第五章 魔犬と少年(5)



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「この裏切り者!」


 〈影の王〉の鞭がうなり、ビシッと音とたてて 『チビ』 を打った。緋色の稲妻がはしり、『チビ』 は 「ギャンッ!」 と悲鳴をあげて倒れた。一同が愕然がくぜんと見守るなか、『チビ』 の体はみるみるうちに小さくなり、もとの黒くか弱い仔犬に戻ってしまった。

 クレアは悲鳴をあげて彼にしがみついた。


「チビ!!」


『ヴェルトリクス!』


 アーエン王女が両手を大きくひろげて巨大な魔力の槍を創造し、戦車めがけて投げつけた。槍は馬の一頭に命中し、白馬は甲高い悲鳴をあげてもがいた。〈影の王〉は戦車の上で激しくゆさぶられ、呪いの声をあげた。

 ライアンが剣を振って手近の魔犬を斬りすてる。アゲイトが盾を掲げ、黄金の光と衝撃が戦車と魔犬の群れを襲った。懸命に体勢をたてなおす〈影の王〉に、アゲイトが警告する。


「死にぞこないの老いぼれめ! 水竜ドラゴンの力で石にされたくなければ、ウリンの民を解放しろ!」


 魔犬たちを操る力を封じられた〈影の王〉は、ギリギリ歯ぎしりをしてうめいた。


「ウリン、だと? あそこにいるのは、四百年前に死んだ者どもだ。解放すれば、地上に亡者があふれるぞ」

『貴様のせいだ、ヴェルトリクス! 貴様とアリルが、私とウリンの民を裏切ったのだ!』


 アーエン王女の絶叫が、その場にいる者たちの耳を叩く。〈影の王〉は顔をそむけ、クルトとライアンもおもてを曇らせた。

 アルトリクスがティアナを助け起こし、クレアは 『チビ』 とグウィンを抱いて後ずさった。ひとりレイヴンが、アーエン王女の前にひざまずき、静かに話しかける。


「姫さま、もうおやめ下さい。どうか怒りをお鎮め下さい。アリル公が〈約束の国ティール・タリンギレ〉で待っておられます」


 アーエン王女は、きょかれてくりかえした。


『アリル、が……?』

「そうです」


 レイヴンはうなずき、彼女の瞳をまっすぐ見上げた。


「あのとき、アリル公は仲間に裏切られ、船にとらわれておいででした。わたしは姫にそのことをお報せしようとして、出来なかったのです」


 レイヴンの紫の眸から透明な雫がひとすじ頬を伝い落ちた。王女は茫然とそれを見詰め、首を小さく振って呟いた。


『裏切ったのでは、ない?』

「はい。姫さまのところへ戻りたくても、戻れなかったのです。その間に、ウリンはあんなことに……。姫さまの誤解を解くために、アリル公はわたしをお遣わしになりました」


 クルトにも、アーエン王女の瞳が揺れているのが観えた。彼女はそっと囁いた。


『本当? ソロハ』

「わたしが証人です。四百年間、姫さまをお探ししていました。どうかお心を鎮め、わたしとともにいらして下さい。ウリンの民を救い、〈約束の国〉へ参りましょう」


 レイヴンは優しく微笑んだ。


 黙って聴いていたライアンが、クルトの隣でぼそりと呟いた。

「物は言いようだな」


 レイヴンが四百年間アーエン王女の魂を探してきたのは、アリル公がかけた呪いのせいだ。それが、ちゃっかり使者になっている。


「……嘘はついていませんよ」

 クルトは、くすりとわらって応えた。



 憎しみに強張っていたアーエン王女の表情がやわらぎ、元の冴え冴えと輝く月のような美貌が戻ってくる。レイヴンは慎ましく王女の傍らによりそい、その手をとった。

 魔力を消耗しょうもうして小さな闇の塊となった〈影の王〉が、忌々いまいましげにうなる。


「ウリンを解放しても、亡者どもの絶望と恐怖は晴れぬぞ。その女の怨念もだ」

「私が鎮めよう」


 アルトリクスが、竪琴リラを胸に抱いてすすみ出た。アーエン王女に一礼して続ける。


「これは水竜ドラゴンに授かった大気の妖精シルフィーデの竪琴だ。この竪琴と呪歌ガルドルで、ウリンの人々の魂を鎮め、〈約束の国〉へ送ろう」


「おとうさまが?」


 クレアが呟き、その意味を理解してはっと息を呑んだ。クルトも胸に鋭い痛みを感じた。


「父上」


 アルトリクスは見えない目を子ども達へ向け、穏やかに話した。


「クレア、クルト。これまで放っておいたことを許して欲しい。セルマを喪い視力を失ったときに、私の心は殆ど死んでしまったのだ……。水竜ドラゴンに助けられて竪琴を授かり、この方法を教わった。それから十年、幻影の湖ロッホ・ルネデスを探して五公国を彷徨さまよった」


