属する陸上部は、グラウンド整備の為、今日は休部だった。

「いやぁ、あんな話された後に一人で帰るなんて、怖いもんねぇ。あんた、私が今日たまたま部活なくなって、よかったねぇー」

紅葉が上から目線で話してきたので、百鬼はクスッと笑った。

「いやいやいや、私の部活もたまたま休みだったもんねー」

「たまたまって、あんたの部、しょっちゅう休みじゃん」

紅葉が、少し憎たらしい顔で言う。

「あんたも、観念して陸上部入りなよー。あの才能を伸ばさないなんて、人生損してるわー。先輩達、みんな百鬼を欲しがってるよ?」

「いいの。私は目立たずに、そーっと人の後ろに隠れて生きていくのが、向いてるの」

ここまで周囲から期待され、必要とされているなら普通、嬉しい感情を抱くものだ。

が、百鬼にとっては、いい迷惑だった。

「もぉー、頑固なんだから! 昔っから相変わらずだよね。やれば出来る子なのに、あえてやろうとしない。もどかしいけど、これが百鬼だもんねぇ……」

「何で出来るのか、自分でもわかんないよ。球技だって、走るのだって練習した記憶もないし。でも、やってみると、自然と体が反応するというか。何か、逆に怖いよ」

百鬼は自分の身体能力の高さを喜ぶ所か、少し気味が悪いと感じていた。

「贅沢な悩みだねぇ。最初から備わってるなんて、むしろラッキーだと思うけどね。ま、そればっかりは、人それぞれ考え方違うから、一概には言えないけど」

二人は学校からしばらく続いていた桜並木の道を抜けると、空き家、建設途中のマンション等が建ち並ぶ、砂利道に入った。

色鮮やかな桜が咲いていた道と、ガラリと雰囲気が変わって、少し寂しげな風景が広がっている。

建設現場も、工事が中断しているのか、ここ数ヶ月作業してる様子もなく、放置されてるようだった。

周りの樹木が、見下ろすように立っていて、道が陰で覆われていている。

次第に、周りをピーンと張り詰めるような不快な空気が流れた。

上空を舞うカラスの群れの、バサバサという羽ばたきが一層、不気味さを演出する。

お互い、それに気付きながらも、会話にはあえて出さず、迫るような不安感に陥っていった。

歩を進めて行くと、前方に黒いコートを身に纏い、フードを深く下ろした人間が、ゆっくりとこちらへ向かって来るのが、わかった。

「嫌だ、何か気味が悪い」

紅葉が、百鬼のブレザーの袖を強く引っ張った。

百鬼は、袖を握る紅葉の手を握り返す。

二人の手先は、極度の緊張で震えていた。

黒いコートとの距離が近づいてくる。

「顔合わせないように、急いで通り過ぎよう」

百鬼が、紅葉の耳元で囁いた。

紅葉が今にも泣き出しそうな顔で、二回程頷く。

が、その時だった。黒いコートが、一瞬にして距離を縮め、二人の目の前に立ちはだかった。

「え?」

混乱するのも束の間、百鬼は黒いコートに腕を掴まれ、右手に建っている、空き家の扉が外れ剥き出しになった入口に引きずり込まれて行った。

「キャァ!!」

百鬼の甲高い声が辺りに響き渡った。


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