第四章 失われた王国(3)



          3


 コリガンの持つ妖精シーの灯は、ほそい茎の先でゆれるブルーベルの花のような形をしていた。クルトは妖精のすがたを見定めようとしたが、灰色の髪とか尖った耳とか、腰に帯びた小さな青銅の剣や、痩せた体のわりに大きな蹄などが、ちらと観えただけで、あとは曖昧模糊あいまいもことしていた。

 濃厚な霧の海を通り抜ける〈妖精の道〉は、登ったり下ったりした。クルト達は馬にっていたが、どれくらいの距離と時間を進んでいるのか皆目かいもく見当がつかない。不思議に疲れは感じなかった。馬たちの足取りもしっかりとしていて、何処までも彼らを乗せて行けそうだった。


 何度か闇をくぐり、木々の天蓋アーチを抜けると、一行は急にひらけた場所にでた。あざみやヒースにおおわれた野原が、視界のおよぶかぎり広がっている。北へ緩やかに下り、三日月型に海へ突きだして湾を形成している。風はおだやかで波はなく、二本の半島に囲まれた手鏡のような水面に星が並んでいた。


「ウリン湾です」


 いつの間に追いついたのだろう。レイヴンが鹿毛のくつわをクルトと並べ、説明した。面懸おもがいについた黄金の鈴が、月明りにきらめく。


「あの湾の入り口に、かつて巨人オルトスの築いた堤防がありました。この辺りは干満の差が大きくて、満潮時の海水面は湾内より高くなります。水門を造って海水が流れ込むのを防ぎ、干潮時には逆に外へ流して水位を保ちました。湖の真ん中の島に、麗しの都ウリンがあったのです」


 今は海の底です――そう言って肩をすくめる青年は、普段より真面目で寂しげだった。ライアンが〈天睛ラーンフール〉号の反対側に〈夜の風ナーヴィント〉号を寄せ、馬の肩ごしに訊ねる。


「どうやって沈んだ国へ行く? 潜ればよいのか? 水竜ドラゴンは、満月の夜に海の国アルモリカがどうとか言っていたが――」

「駄目ですよ。湾は海豹セルキー水馬アッハ・イシュカのすみかです。捕まったら生きて帰れません」


 レイヴンはふるふる首を振った。

 フェルテジルが馬を降り、南西の空のふとった月をあおいで説明した。


「海豹は、海で死んだ者の魂が毛皮を着て生まれ変わったもの。水馬は地上の生を妬み、人を喰らうという。どちらも地上の生き物とは相容れぬ存在だ。……満月は明日だ。一休みして、アゲイトと水竜の到着を待とう」


 それで、彼らはヒースの野の一隅に花崗岩が転がる場所をみつけると、岩陰に馬をつなぎ、枯草と小枝をあつめてささやかな火をおこした。持参した大麦のパンに猪肉のベーコンと焼き林檎のソースをのせ、葡萄酒をあたためる。クルトはベリー入りの山羊のチーズと、干し葡萄をもらった。


「アゲイトは?」


 従兄の食事を案じるクルトに、フェルテジルは微笑んだ。


「シルヴィアが連れてきます。大丈夫、水竜と一緒にいる限り、あれが飢えることはありません」


(そうなのだろうか。)クルトは不思議に思ったが、叔父が全く心配していなさそうなので、訊ねるのをやめた。



 四人は簡単な料理をたべ、葡萄酒を飲んだ。クルトは香草茶だ。西からしおの香りを含んだ冷たい夜風が吹いてくる。外衣マントの襟を重ねて焚火の炎を眺めていると、レイヴンが語りはじめた。


「今から四百年前……わたしは、ウリンのヴェルトリクス王に仕える小姓でした」


 クルトとライアンは驚いて彼を見た。そうして、今のいままでこの魔法使いの素性すじょうを知らなかったことに気づく。いつの頃からか〈マオールブルク〉の主塔キープに棲みつき、城の人々と馴染んでいたのだ。ティアナ女大公は知っていると思われたが――。

 フェルテジルは平然として、馬たちの様子を眺めている。

 レイヴンは、葡萄酒をいれた木製のカップのなかに溜息を落とした。


「ヴェルトリクス王には娘がひとりいて、名をアーエン姫といいました。彼女が幼い頃に王妃はみまかられたので、王は王女を溺愛していました。……射干玉ぬばたまの髪に雪花石膏アラバスターの肌、黒曜石の眸をもつとうたわれた、それは美しい王女でした。父王の身の周りのことだけでなく、城内のあらゆる事柄を差配する知恵のある女性で、魔法ドリュイドのわざにも通じておられました」


 当時の豊かな国の姿を想像するように、レイヴンは紫紺の眼を細めて湾を眺めた。


「ある年の夏の嵐が去った後、外海そとうみの浜辺に男がひとり打ち上げられました。漁師がみつけて城へ運び入れました。この辺りではみかけない風体の若い男――わたし達が初めて観る、フォルクメレ人でした」