 セルマが音もなく近づき、アルトリクスに並んだ。クルトとクレアは、両親を見上げた。


「……ときどきアイホルム領に立ち寄って、お前たちの噂を聞いていたよ。目の見えない私を迷わず助けてくれるような子ども達に育ってくれて、嬉しかった」

「おとうさま!」


 それまで躊躇していたクレアが、『チビ』をティアナとグウィンにあずけ、アルトリクスに駆け寄って彼の腰に抱きついた。セルマと違い生身の父には触れることが出来る。アルトリクスは手探りで娘の肩に触れ、頭を撫でた。クルトも、ぎこちなく伸ばされた父の手を、両手で握りかえした。


『あなた……』


 セルマがそっと促し、アルトリクスはうなずいた。顔をアゲイトとライアンの方へ向け、呼びかける。


「アゲイトリクス、我がラダトィイの新しきリーよ。〈くろがねの民〉とともに、クルト達のことも頼む。シルヴィアに宜しく伝えてくれ」


 アゲイトは黙ってうなずいた。アルトリクスは続いて呼びかけた。


「ライアン、今までありがとう。どうか、これからも、ティアナ様とともにクルトとクレアを導いてくれ」


 ライアンは剣を鞘におさめてうなずき、声にだして答えた。


「承知した。出来る限りのことはしよう」

『ティアナのこともお願いしますよ、ライアン。幸せにして下さいね』


 セルマが直截ちょくせつなげかけた言葉に、ライアンは絶句し、自慢の髭と同じくらい真っ赤になった。ティアナはほんのり頬を染め、小声で 「セルマったら……」 と呟いた。

 アルトリクスは子ども達から離れ、セルマとともに歩き出した。


 アーエン王女が魔力をたぐり、〈影の王〉の戦車を地上に引きおろした。王女は胴着ドレスの裾をからげて戦車に乗りこむと、怯える〈影の王〉から手綱を奪い取った。彼女の隣にはレイヴンが乗っている。

 クルトは驚愕した。


「レイヴン卿?!」

「はい。クルト坊、クレア嬢。行ってきますよ」


 レイヴンは、アルトリクスに手を貸しながら笑った。ちょっとそこまで散歩に、という軽々しさだ。

 クルトは口ごもった。


「行くって……」

「ウリンを経由して〈約束の国ティール・タリンギレ〉へ、ですよ。もちろん。アリル公との約束を果たさなければ」


 エウィン妃の魂からアーエン王女をびだしたのは、〈影の王〉に対抗するためではなく、王女のいかりを鎮めて〈約束の国〉へ導くためだ。レイヴンも行くのは当然だが、クルトは動揺していた。

 クレアが 『チビ』 を抱いて呼びかける。


「レイヴン卿、行ってしまうの?」

「はい、おいとま申し上げます、クレア嬢。……嫌ですねえ。お二人とも、わたしなんかの為に、そんな顔しないで下さいよ」


 レイヴンはへらっと笑い、頭をぽりぽり掻いてティアナに向き直った。ぺこりと一礼する。


「ティアナ様、わたしに居場所を与えて下さり、ありがとうございました。城の他のみなさんにも、よろしくお伝えください。食事、美味しかったです。特に蜂蜜酒ミードは最高でした」


 ティアナは微笑んでうなずいた。レイヴンは、ライアンとアゲイトに手を振った。


「グレイヴ卿、アゲイト。いろいろありがとうございました。あなた達と一緒にいられて楽しかったですよ、本当」


 ライアンは口元を引き締め、アゲイトはにやりと笑って片手をあげた。

 セルマが戦車に乗り、アルトリクスと並んでこちらを観ている。アーエン王女は手綱を握り、挨拶が終わるのを待ってくれている。

 クルトはぐずっと洟をすすりあげ、己が泣いていることに気づいた。思っていた以上に、自分はこの気ままで臆病な魔術師が好きだったらしい。クレアもぐしぐしと鼻をこすっている。

 レイヴンは、またあの泣いているような笑顔を二人に向けた。


「クルト! お元気で。いい領主におなりなさいよ、あなたなら出来ます。クレア!……トルテ(タルト)、美味しかったですよ~!」


 台詞の途中でアーエン王女がぴしりと鞭を鳴らし、一頭だけ残った白馬は戦車を牽いて走り出した。またたく間に宙にまいあがり、夜を蹴ってはしり去る。数の減った魔犬の群れを従えて北へ、ウリン湾の方向へ。レイヴンの声が引き延ばされ、風の中に消えた。


 クルトはクレアと、ライアンはティアナとアゲイトと、並んで彼らを見送った。クレアは腕に 『チビ』 を抱き、少女の足下には、グウィンとジョッソが並んでいた。





~第五章(6)へ~

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