第1章
第1話
四月初旬、通学路の並木道に至る所で咲いていた桜は、先週の大雨で殆どが散っていた。
今朝は風が強く拭いている為、ひらひらと桜の花びらが空中を舞っている。地面に落ちた無数の花びらが、道を行き交う人々に踏まれていく。
桜は儚いからこそ美しい、とはよく言ったものだが、これを人生に置き換えると、少し悲壮感が漂ってしまうので、考えるのはやめておこう。
彼女は毎年この季節が訪れると、こういった感傷に浸るのが、恒例行事だになっていた。
桜舞い散る道で、物憂いな表情を浮かべているのは、
百鬼という珍しい名前だが、れっきとした女の子である。
両親に、名前の由来を一度だけ聞いたことがあるが、何やら難しい言葉を並べて説明されたので、面倒くさくて、理解するのはすぐに止めた。
自宅は酒屋を営んでおり、父と母の三人暮らしだ。
百鬼は朝から気分が晴れなかった。
桜の散り様など、正直どうでもよいぐらい、気掛かりな事があるからだ。
その理由は、昨夜見た夢の中の出来事だ。
夢の世界は、薄暗い空間が延々と広がっていた。
そこに、人間なのか、動物なのか、判断が出来ない不気味な無数の影が人々を襲い、喰い殺している。
自分はただ、その様を呆然と見つめながら、立ち尽くしいていた。
たくさんの返り血も浴びてるようで、身体中にねっとりとした血液の感触と、鼻を刺すような血肉の臭い。
影の正体もわからないし、喰われている人々の顔もよく見えなかった。
それをただ、眺めているという自分の姿が、今でも鮮烈に脳内に残っている。
目が覚めたら、涙が頬を濡らしていた。夢で良かったという、安堵の気持ちと、絶望と恐怖が入り交じり、最悪な目覚めをしてしまった。
―― あの夢の意味は一体なんだったのかな?
朝から、その事ばかりが頭の中をぐるぐると駆け巡り、離れない。
今でも、あの血生臭い匂いが残っていて、時折ツンと鼻の奥を刺激する。
百鬼はその事を思い出す度に、顔をしかめながら肩に少しだけ掛かった髪の毛を気だるそうに、かき上げた。
「おはよう!」
背後から元気のよい声。
はっとして、振り向くと、その声の主は、同級生の
「お、おはよ」
百鬼は、か細い声で返した。
「どうしたの? 朝から暗いなぁ」
紅葉の長く、艶のある少し赤みがかった髪が、風でゆるやかに靡いた。
紅葉とは、幼稚園からの幼なじみだ。
小学校では、ほぼ同じクラスだったが、四年生の時に一度だけ、クラスが離ればなれになってしまった時があった。
その時は、お互い校内中に響き渡る程の大号泣をしてしまい、見かねた校長先生が宥めに来るくらいの大騒ぎを起こしてしまうほど、大親友だ。
性格は、非常に明るく社交的で、同性、異性共に好かれるている。何事にも消極的で、目立つ事が大の苦手な百鬼にとっては、姉のように頼もしい存在だ。
「ちょっと、へーんな夢見ちゃってねぇ……」
「夢?」
「うん……謎の影が、私の目の前で次々と、人を喰い殺しちゃう夢」
「こわっ」
紅葉は、怪訝そうな顔を浮かべた。
「その夢でさぁ、私が出て来て食べられたりした?」
「んー、あんまり覚えてないけど、多分食べられたんじゃん?」
「何よ! 多分て。勝手に殺さないでくれる?」
嫌がる紅葉に視線を移し、 ふっと百鬼は微かな笑みを浮かべた。
「そんな気味の悪い夢見るなんて、あんたもツイてないよねー」
「正夢にならなきゃいいけど……」
百鬼がぼそっとつぶやく。
「縁起でもない事言うな」
紅葉が百鬼の額をコツンと、軽く叩いた。
「でもさぁー、最近物騒な事件が起きてるじゃん?」
「物騒な事件?」
百鬼が目を見開いた。
「北区で起きた首なし殺人」
「あー、テレビで観たよー。怖いよねぇ、首切っちゃうなんて」
2週間前に、隣の区で発生した頭部切断事件は、連日テレビや新聞に大きく取り上げられ、話題になっていた。
首を切り、持ち去るという猟奇的な犯行が、多くの国民に衝撃を与えていた。
「その事件が、頭の片隅に残ってたから、つい夢に出て来ちゃったのかもしれないよねぇ」
「あー、そうかもね。でもその首は、どうしちゃったんだろうねぇ。食べたか、どこかに埋めたか……」