 ライアンとクルトは、顔を見合わせた。今でこそ混血がすすんでいるが、昔は外見でそうと判るほど民族の差は顕著だったろう。


黄金こがね色の髪に翡翠ひすい色の眸、白い肌、高い身長と鍛えあげた体をもつ、魅力的な男性でした。嵐で海に落ち、漂流した末に流れついたのです。アーエン王女は彼の看護を引き受け……まもなく、二人は恋に落ちました」

「それが、アイホルム公だったのか?」


 ライアンが問い、クルトははっと息を呑んだ。レイヴンは哀し気に微笑んだ。


「当時は大公ではなく、大勢いる王族のひとりというご身分でした。彼ひとりが助けられただけなら、何の問題もありませんでした。彼はアリル〈輝く者〉と呼ばれ、城に落ち着きました。アーエン王女は献身的に看護し、順調に回復した後、二人はヴェルトリクス王に結婚の許しを願い出ようと話し合っていたのです。……そこへ、フォルクメレの船団が到着しました」

「船団?」


 クルトが呟いた。フェルテジルは、煙管キセルにけむり草を詰めて火を点けた。

 レイヴンは、また溜息をついて続けた。


「遥か北方、一年の半分は凍っている北の大地から、南下してきた人々です。温かな海を求めてやって来た彼らは、ウリンの民に要求しました。港を開け、自分達の入植を認めよ、と」

「え」

「ヴェルトリクス王は拒否しました。どこの誰かも判らぬ者に、貴重な国土をくわけにはいきません。すると、彼らは今度は武力に訴えるとおどしてきました。王の許しを得ずに上陸を開始したのです」


 黙って聴いているライアンの眉間に皺がより、髭におおわれた唇がかたく結ばれた。クルトも、自分たちの先祖に当たる人々の行為を昨日のことのように感じた。

 レイヴンは感情を抑え、淡々と続けた。


「ヴェルトリクス王は近隣のネルダエのリー達に声をかけ、いくさの準備を始めました。この経緯に心をいためたアリル公は、『自分が船に戻り、氏族の者たちを説得する。だから、戦いを待ってほしい』 と申し出たのです。アーエン王女の願いもあり、王は許可しました」


 レイヴンは話を切り、いちど深く息を吸い込んだ。再び語り始めた声は、すこし震えていた。


「……わたしは王女の命令で、アリル公についてフォルクメレの船に行きました。アリル公はフォルクメレの王と話をして、ウリンとの和平を勧めました。王は承諾し、一旦、兵を収めました。アリル公は喜び、約束した場所にアーエン王女を迎えに行ったのです。ところが――」


 レイヴンの整った顔が苦痛に歪み、今にも泣き出しそうに声が途切れた。


「フォルクメレ族のうち和平に反対する者たちが、アリル公を捕らえたのです。わたしは辛うじて公に逃がされ、王女を守るよう命じられました。しかし、フォルクメレの兵士たちが王女を襲い、身に着けていた水門の鍵を奪いました。わたしは王女を助けることは出来ましたが、鍵は取り戻せませんでした」


 レイヴンががくりと肩を落としたので、クルトは心配になった。声をかけようとした少年に、レイヴンは首を振り、弱々しくわらってみせた。


「アーエン王女はアリル公に裏切られたと思いこみ、嘆きました。ヴェルトリクス王の怒りも、凄まじいものでした。兵士たちは奪った鍵で水門を開け、大波がウリンを襲いました」


 レイヴンは項垂れ、むき出しの土を拳で叩いた。声に嗚咽がまじった。


「わたしは全てを観ていました。……舟に乗って逃げる途中、ヴェルトリクス王は大臣たちに責められました。アーエン王女が侵略者の男にうつつを抜かし、ウリンの秘密をばらした所為で、こんなことになったのだと。無辜むこの民が命を落とし国を失ったのは、王女の所為だと……。責任を追求された王は、遂に王女を手にかけたのです」


 クルトは我知らず呼吸を止め、ライアンはやりきれないと言うように首を振った。フェルテジルはうす紫の煙を吐いて瞑目めいもくした。

 レイヴンは歯を食いしばり、しぼりだすように語り続けた。


「ヴェルトリクス王は戦いに敗れ、ウリンは滅びました。わたしは、まだ子どもでした……何もできず、逃げ惑い、ひとり生き延びました。ある日、この地を彷徨っていて、アリル・ディ・アイホルム公に再会したのです」


 レイヴンはふいに顔を上げ、天を仰いだ。晴れた紺青の夜空に、無数の星がまたたいている。彼は天啓を得たごとく囁いた。


「公は憔悴していました。戦の間も後も、ずっとアーエン王女を捜しておられたのです。ことの顛末てんまつを知り、王女がアリル公に裏切られたと思いこんだまま亡くなったと――父王に殺されたと知った公は、狂わんばかりに嘆き、ヴェルトリクス王とわたしを憎みました。『きさまを呪ってやる。王女の魂を捜しだし、わが許へ連れて来い。このつとめを果たすまで、死ぬことは許さん』 と……」


 絶句するクルトの耳に、ざーん、ざざーんと波の音が聞こえた。優しく繰り返す、この地で死んだ者の魂を慰めるように。クルトはぐるりと首をめぐらせて荒野を眺めた。ヒースに覆われた大地は、たおれた兵士たちのむくろの転がる戦場だったのだ。

