鬼神少女戦線 百鬼

侠四郎

プロローグ

 車内の時計は、午前六時三十分を表示していた。

 黒塗りのクラウンには、男三人が乗車している。

「さぁて、あとちょいで行くか」

 助手席にどかっと座った男はそう言うと、手に持った缶コーヒーのプルタブを引いた。

「ここまでは、すんなり行きましたけど、あいつすぐ、うたいますかね?」

 運転席の男は、煙草に火を点け、渋い顔をしながらふぅっと細い煙を吐き出した。

「いや、しかし惨い事するよなぁ。ホトケさんの首まで持っていきやがってよぉ。ご家族の気持ち考えるとやりきれねぇなぁ。この仕事長くやってるけど、こんな事件に会うなんて稀なケースだよ。猟奇的というか、なんというか……怖いねぇ人間ってのは」

 後部座席で、スマホの画面を眺めている白髪の男が、ため息交じりに言った。

「武井さんが、心痛める事なんてあるんすか?」

 運転席の男が、薄ら笑いを浮かべながら、茶化すように言う。

「バカ野郎。俺だって一応人間だぞ。警察はサイコパス集団だとか、言われる事もあるけど、人の心を失っちまったら、捜査なんてできやしない」

「まぁ、確かに殺しの現場やら、殺人犯とか何十人も見てきたけど、その裏にはご家族がいるんですもんね。人の心はいつまでも忘れちゃいけませんね」

 助手席の男は二人の会話を、ただ黙って聞いていたが、わざとらしく咳払いをすると、時計を確認し「そろそろ、行くか」と呟いた。

 そして、缶コーヒーをぐいっと一気に飲み干すと、車外へと出ていった。

 それを合図にしてたのか、隣に停めてあったシルバーのワンボックスカーから、続々と男達が降りてくる。


 男達は、警視庁捜査一課の捜査員だ。

 一週間前に起きた、頭部切断殺人事件の容疑者とされる工藤浩一を逮捕する為、自宅前に早朝から集結していた。

 建設会社が事務所として使用しているプレハブ小屋で、首から上の無い死体が発見されるという、とてもショッキングな事件であった。

 身体には、無数の切り傷、首の切断部分は刃物ではなく、何か強大な力によって引き裂かれたような、裂傷が見られた。

 第一発見者は、早朝出勤してきた従業員。被害者は、同僚の島田大である事が判明した。


 築年数もかなり経ってるであろう、老朽化が激しく進んだ古びた二階建てのアパートに向かって、体格の良い数人の屈強な男達が、ぞろぞろと隊を組んで歩を進めて行く。

 先頭から、クラウン助手席の古木、運転席の柴崎、後部座席の武井、ワンボックスカー組といった順だ。


 苔が所々に生えている外階段の踏み面に足を降ろすと、ぎしぎしと軋む音が響いた。

「今にも、底抜けるんじゃねぇか?」

 武井が少しビビりながら、つぶやいた。

 捜査員達の足が止まったのは、二○二号室の前。容疑者の部屋だ。

 古木は、ゴツゴツした太い人差し指で、インターホンを鳴らした。

 捜査員達に一瞬、緊張が走った。どんなに場数を踏んだ警察官でも、いざ容疑者と接近する時は、誰でも緊張感に襲われる。

 一回では応答がなかったので、もう一度インターホンを鳴らす。

 …………。

 応答がない。

「工藤さん! おはようございます! 工藤さん!」

 古木が、叫びながらドアを二回ノックした。

 …………。

 またしても応答なし。

「ちっ、仕方ない、開けますか」

 柴崎は、あらかじめ管理会社から預かってあった鍵を、ショルダーバッグの内ポケットから取り出した。

「うん、開けてくれ」

 そして鍵穴に差し込もうとした時だ。

 ガチャと、鈍い音を立てながらドアがゆっくりと開かれた。

「おはよう」

 中から男が姿を現すと、古木が低い声で言った。

「え? だ、誰ですか?」

 戸惑いの表情を見せたのは、ぼさぼさ髪に、青白い顔、紺色のスウェットを上下に着た工藤だ。首元には黒色のネックレスを着けている。

「警察だ。ほら、札もあるぞ」

 古木は淡々と言いながら、逮捕状を突き付けた。

「何で来たか、わかるよな?」

「あー……わかるような、わからないような……」

「もう、逮捕状も出てるんだよ。中、入るぞ」

 古木と捜査員達は、白い手袋をはめて、続々と室内へ入っていった。

 部屋は六畳ほどのスペースで、割と整理されていた。几帳面なのだろうか、奥のベッドの上の布団は、きちんと畳まれている。

