真っ白な町
わたしたちは、ネクトーの指示通り、ヴィスィエーの町から距離をとって、様子をうかがっていた。
わたしたちの目の前で天秤が大きく傾き、そして大地が揺れた。
阿鼻叫喚の声がかすかに聞こえてきた。
さらに、ヴィスィエーの町を覆った黒雲から、無数の稲妻がほとばしり、町を直撃するのを見た。
わたしの横には、獣人女王スヴェトラーナ、その娘イリーナが立ち、そして後ろには獣人たちが居並び、みな、無言でヴィスィエーの町を見つめているのだった。
「ネクトーさま……」
やがて、スヴェトラーナがつぶやいた。
「言い伝え通り、我らの危機を救うために、神から遣わされたお方……」
「大丈夫なのかな、ネクトー」
わたしは、ひとり町に残ったネクトーの身を心配した。
「心配ありません、ルキウスさま」
イリーナが言った。
「ネクトーさまは、神のしもべなのですから」
その声には、絶対の信頼が感じられた。
(おれは何があっても死なない……いや、死ねないんだよ)
別れ際、ネクトーはそんなことを言っていた。
苦い笑いを、その顔に浮かべて。
その背負った重荷。
それにしても、ネクトーの過去に、なにがあったのだろうか。あんな、憎めないやつなのに……。
やがて、町を覆う雲は、薄れて消えていった。
青空がのぞいた。
天秤が今や、逆に傾いていることをのぞけば、これまでと一見なにも変わらないヴィスィエーの町。
しかし、陽光のもと、町は静まり返っている。
本来そこにあるはずの、喧騒がなにも聞こえてこない。
「だれか、なにか、聞こえるか?」
わたしはたずねたが、鋭い聴覚をもつ獣人たちも、首を横に振った。
「聞こえません……なにも」
「そうか……」
わたしは、言った。
「行ってみよう、町に」
近づくと、あれほどまでに開かなかった城門が、今は半開きになっていた。
獣人戦士が一人、門に走り寄り、中の様子をうかがった。
危険はない、と手を振ってよこす。
わたしたちも、城門に近づき、ヴィスィエーの町をのぞきこむ。
「こりゃあ、また……」
わたしは、まぶしさに目をしばたたいた。
一体、ここで何が起こったのだろうか。
教会の尖塔は折れて倒れ、市庁舎や商工会の建物も半壊していた。
大嵐がふきあれたかのようだ。
そして、塩。
町のすべてが、真っ白な岩塩に覆われて、それはまるで季節外れの雪が降ったかのようだった。
陽光を反射して、塩が白くギラギラ輝いていた。
そして、住人は、ひとっこ一人いなかった。
わたしたちが脱出の際に切り倒した連中の
「あっ、あそこに!」
イリーナが叫んだ。
中央広場の真ん中に、白く盛り上がっているのは、女王を焚刑にするために積み上げられた薪の山だろう。
その山にもたれかかるようにして、ぽつりと、両足を投げ出して座る人影があった。
「ネクトー?!」
「「ネクトーさま!」」
わたしたちは、ネクトーのもとに駆けよった。
「よお、みんな……」
ネクトーは、座りこんだまま、気だるげに片腕を上げた。
「おい、ネクトー、あんた、大丈夫なのか?」
やや憔悴した顔だが、大きなけがはなさそうだ。
首のまわりに、ぐるっと、刀傷のような白い太い跡ができているが、それはずっとまえに治癒した古い傷のようにみえた。
「むぅう……立てない……」
ネクトーが弱弱しく言う。
「なんだと?! やられたのか、どこをやられた!」
思わず叫んだ。
「腹が……」
「腹?! 腹をやられたのか、ネクトー? みたところ、大きな傷はないようだが!」
ネクトーは、ふわりと笑って
「腹が……減って、立てない……」
「なんだってえ?」
わたしは唖然とした。
ネクトーが続ける。
「なぜか猛烈に腹が減って……力が入らないんだよ、ルキウス……」
女王スヴェトラーナが、すかさず言った。
「ネクトーさま、わたくしたちが、ご満足いただけるまで、山海の珍味でおもてなしいたしますわ。さあ、皆の者!」
「「「「おう!」」」」
女王の指示で駆け寄った、たくましい獣人戦士たちが、あっというまにネクトーを担ぎ上げると、運んでいく。
これまで避難していた森の隠れ家に連れていくようだ。
「なあ、ゲ蟹の塩ゆではあるかい?」
獣人たちの上で揺られながら、ネクトーが聞いた。
「おまかせください、ネクトーさま。お望みのままに! イゼ海老もあります!」
「おぅ、いいねえ、ありがたい。それじゃ、ひとつ、急いで頼むぜ!」
「承りました!」
獣人たちは、答えるや否や、いっせいに疾走を始めた。
あっという間に、土埃の中、運ばれていくネクトー。
それをほほえましく見送りながら、わたしは言った。
「さて、町がどうなったのか、報告のために検分しておこうか……すっかり忘れていたが、わたしはこれでも、秘密調査官だからな」
ヴィスィエーの町は、岩塩の塊と化した。
町のいたるところには塩の柱が立ち、それは神の怒りにふれた住民のなれの果てなのかもしれない。
商工会の扉から斜めに突き立っている鉄柱。
あれは、中央広場に立っていた焚刑の柱ではないか。
なぜ、あれがあんなところに刺さっているのか?
その柱にまとわりつくように、岩塩がこびりついている。
「うわっ……」
その岩塩には、都合四組の生身の目と口がついて、苦し気に閉じたり開いたりしていた。
その目それぞれに、わたしは見覚えがあった。
「あーあ、おたくら、触れてはいけないものに触れてしまったなあ……」
女王スヴェトラーナが、広場の隅にある塩の柱の前で、たたずんでいた。
「それは?」
「たぶん、チェムノターでしょうね……」
チェムノターは跪いて、両手を合わせ、祈るような姿勢で固まっていた。
その目は、ほかの四人とはちがってかたく閉じられ、口の中では茶色の舌が、なにかを唱えるように絶えず動いていた。
「なにを祈っているのか……」
哀れというほかない。
「町には、もはや、人はだれもいません……」
「完全な無人です」
散らばって町の中を調べてきた獣人戦士が報告する。
悪徳が猖獗を極めたヴィスィエーの町は、滅んだのだ。
「皆の者、戻るぞ」
獣人女王スヴェトラーナが言った。
「我らを救ってくださった、ネクトーさまのところへ」
「「「おう!」」」
そして、わたしたちは、滅んだ町を後にしたのだった。
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