第一章 犠牲の子(2)



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 城へつづく石畳の道が山道から分岐する地点で、クルト達は狩人の一団に追いついた。たくましい軍馬にった五人の騎士とその従者たちが、二頭だての荷馬車を先導している。灰色とぶちの大きな猟犬が、彼らの足下を歩いている。先頭をいく二人の騎士が、ひげにおおわれた顎を上げて高らかに角笛を吹き鳴らし、付近の住民に狩りの成功を報せていた。ひときわ巨きな黒馬に跨る大柄な騎士は、金と黒の外衣マントをはおったひろい肩に燃える炎のような髪をのせ、まっすぐ前方を見詰めていた。

 クレアは迷うことなく赤毛の騎士に声をかけた。


「ライアンおじさま! ごきげんよう」

「おう! クレア、クルト。元気そうだな」


 ライアン・ディ・グレイヴ伯爵は三十一歳。日焼けした肌に豊かな髪ときれいに整えたひげを生やし、鍛えられた筋肉によろわれた体と彫りの深いかおはいかついが、真夏の針葉樹のような緑の瞳は優しげだ。伯爵は子ども達をみとめると、馬を止めた。部下の騎士と従者たちが彼にならう。猟犬たちがクレアに駆け寄り、ふんふん鼻を鳴らしてにおいを嗅いだ。

 クルトはぐっと腹にちからをこめ、挨拶の口上を述べようとした。


「こんにちは。グレイヴ卿にお、おかれましては、ごきげんうるわく……」

「堅苦しい挨拶は要らんぞ、クルト。寝込んだと聞いていたが、大丈夫か? さすが、子どもは治りが早いな。しかもお前、また背が伸びたな!」


 ライアンは少年の舌足らずな口上に笑顔で応えた。周りの騎士たちの眼差しもあたたかい。クルトの頬が夕焼け色に染まった。


 双子として産まれたときから、クルトはクレアより小柄だった。体力がなく、しばしば熱をだして叔母を心配させていた。今も、クレアの方が走るのは速く、常に先を行かれている。だから、伯爵に褒められて、クルトは素直にうれしかった。狩りと木炭運びで鍛えられたアゲイトのしなやかな体躯や、ライアンの少年の三倍はある太い腕は憧れだ。


 猟犬たちが興味を示したので、クレアは仔犬を抱きあげた。伯爵は首を傾げた。


「公女ともあろう方が、護衛も連れずに散策ですか。その犬は?」

「護衛ならいるわ」


 クレアは葦毛の陰にいる兵士を示した。


「さっきまで、アゲイトとレイヴン卿が一緒だったのよ」

「アゲイトはともかく、カラス殿では全然あてにならんでしょう」

「なら、おじさまが護って下さる?」

「喜んで」


 ライアンは少女をひょいと抱き上げて自分の前にのせると、手綱を繰って馬をすすめた。クルトもくつわを護衛につかまえてもらい、葦毛にまたがる。騎士たちが歩き出し、荷馬車は重たげに車輪を軋らせて進み始めた。

 クレアはシャムロックの花輪を巻いた片手を伸ばし、ブナの梢ごしに城の塔を指した。


「塔が見える範囲までなら、自由にでかけていい約束なの。おばさまが心配なさるから」

「なるほど」


 一行は杉の大木を迂回して石畳の道に入った。もとは滑らかに成形した石を敷いていたのだが、長年の雨雪に削られて凹凸になっている。そこに車輪が乗ると荷台が揺れ、葡萄酒を入れた酒壺フラゴンのぶつかりあう音がした。荷台は黒い毛織の布でおおわれている。グレイヴ伯爵の家名である薙刀グレイヴの穂と守護獣のアドラーを金糸で刺繍した豪華な布だ。クルトは積み荷の詳細を知りたかったが、ここで訊ねるのはやめておいた。

 クルトの馬はライアン配下の騎士たちに左右を護られて進んだ。毛色と体格をそろえた軍馬の肩に、粗い毛織の袋が載っているのが目をひいた。狩りの獲物が入っているのだろう、にじんだ血が黒い地図を描いている。