 他にもテレビ、冷蔵庫、洗濯機など、家電は一式揃っていて生活感は溢れている。

 工藤は、デスクの引き出しや、クローゼットの中を次々と開けていく捜査員達の姿を、呆然と見つめながら立ち尽くしていた。

 しばらくすると、背に警視庁のロゴが入ったジャンパーを着た捜査員が、クローゼットの中にある、白いゴミ袋を発見した。

 ゴミ袋は、四十五リットルくらいのポリ袋で、二重に縛られている。

 それを見た工藤は、眉間にシワを寄せた。

 片結びされたゴミ袋の取っ手を、丁寧にほどくと、胸の部分がどす黒く染まった、チャコール色の革ジャンが入ってあった。

「古木さん、これ……」

 そう言って、それを差し出すと古木の顔が曇った。

「血痕だ」

 古木はわずかな沈黙の後、言った。

 その一言に、工藤の顔に動揺の色が広がる。

「おい! 冷蔵庫の中、でけぇのあるぞ!」

 叫んだのは、武井だった。中には、七十リットル程の黒いゴミ袋。

 工藤は、さらに顔を強ばらせ、身体を硬直させた。

「うわ!」

 武井が思わず大声を上げると、捜査員が一斉にその方向に、顔を向ける。

 ほどいたゴミ袋には、土気色に変色した人の頭部が姿を現した。腐敗が始まっており、ほぼ原型を留めていなかった。

 部屋の空気が、一気に張り詰めた。

「ち、違う! これは! 僕がやったんじゃない!」

 工藤が、涙目になりながら大声で叫んだ。

「うえっ! こりゃひでえわ」

 武井が、顔をしかめた。ゴミ袋の底には、流れた体液が溜まっていた。

「よくもまぁ、こんな事を……」

 古木は、ため息を吐きながら手で額を押えた。

「刑事さん! 信じて下さい! 目が覚めたら、顔が置いてあって!ふ、服の血も覚えがないんです!本当なんです!」

 肩を震わせて叫ぶ工藤の目から、ポタポタと涙が落ちる。

「武井さん、こんなものが」

 捜査員が差し出したのは、一枚の写真。学生時代のだろうか、 学生服を着た男子四人が、仲良さそうに互いに肩を並べている。

 しかし、右端の男子の顔に赤のサインペンで、丸が書いてあり、その下には 「死ね」 の文字が。

 工藤は、それを見るといきなり怒りに満ちた表情で、唇を噛んだ。

「あのくそ野郎! 絶対にぶっ殺してやる!!」

 興奮して言うと、口から唾液が漏れだし、床を濡らした。

「おい! 落ち着け!」

 古木は、工藤の豹変した様子に戸惑いながらも、落ち着かせるようにそっと、肩に手を乗せた。

「ちょっと、さっきから言動も行動もおかしいぜ。お前もしかして、クスリでもキメたか?」

「ちょっと武井さん、余計な事言って興奮させないで!」

 古木は、工藤の肩を抱き寄せた。

「戻ったらとりあえず、尿検査しますかね」

 柴崎が言った瞬間、異変が起きた。

 工藤の顔面が、歪み出し、ボコボコと脈を打ち出したのだ。

 瞳孔が開き、眼球は赤く染まり、口元から牙が覗いている。

「え?」

「なんだよ、何が起こったんだよ?」

 部屋の中にざわめきが起こり出す。

 が、工藤の顔の変化は一瞬で、瞬く間に元の原型に戻っていった。

 古木達は、狐につままれた感覚に陥った。 一瞬とは言え、確かに工藤の顔が、この世の物とは思えない、恐ろしい顔に変化した。

 それは「鬼」と呼ぶのに相応しいのかもしれない。

「おい、大丈夫か? 体調悪いのか?」

 ふぅーふぅーと、肩で息をする工藤に、古木が恐る恐る声をかけた。

「大丈夫、です」

 不思議で、信じがたい光景が広がった為か、周りの捜査員達は、お互いに顔を見合わせた。そして、気持ちを切り替え、それぞれ作業に戻って行った。

「古木さん……」

 柴崎が、強張った表情で、古木に歩み寄った。

「あぁ、皆落ち着いて作業しよう。動揺する気持ちはわかるが、集中力を切らしちゃいかん。捕まえた尻尾が、目の前にあるんだから」

 古木は、自分に言い聞かせるように、言った。

 工藤が、徐々に落ち着きを取り戻して行くタイミングを見計らって、古木が逮捕状を読み上げ、柴崎が手錠をかける。

 午前七時十五分、工藤は逮捕され、警視庁に連行されて行った。


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