第1-5話 胸騒ぎ

 ところで俺の『彼女』はと言うと、大体一コマ目の日は遅刻してやって来た。

 美人て損だなと思うところに、直ぐに顔と名前を覚えられてしまうところがある。出席さえ取っていたらいい授業は代わりに名前を書いておくので来なくていいと言ってあるのに、彼は律儀なのか嘘がつけないのか、授業の途中でも何食わぬ顔で講義室に入ってくる。


「明日からさ、おはようコールしてやるから。出ろよ?」


 見兼ねた俺が声をかけると、秋夜は唐揚げを頬張りながらこくんと首を縦に振る。「でも、悪いよ」とか「ありがとう」とかはない。関わるようになって徐々に分かってきた事だが、彼はどうやら人付き合いが苦手だ。

 それに、びっくりする程不器用で、何も出来ない。朝晩とカップ麺で生活しているらしい。色々と心配だ。

 唐揚げの付け合わせのサラダのマヨネーズが右の頬に付いていて、拭ってやる。それには流石に、「ありがと」と言われてちょっと心に来るものがあった。

 世話を焼くようになってから、満たされる心がある事を自覚した。


(……俺はきっと、誰かの『誰か』になりたかったんだな…)


 自慢出来る程美人な『秋夜かのじょ』。世話を焼く自分。頼ってくれる仲間。俺の居場所。…きっと、ずっとそんなモノに飢えていた。

 大学生活は、本当に楽しかった。

 講義後に一緒に晩飯を食べて、その足で誰かのアパートに遊びに行って、遅くまで漫画を読んだりゲームしたりして過ごす。時には、そのまま床で雑魚寝をして、朝を向かえてそのまま一コマ目に参加したりした。自由。そう、これが、自由か。


「あっ、シュウヤ君!」


 ある日。

 突然、後ろから声がかかる。呼ばれた秋夜よりも先に俺が反応して振り返った。確認せずとも、それが叶ちゃんの声なんてのは分かりきっていた。


「あれっ? 叶ちゃんじゃん。秋夜、呼ばれてるぞ」


 何食わぬ顔で、隣を歩く秋夜の肩を叩く。ほんと言うと心臓の音が煩い。なんで…叶ちゃんは俺の名前じゃなくて秋夜の名前を呼んだんだろう?胸騒ぎがする。


「芳樹と友達になったんだ!」


 小走りで距離を詰めてきた叶ちゃんは、満面の笑みを秋夜に向けた。え、何、叶ちゃんも秋夜の事女だと思ってる?『秋夜ちゃん』だと思ってる?まぁ、こんな美人と親しくなれるなんて機会、早々無い。そりゃ、『くん』だろと『ちゃん』だろうと嬉しくなっちゃうよな。わかるわかる。

 叶ちゃんのその笑顔に、きっと特別な理由なんてないのだと決めつけて。俺はいつものように得意気ににやりと笑ってから、親指を立てて秋夜を指した。


「友達じゃなくて、彼女っすよ。彼女」

「えっ?! はっ?!」

「……ってゆ、ネタを初見にすることを楽しんでます」

「……な、なーんだ……」


 叶ちゃんが本気で安堵したように胸を撫で下ろすので、俺の胸騒ぎは消えてくれない。それでも、ポーカーフェイスで会話を続けた。「これから食堂?」と叶ちゃんが訊いてきて、頷く。


「一緒してもいい?」

「叶ちゃんの奢りなら!」


 それから本当に叶ちゃんに奢って貰って三人でご飯を食べた。

 主には叶ちゃんと俺が会話をし、秋夜は黙々と唐揚げ大盛り定食を食べているだけだったが、チラチラと叶ちゃんが秋夜を気にしているのが分かる。そんな叶ちゃんを、俺がチラチラと気にする。…秋夜はそんなことまるで興味が無いようで、唐揚げばかり眺めていた。ほんと、周囲の関心に乏しい奴。…でも、そんなところがやっぱりほっとけない。し、素直で可愛いと思う。唐揚げを頬張ってほっぺがでこぼこになっているのにも気にも留めないところとかが、実は秋夜の本当の魅力なんだろうと思う。

 話題は殆んど、秋夜の事だった。


「秋夜は生活力も皆無で。一コマ目がある日は、朝、おはようコールしてるんですよ? 寧ろ、俺が彼女だったのか! って感じ」

「へー!」


 叶ちゃんのきらきらした視線がなんの為のものなのかは考えないことにした。


(………ああ、結局。『先に出会った方』が優位なんてものはないんだ…)


 先に生まれた人間が、優位になる訳ではないように。

 俺はどんどんと心の中が岩へと侵食されていくような感覚を覚えた。カラフルだった毎日が、なんとなく、薄暗く見えてくる。ああ、結局。叶ちゃんの『誰か』って、俺じゃないんだな。


「お腹いっぱいになった?」

「………いえ。唐揚げなら…いくらでも入ります」

「好きなんだ?」


 俺を余所に、叶ちゃんは秋夜を眺めながら嬉しそうに笑う。わかる。秋夜は美人な外見のくせ、可愛い。そのギャップに、ツボなんていくらでもある。見ていて癒される。わかる。


「ギャップ萌たまらんね!」


 と、その表情かおのままに俺を振り返る。突然の事に俺は直ぐに反応が出来ずに、目を丸めてしまった。それから、「ああ、でしょ。俺の彼女、たまらんでしょ?」といつもの調子で笑った。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る