ネクトーのために
「悪いな、先にやってたぜ」
わたしたちが戻ると、ネクトーは、獣人族の避難場所、森の空き地で、焚火の前にあぐらをかき、ひたすら食べ物を口に運んでいた。
焚火には大鍋がかけられ、ぐつぐつと煮えたって湯気を立て、旨そうな匂いが、あたり一面に立ち込めている。
ネクトーの横には、すでに食べ終えたゲ蟹や、イゼ海老や、ムラサキ牡蠣などの殻が、山積みになっていた。
ネクトーがひとつ食べ終わると、うやうやしく横に控えた獣人が、さっと次の皿を差し出す。
目で礼を言って、ネクトーはすぐに、もくもくと食べ始める。
わたしはあきれた。
「おい、ネクトー、どこまで食うんだよ。よくそれだけのものが胃袋にはいるな」
「ん……」
ネクトーはゲ蟹のぷりっとした身にかぶりつきながら
「いや、とにかく、腹が減ってたまらんのだ……いくらでも入るぞ。そういえば、ルキウス」
「なんだ?」
「あっちはどうなってた?」
「どうなってたって……ネクトー、あんた、覚えてないのか?」
「うむ……チェムノターをちょっとからかってやったら、奴め、めちゃくちゃ怒っちまってなあ、いきなり衛兵の剣をつかんで、おれに切りつけやがった」
「それで?」
「チェムノターが力任せに振り回した剣で、おれの首が、見事に切り飛ばされ、ぽーんと宙に舞ったんだが……そのあたりまでしか、おれには、おぼえがない」
そういって、ネクトーは首周りの白い傷跡をさする。
「いや……首が宙に舞ったっていわれても」
たしかに、それらしい痕はあるのだが、信じがたい。
首を飛ばされた本人が、こうしてのほほんとしているのだ。
わたしは気を取り直して
「じゃあ、あんたは、どんなふうにあれが起きたのか、塩の柱になってしまったチェムノターたちになにが起きたのか、何もわからないってことなのか?」
「うむ……正直言って、そうなのだ。まあ、あいつが何かしたんだろうよ、たぶんな……」
あいつ――邪神ハーオス。混沌と破壊の神。
事もなげに町をひとつ滅ぼす、その力。
ネクトーは、その人懐っこい目でわたしをみると
「まあ、あとはよろしくたのむわ、ルキウス」
「なにがだ」
「なにがって……そりゃあ、王都への報告だよ」
「報告? ……あっ!!」
そうなのだ。わたし、王の秘密調査官ルキウス・フレデリクスは、その任務として、今回のことの顛末を、王都のしかるべきところに、きっちりと報告しなければならないのだ。
「うまくやってくれよ。生きているみんなが、だれも不幸にならないように、な」
その言葉に、女王スヴェトラーナ、イリーナ、そして獣人たちがわたしを見る。
いや、そんなことを言われても、いったい、町がひとつ一夜にして滅んだこの事件をどう説明したらいいのか……わたしは、頭を抱えたくなった。
「大丈夫だ、ルキウス。文句をいいそうな住人はみんな死んじまった。なんの証拠も残っちゃいないんだ。あんたの思うようにやればいいんだよ」
のんきな声でいうネクトー。
「わたくしたちも、お望みのままに、証言いたしますわ」
と、獣人女王スヴェトラーナが言う。
「ルキウス、そんなしけた顔してないで、とりあえず、ご馳走をいただこうぜ。あんたのいう通り、ほんとうにヴィスィエーの海産物はうまいなあ。さあ、あんたもさっさと、そこに座れや」
「ネクトー、あんたなあ……」
ぼやきながらも、わたしも焚火の前にすわり、いつしか獣人たちとともに、にぎやかな宴を楽しむのだった。
わたしの報告書は、けっきょくのところ、ネクトーとその活躍には一言も触れないものとなった。
ヴィスィエーの五人委員会は、不遜にも王国の法をやぶり、自由市民を奴隷として、国外との奴隷貿易を企んでいた(まあ、これは事実)。
しかし、利益配分で仲間割れを起こし、不利になったチェムノターが禁断の魔法を使った結果、魔法が暴走、呼び出された魔物が大暴れして町が滅んだ(少しだけ本当)。
そして罪もない住民(これは嘘)が多数犠牲になった……。
そんな筋書きである。
報告を受けた王は、無辜の臣民が多数巻き込まれた(しつこいようだがこれは嘘)大惨事をいたく憐れみ、手厚い援助を命じられた。獣人の警告をうけて町を逃れていた人たちと、解放された獣人とが助け合い、ヴィスィエーの町は復興への道をあゆむ。
ネクトーとは、王都にもどる旅の途中で別れた。
朝、目を覚ましたら、焚火の脇で、横に寝ていたはずのネクトーの姿がなかったのだ。
「ネクトー……?」
毛布にはまだぬくもりがあった。
おそらく、また、神のしもべとしての命令を受け、どこかに飛ばされたのだと思う。
「おいおい、またかよ……かんべんしてくれよ……」
そんなふうにぼやくネクトーの、人懐っこい顔が浮かぶ。
混沌の神のしもべ、ネクトー。
かれはいつまで、神のしもべとして彷徨いつづけなけばならないのか。
ネクトーにいつか、安息の日が訪れることを、わたしはこころより願う。
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