 クルトは唾をのんで声をととのえ、騎士のひとりに話しかけた。


「良い狩りだったようですね」

「おう。牡鹿が二頭だ」


 話しかけられた騎士は礼儀正しく頷き、ライアンが答えた。足下を跳ねるようについてくる猟犬たちを誇らしげに眺め、


「ブランとネルトが仕留めてくれた(注*)。城につき次第、そちらの厨房にお任せする」

「お祭りのご馳走ね。おばさまが喜ぶわ」


 クレアが歓声をあげ、胸に抱いた仔犬の顎をくすぐった。ライアンは眼を細め、角ばった戦士の頬にはにかむような笑いを浮かべた。


「そうだと嬉しいのだが」

「おじさま」

 クレアはライアンの胸に身を寄せ、わざとらしく声をひそめた。

「ティアナ叔母さまは今年もお独りよ。聖王さまからの縁談は断ったから、安心して」


 ひそめているとはいえ少女の声は高く、数人の騎士と従者が含み笑いをもらした。ライアンはいったん細めた眼をひらき、返答に困って視線をそらした。


 クレアとクルトの実母セルマは、鎧を身にまとって戦場を駆ける女騎士だった。十年前の戦乱で命を落とし、直後に先代の大公夫婦(クレアとクルトの祖父母)も謎の死を遂げた。セルマの双子の妹ティアナは、それまで全く世間に知られていなかったにもかかわらず、戦乱を収めるために奔走し、姉の遺児二人の母代わりとなって大公領を治めてきた。地位と財産をもつ女性が独り身でいることは難しく、たいてい王が政治的な配慮から結婚を決めるのだが、彼女の功績に遠慮してか、聖王も強いてはこない。

 『クルトが成人して大公領をぐまでは』 というのが、〈白の御方〉ことティアナ女大公の口癖だ。

 しかし、上からの要請がなくとも下から狙われる。まだ二十八歳の美しい未婚の女大公ならばなおのこと、地方の騎士や男爵など正攻違法を問わず彼女をねらう男は数知れない。

 ライアンはティアナとは幼馴染であり、セルマと共に戦った仲だ。歴戦の勇者が叔母に対しては奥手なのを、少女は好ましく思っていた。


「はやく婚約しちゃえばいいのに」

「そうは言うがな、クレア」


 少女の率直な物言いにつられて、ライアンの口調もくだけた。伯爵は厚い筋肉におおわれた胸を揺らし、溜息をついた。


「叔母上の真意が那辺なへんにおありか、俺は解らんのだよ。下手へたを打って出入り禁止になっては、元も子もなかろう」

「でも、わたしとクルトが成人するまで、五年もあるのよ。そんなに待っていられないでしょ。おばさまが、わたし達の知らない人と結婚するなんて、嫌だわ」


 クレアはぷくっと頬を膨らませ、花弁のような唇を尖らせた。もう一人の当事者であるクルトは黙っている。

 クレアは青玉の瞳をきらめかせてライアンを見上げた。


「わたし、おばさまはおじさまのことがお好きだと思うの。おじさまがいらっしゃると本当に嬉しそうよ。応援しているから、頑張ってね」

「……嬉しがらせることを仰る。ありがとうございます」


 騎士と従者たちは今や微笑を隠そうとしていない。本人の意向を無視した姉のげんにクルトはひやひやしていたが、ライアンが気を悪くした風はなかった。赤い髭にふちどられた口に皓歯こうしをひらめかせ、愛馬〈夜の風ナーヴィント〉号の足を速める。



 一行は森を抜け、青天の下へ出た。視界がひらけ、ひやりとした高原の風が頬をなでて通り過ぎる。丘をのぼる曲がりくねった道の先に、アイホルム大公家の居城〈マオールブルク〉が建っている。この地方で白雲石ドロマイトと呼ばれる灰色の石と白漆喰で築かれた城砦は、明るい陽光を浴びてサギのように優雅だ。

 先頭をいく騎士たちが再び角笛を吹き鳴らし、伯爵の来訪を告げる。ライアンは馬をかすことなく、ゆっくり道を登って行った。木々を伐採した見晴らしのよい丘の斜面には、黄色い兎菊アルニカや空色の勿忘草サリエッテスが咲いている。収穫祭の準備に来たのだろう、驢馬ロバのひく荷車に乗った農夫たちが道をあけてくれる。その前を会釈をして通りすぎ、一行は城門にたどりついた。