「た、食べたって。気持ち悪い事言わないでよぉ」
百鬼の言葉に、紅葉の身体中に鳥肌が立った。
「何か昔、死体の一部を持って帰って、食べたり、コレクションにしたり、イタズラしたり……っていう映画を観たことあるような記憶が」
「どこで観たのよ!? そんなキモい映画ぁ!!」
紅葉は、身体中をビリビリと駆け巡る寒気に、顔を強張らせた。
「多分、親戚のお兄ちゃんの家」
「その親戚のお兄ちゃん、そういう趣味あんの? あー、無理無理無理無理!」
紅葉が、ブルブルと激しく頭を左右に振る。
「なんか、肝試ししたいよねーっていう話を皆でしてて、その流れでその映画をレンタルしてきたんだと思う」
「肝試しで、そのチョイスは何なのよ! せめて、お化けが出てくる映画にしなさいよ! 首を自分の私物にして、楽しむ映画なんて一生のうち、観ることなんて、ある?」
紅葉の少しむきになった顔を見て、百鬼が思わず微笑む。
からかったつもりではないが、結果そういう形で紅葉が示した拒否反応がなんとなく、面白かったのだ。
朝から女子中学生らしからぬ、禍々しい話をしているうちに、中学校の正門が見えてきた。
「百鬼、紅葉おはよー」
教室までの長廊下を、二人で歩いてるとクラスメイトの女子達が、次々と挨拶をしながら横切って行く。
男子達は、ふざけながらバタバタと足音を鳴らして、走り去って行く。
この活気ある光景は、毎日の事だ。
二人は「おはよう」と返しながら廊下をゆっくりと進む。
教室へもう少しの距離に差し掛かった所で、女性トイレの前で横一列になってウンコ座りをした女子三人が、すれ違う生徒達一人一人に、鋭い視線を送っていた。
簡単に言えばガンを飛ばしている。
「げー、茨木達だ。面倒くさい」
露骨に怪訝な顔を見せた紅葉は、思わず視線を反らした。
百鬼は、俯き加減に視線を反らす。
「何見てんだ、コラ」
眉をひそめて威圧的に言ったのは、
修羅は、幼稚園からの幼なじみだ。
しかし、 二人にとっては特に交流はなく、ずっと学校が一緒の知っている子、くらいの認識しかない。
それは、修羅の気性の荒さに原因があった。
とにかく好戦的で、喧嘩っ早い。不良グループと常に行動をしている問題児。普通の女の子が、普通に生活していれば、まず関わる事のない存在だ。
二人は言葉を無視し、修羅達の横をそそくさと通りすぎた。
「チッ」
修羅は、睨みをきかせて舌打ちをした。
百鬼は内心ビクビクしながら、小走りで紅葉の後を追った。
「ったく、いきりやがってさぁ。誰も見てないっつーの! 何なの毎回あの子は」
紅葉は、修羅達の姿が視界から小さくなるのを確認すると、ため息を一つ吐いて、言った。
「そう言えば、茨木さんて、一緒のクラスに一度もなった事ないよねぇ?」
「いやいや、あんな奴と一緒にならなかった事が、今までの人生ベストテンの上位に入るくらい、素晴らしい事よ。超ラッキーじゃん、うちら」
「いや、そこまで言うか……でも、一緒になってたら、あの子がどういう人柄なのか解るっていうか、うーん、意外といい子なのかもしれないじゃん?」
百鬼は、修羅の事をあまり知らない。物心付いた頃から、ずっと同じ街で育ち、ずっと同じ学校へ通っているのに。
やんちゃで、近寄りがたい雰囲気を出しているが、彼女の事をもっと知りたいという気持ちも、少なからずあった。
修羅にどことなく、哀愁を感じるからだ。いつも、仲間達とつるんで行動をしているが、目の奥には寂しさが宿っている。
心の底では、孤独感に苛まれているのだろうか。
「相変わらず、百鬼はお人好しだよね」
紅葉が少し、呆れた顔で言った。
「え? そうかな。」
思わず百鬼の顔が紅潮する。
「まぁ、そういう優しい所が私は好きなんだけどねぇ」
少し照れくさそうに言う紅葉の顔を、百鬼が覗き込むように見つめた。
「ん? なによ」
「ごめん、聞いてなかった。」
「嘘つけ! 全く、この子は」
百鬼は、少し惚けた顔を浮かべて、紅葉と教室へと入って行った。
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