 レイヴンは、ずずっとはなをすすって話を再開した。


「アリル公にも魔法の力がおありだったのか、全てをご覧になっていた地母ネイ神が力をお与えになったのか。わたしは本当に死ねなくなりました。仕方なく魔術師ドリュイドの修業を行い、アーエン王女の魂を捜しました。その間に、ヴェルトリクス王が〈影の王〉になっていると知りました」


「エウィン妃か?」


 フェルテジルが静かに訊ねた。ライアンは普段ほそい眼をみひらき、クルトは「えっ?」と小さく声をあげた。フェルテジルは煙管の灰を足下に捨て、革靴ブローガ・アーダの底で踏んで続けた。


「魂は不滅なり。死して〈約束の国ティール・タリンギレ〉へ渡れなかった者は、地上で転生を繰り返す。……アーエン王女が、エウィン妃になったのか」

「はい」

「そんな」


 クルトは呆然とした。祖母のエウィン妃は混血でありながらネルダエの民を虐げ、アイホルム大公家を戦争へと進めた。民と両親を苦しめた張本人が、四百年前の王女の転生とは。

 レイヴンは肩を落とし、呟いた。


「わたしはどうすれば良かったのでしょう? アリル公は、アーエン王女の御霊みたまをなぐさめ、和解したかったのかもしれません。しかし、公は〈約束の国ティール・タリンギレ〉へ去り、転生したエウィン妃に前世の記憶はありませんでした。……わたしに何が出来たでしょう。虐げられて育った孤児のどす黒い憎しみがこの国を染め、民と公女たち(セルマとティアナ)をさいなむのを――」

「〈影の王〉は、娘の仇を討とうとしているのか?」


 レイヴンの問いには答えず、ライアンが低く訊ねた。両手で〈輝ける鉤爪グレンツェン・クラオレ〉を握り、緑柱石ベリルの眸を炯々けいけいと光らせている。


「クルトを狙うのは、エウィン妃を復讐か?」


 レイヴンは力なく首を振った。


「分かりません。ヴェルトリクス王は、そもアイホルム一族を憎んでいます。己の民を救うために、アイホルムの末裔を生贄にしたいのでしょう」

「民を、すくう?」


 クルトは混乱を覚えた。四百年前の『失われたウリン』の王が〈影の王〉になった。その王の民、とは。

 レイヴンは申し訳なさそうに眉尻を下げ、星空を映しているウリン湾をゆびさした。


「国もろとも沈んだウリンの民は、いまもあそこにいるのです。現世うつしよ幽世かくりよのはざまで、滅亡の日を繰り返しています。四百年間、ずっと」

「ええっ」


 クルトはもう、何をどう考えればよいか分からなくなった。


 四人はしばらく黙り込んだ。遠い波の音に、風がヒースをなでる柔らかな音、ぱちぱちと乾いた小枝の燃える音が重なる。馬たちが尾を振り、〈夜の風〉号が優しく鼻を鳴らす。湾の水面は鏡のように平らかだ。

 やがて、フェルテジルが、再び煙管にけむり草を詰めながら口を開いた。


「話を聴くかぎり、レイヴン卿、貴公は卑劣な策略に巻き込まれただけで罪はないと思うがな、私は」


 レイヴンはわずかに顔をあげ、ライアンは神妙にうなずいた。フェルテジルは煙管に火を点け、ふうと煙を吐いて続けた。


「それはクルト公子も同じだ。起きてしまったこと、終わってしまったことは、変えようがない。今後どうするかの方が重要だ」

「俺もそう思う。罪があるのは、アーエン王女から鍵を奪ってウリンを滅ぼした者たちであり、一度は娘の願いをれながら、立場が悪くなると彼女に責任をおしつけたヴェルトリクス王だ」


 ライアンが言い、レイヴンはちょっと放心したような顔で固まった。その眼にみるみる透明な水が湧き、ひとすじ頬を伝い落ちる。

 ライアンは表情を変えず、厳粛な口調で続けた。


「王たる者の責任は重大だ。国の存亡に関わる戦など、迂闊うかつにするものではない。アリル公とアーエン王女は共存のために力を尽くしたのだ。それが叶わなかったからと言って、王がかばわぬとは何事か。まして、クルト公子になんの関係がある」

「あれ? 変ですよ。クルト坊、グレイヴ卿……わたし、どうして泣いているんでしょう?」


 レイヴンは手の甲で目元をこすり、ぐずっとすすりあげた。笑おうとした唇がふるえ、泣き笑いになる。もらい泣きしそうになりながら、クルトにも自分が何故泣きたいのか判らなかった。

 ライアンは、レイヴンからウリン湾へと視線を移した。つねに希望を抱いて将来をみすえる戦士の横顔を、クルトは見詰めた。


「満月の夜に、『失われたウリン』への 〈月の道〉 がひらく。現世の我々が、幽世との狭間をかいまみる機会だ。……ウリンの人々のために何が出来るか、探しに行こう」





~第四章(4)へ~




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る