 背後の滝から水をひいた堀には川魚が泳いでいる。跳ね橋の向こう、やぐらつき城門の両側に二本の塔がそびえている。一方は衛兵たちの詰所で、もう一方は裁判を待つ罪人を閉じこめる石牢だ。門のアーチに掛かる白い旗には、大公家の家名である一角鯨アイホルムと守護獣の山岳天竺鼠マオールの紋章が、藍色と銀の糸で織りこまれていた。


 衛兵たちが槍を下げて(敵意のないことを示す)出迎えるなか、騎士たちは跳ね橋をわたって城の外郭へ入った。城壁に沿って並ぶ建物は、石造りと木造が半々だ。東側に厩舎と牛と鶏の飼育小屋がある。西側の内郭には厨房と野菜畑、女主人の菜園がひろがり、公子たちと使用人が住む家屋がある。正面の方形の本丸キープは石造りの三階建てで、一階は倉庫、二階に大広間があり、その奥と三階に客用と城主の部屋がある。広間につづく階段は外付けの木製で、敵に攻められた際は取り外しできるようになっている。本丸の後ろにひときわ高い塔があり、〈聖なる炎の岳〉を祀る神殿を兼ねていた。


 内郭にはすでに城の人々が集まっていた。ティアナ女大公をはじめ家令のウォードと侍女たち、厩舎長と料理人と見習いたち、犬の飼育係と衛兵もいて、一行を待ちかまえていた。ティアナは編んだ黄金の髪をダイアデムのごとく頭に巻き、薄雪草スターイレスの花を銀糸で刺繍した白い胴着ドレスの上に濃紺の毛織の外衣マントを羽織り、女神のように気高かった。

 騎士たちが馬を降りると、すかさず厩舎係が駆け寄り、従者たちと協力して厩舎へ馬をひいていった。巨大な二匹の猟犬も丁重に迎えられた。ライアンは四人の騎士を従えて女大公の前に片膝をつき、うやうやしくその手に挨拶をした。


「よくいらして下さいました、グレイヴ卿」

「我が君におかれましては、ごきげんうるわしく」


 型どおりの挨拶を交わす叔母の表情が和らぐのを、クレアは目ざとくみつけていた。(やっぱりおばさまは、ライアンおじさまが好きなのよ)と思う。クルトは葦毛から苦労して降りながら、騎士たちの礼儀作法に注目していた。

 ライアンは、部下の捧げもつ狩りの獲物を示した。


「牡鹿を狩って参りました。下処理を済ませておきましたので、すぐ料理に使えます。ブランとネルトに骨を分けてやって下さい。あやつらが功労者ですので」

「ありがとう」

「今年の葡萄酒と、梨と干し無花果いちじくと、猪肉の燻製を載せています。あとで荷車をご確認下さい。ヒューゲル大公領から、オリーブ油と塩と染料も持参しました」


 壮年の家令ウォードが進みでて、銀の口髭の下に微笑をうかべ、主に代わり礼を述べた。


「いつも本当にありがとうございます。伯爵さま、騎士の皆様も、夕食の前に湯浴みはいかがですか? お湯を用意してございます。どうぞ、汗と埃を落としてください」

「それはありがたい」


 ティアナは頷き、ゆるやかに踵を返す。彼女がクレアと侍女たちを従えて本丸キープへ向かうのを見送り、ライアンと騎士たちは立ちあがった。言葉もくだけたものになる。

 にわかに慌ただしくなる人の動きを、クルトは葦毛とともに眺めていた。





~第一章(3)へ~

(注*)ライアンの愛犬は、アイリッシュ・ウルフハウンドのような超大型犬を想定しています。ブランは牝で名前は「木屑」という意味(アイルランド・ゲール語)、ネルトは牡で名前は「力」という意味です(同)。


*単なるこだわりですが……「ひげ」の文字が異なるのは誤字ではなく、「鬚」=あごひげ(goatee)、「髭」=くちひげ(mustache)、「髯」=ほおひげ(beard)、です。

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