獣人女王の糾弾
とうとう、女王スヴェトラーナの公開処刑が執行される日がやってきた。
その日、ヴィスィエーの空は、朝から雲が重く垂れ込めていた。
港の上では、海鳥たちが、不安げに鳴きかわしながら、その空を飛び交っていた。
住人たちは、期待に目をぎらつかせながら、中央広場に集結する。
広場には、前夜より、焚刑の準備が整えられていた。
広場の中央に、大きな鉄の柱が立てられている。
これまでに、何度も焚刑に使われたその鉄柱は、表面が黒く炎焼けしている。
柱の中ほどには、罪人を吊すための鉤が、四つ突き出している。
罪人を、鉤に固定するための、移動式の階段も、用意されている。
柱を取り巻くように、ふんだんに薪が積まれていた。
薪は罪人を苦しませるように、煙が多く出る材質の木が、わざわざ選ばれている。
朝から、衛兵たちが、鋭い槍を手に、ぐるりと広場を取り巻いて警戒していた。
罪人を救おうとする試みを阻止するためでもあるが、もう一つには群衆を近づけないためでもある。
公開処刑――それも美貌の獣人女王という、興奮させられる
中央広場の後ろに、そびえ立つのは、かの大天秤である。
今、天秤はその傾きを大きくかえて、ほぼ、左右が釣り合う状態となっていた。
平衡をたもちながら、ゆっくり揺れている。
やがて、合図の喇叭が鳴った。
ざわついていた人びとが、一瞬静まる。
市長ゼミニヤー、貴族アレクサンドル、神官長チェムノター、商工会頭ジャードニス、そして警察長官ナシリエが、重々しい足取りで、焚刑の様子を見下ろすようにしつらえられた、五人委員会の席に登壇した。
「市民諸君!」
市長ゼミニヤーが声を張り上げた。
「ただいまより、謀反を企んだ獣人女王スヴェトラーナの公開処刑を執行する」
「おおおっ!!」
民衆から、どっと歓声が上がった。
警察長官ナシリエが合図する。
「罪人スヴェトラーナを、ここへ」
そして、獣人女王スヴェトラーナが、地下牢より連行されてくる。
目だけがのぞく黒い布の面覆いをつけた、二人の獄吏が、後ろ手に縛られた女王の白い腕を両側からつかむようにして、ひきずり、広場に入ってきた。
この二人が死刑執行人の役を果たすのだ。
美しい女王が無残に連行されるそのさまを見て、市民がどよめく。
哀れみではなく、嗜虐の喜びのどよめきであった。
獣人女王スヴェトラーナ。
例え囚われの身であっても、その姿には、威厳があった。
すみきった美しい目。
意志の強そうな口元。
その美貌。
引き立てられてきた女王スヴェトラーナは、ここまでの監禁に、さすがに憔悴した顔をしているが、五人委員会の前で、女王としての矜持を示し、堂々と胸をはる。
市長ゼミニヤーが、そんなスヴェトラーナに、おためごかしの声をかける。
「さて、獣人女王スヴェトラーナ、処刑を前にして、何か申し立てることはあるか? 己の犯した罪に対し、懺悔の言葉があるなら聞くが……?」
スヴェトラーナは、口をかたく結び、無言である。
貴族アレクサンドルが、口の端をゆがめて、
「おい、跪いて、われらに命乞いでもしてみるか?」
ばかにしたように言った。
「額を地に擦りつけ、悔悛のほどを見せれば、慈悲で、焚刑から斬首刑にかえてやらんでもないぞ」
それを耳にした群衆が騒ぐ。
「それはダメだ!」
「おれたちが見たいのは、焚刑だぞ!」
「火あぶりを見せろ!」
スヴェトラーナは、五人委員会に、ひたと強い視線を向け、そして、口を開いた。
広場に、獣人女王スヴェトラーナの、凛とした声がひびいた。
「われら獣人に罪はあらず、この全ては偽りである!」
その声には、なんの怖れもなかった。
「何を今さら! 謀反の証拠がある」
そう言ったのは、警察長官ナシリエだ。
「ほう? ならば、その、謀反の証拠なるものを示して見せよ」
「それは……」
ナシリエが口ごもる。
予定では、リツミエリの奴隷印によって操られた獣人が、シナリオに沿って、スヴェトラーナを首謀者とする、人族に対する陰謀をことこまかに証言するはずであったのだが、全ての獣人はすでに解放されてしまっていたのだ。
だが、ナシリエが次の言葉を言うより早く、
「証拠なんかどうでもいい!」
「早く始めろ!」
「その、生意気な獣人女に火をつけてやれ!」
「火をつけろ!」
「火をつけろ!」
「火あぶりだっ!」
群衆がわめき立てる。
周囲がすべて敵の、絶体絶命の状況でも、女王スヴェトラーナは動じない。
よく通る声で、さらに詰問した。
「何を持ってわれら獣人を罪に問う?」
神官長チェムノターが、女王の威厳に圧倒されて役に立たないナシリエを押さえ、かわりに答える。
「それが大神パリャードさまの御心だからだ」
「なんと、神の御心とな? 誰がそれを言うのだ」
「敬虔なる神のしもべである、この神官長チェムノターが告げるのだ。わたしの言葉が、パリャード様の言葉である」
「はっ、こざかしいな、チェムノター、汝の心に、まことの神はないぞ!」
獣人女王スヴェトラーナは、チェムノター相手にも、一歩も引かず、言葉を叩きつけた。
「黙れッ! 獣人風情が、神に対して不敬であろう。……ふん、もうよかろう。しょせん魂のない獣人に、神の大きな御心は理解できようはずもないわ」
チェムノターが吐き捨てた。
市長が、手を上げて指示する。
「やれ」
警吏が、火のついた松明を持って現れた。
広場に煙が黒々と舞い上がる。
ナシリエが、二人の獄吏に目配せをする。
「さあ、罪人をその柱に……」
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わたしは、横を向いて言った。
「もういいだろ、ネクトー」
「そうだな、頃合いかな」
と、ネクトーも応える。
「この町の連中は、どいつもこいつも最低だ。ムカムカしてるんだ、おれは」
そういって、わたしは、黒い面覆いを自分の顔から引き剥がし、ぽいと捨てた。
ネクトーも同様だ。
獄吏の面覆いを脱ぎ捨てる。
そして、獣人女王スヴェトラーナは、縛めから自由になる。
「きっ、きさまら!!」
わたしたちの目の前で、五人委員会の面々が、愕然とした顔をしている。
それはそうだ。
獣人女王スヴェトラーナを連行してきた、死刑執行人であるはずの獄吏二人が、じつはお尋ね者のわたしたちだったわけだから。
早朝にこっそり獄舎に忍び込み、すり替わらせてもらったのだ。
女王スヴェトラーナの顔にも、驚きの表情が浮かぶ。
「あなたたちは……?」
「おれはネクトー、こちらはルキウスだ。あんたの同胞は、イリーナをはじめ、みな無事だから安心してくれ」
「ネ、ネクトー? まさか……大いなる神のしもべ、ネクトーさまが、わたくしのもとに?!」
スヴェトラーナの、イリーナによく似た澄んだ目が、大きく見開かれた。
「たかが二人だ、捕らえろっ!」
警察長官ナシリエが怒鳴る。
ザッ!
広場をとりまく衛士たちが、いっせいに、その向きを変えた。
なん十本もの鋭い槍先がわたしたちに狙いを定める。
そのとき、
「「「「ウオオオオオオオオッ!」」」」
広場を揺るがす、雄叫びが上がった。
そして、広場の周りの建物の窓から、次々と飛び降りてくる者たち。
何メイグもの高さをものともせず、身体のバネで、しなやかに着地する。
女王奪還の決意に燃える、獣人族最高の戦士たちである。
たくましい戦士の一団は、人びとがあっけにとられる中、わたしたちのもとに駆けつけると、女王をその後ろに護る。
「さあ、脱出だ。うまくやれ」
ネクトーがうながす。
「ネクトー、計画通りで、本当にいいんだな? この状況は……」
わたしが言うと、ネクトーは
「大丈夫だ、ルキウス、おれは何があっても絶対に死なない、いや……」
その顔に、苦い笑いを浮かべて言い直した。
「おれは、死ぬことが許されていないのだ。あいつのしもべである限り、な。だから、おれの身は心配するな」
そして、わたしに言った。
「行け、ルキウス! 女王を頼む」
「おう、心得た!」
わたしは先陣を切って、剣を振るう。
「でぃやあああっ!」
この退廃の町ヴィスィエーへの、愚劣なヴィスィエーの住人への怒りにまかせ、押し寄せる衛兵をなぎ倒す。
「じゃまだ!」
「ギャアッ!」
慌てて逃げまどう町の連中も、進路を塞ぐようなら容赦なく切って捨てた。
もとより最低なやつらだ。情けをかけるつもりはない。
わたしの後からは、女王を護るように囲んで、屈強な獣人戦士の一団が続く。
人をはるかに上回る身体能力を持つ獣人戦士が、女王のために全力を振るうのだ。
警備の衛兵など、歯牙にもかけず、脱出路を切り開いていく。
突き進むわたしたちの勢いに、抵抗できるものはなかった。
「よし、計画通りだ」
城門を突破しながら振り返ると、中央広場、焚刑の台の上、腕を組んで一人立つネクトーの姿が目に入った。
そこに衛兵が殺到していく。
「ああ、ネクトーさま……」
女王スヴェトラーナがつぶやき、頭を下げた。
(ああ、女王、そういうのは、いいから)
ネクトーが、そんなふうに言ったような気がした。
わたしたちが城門を出たとたん、
ズズウーン!!
金属の重い城門が、内側から見えない力に引かれたように動き、逃げ遅れた衛兵を押しつぶして、ぴたりと閉じた。
同時に、町を取り巻く防壁にいつくか開けられている通用門も、港の閘門もすべてが閉じてしまった。
ヴィスィエーの町は、大いなる力によって、今、完全に封鎖されたのだ。
もはや、防壁の中にいる者は、ただの一人も町の外に逃れることはかなわない。
これから何が起きるのか――まさに、神のみぞ知る。
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