<処刑前日>
<市長執務室>
「市長……ご報告が」
市長ゼミニヤーの執務室である。
あわてて入ってきたのは、警察長官ナシリエだった。
「ん? どうした、ナシリエ」
市長は、決裁中の書類から顔を上げていった。
ナシリエの顔は緊張していた。
「どうしたんだ?」
「天秤が、動いています」
「またか!」
「はい……ゆっくりと、傾きがかわって」
「なにか周辺に被害は?」
「いえ、とくにありません」
「そうか……チェムノターは、なんと?」
「問題ない、と」
「なるほど。では、放っておけ」
「はい……それから」
市長は眉を上げた。
「まだあるのか?」
ナシリエは言いにくそうに、
「はい……リツミエリが……リツミエリがやられました」
「なにっ?! それを先に言え!」
「すみません」
「何がおきた?」
「それが」
ナシリエは、額の汗を拭って言った。
「リツミエリの奴隷館が、まるごと、塩のかたまりになっています」
「なんだって?!」
「一夜にして、豪邸が、白く輝く岩塩に変わってしまっているのです!」
「そんなばかな……それで、リツミエリは見つかったのか?」
「はい。まるで、坑道のようになった、塩のかたまりの隙間をぬけて、地下室まで入ってみると、やつはクジマ同様の姿で、塩になって固まっていました……」
「ぐうっ……」
市長は顔をゆがめた。
「獣人どもの仕業か、例の秘密調査官の仕業か……そういえば、どうなった、その、ルキウスとか言う男の捜査は!」
「いまだ、みつかりません……」
ゼミニヤーの胸に、重い不安が広がったが、しいて声を強め、ナシリエに指示をする。
「いずれにせよ、スヴェトラーナの処刑は明日だ。それさえ終われば、問題なかろう。牢獄の警戒を厳重にするんだ。それから、この件は他の三人にも教えておけ」
「かしこまりました」
ナシリエが退出する後ろ姿を見送り、市長ゼミニヤーは、書類に戻った。
その書類は、海路での奴隷売買の許可証であった。
この先、ヴィスィエーを奴隷貿易の拠点にすることが構想されているのだった。
「これから儲けようというのに、リツミエリの奴隷印が、使えなくなるのは痛いな……」
そんなことをつぶやいた。
<教会>
パリャード教会では、神官長チェムノターが、今、まさに傾きをかえていく大天秤に、その目を向けていた。
パリャード教会は、そのどの場所からも、大天秤が目に入るように設計されているのだ。
「明日だ……明日、スヴェトラーナを、市民の前で処刑すれば、おそらく、天秤は完全に位置をかえる。それが
そう独りごちるチェムノターのもとに、リツミエリ邸の異変が伝えられた。
「そうか……わかった。下がってよい」
しかし、チェムノターは動揺するそぶりもない。
報告に来た者を、あっさり下がらせた。
「ふむ……」
なおも天秤に目をやりながら、
「あの男、リツミエリ……、なかなか役に立ってくれたが、あの男の思想は問題があったからな。わたしが気づいていないとでも思っていたのだろうが、畏れ多くも、パリャードの御神に不遜なことを考えていた気配がある。まあ、このあたりで、退場してもらうのがよいだろう」
口の端で、笑う。
「リツミエリの悲惨な末路は、野蛮な獣人の仕業と、喧伝することだな。獣人にたいする、市民の憎しみと恐怖は、より高まる。わたしの計画には、好都合だ。うむ……なるほど、これもまた、パリャードの御神の計らいというものか?」
くるりと天秤に背を向け、歩き出しながら
「……ただ、あの塩の魔法がわからぬ。やはり、王都から送られてきた、ルキウスとかいう者の仕業であろうか……まあ、邪神ハーオスのしもべ、などという者が、この世にいるはずもなかろうからな」
と、つぶやくのだった。
<ヴィスィエー商工会>
豪商ジャードニスが叫んだ。
「なんですと、リツミエリが?!」
商工会の、贅を尽くした応接室では、連絡をうけ、あわてて訪問して来た貴族アレクサンドルと、会頭である豪商ジャードニスとが、密談をしていた。
「あの、奴隷館ごと、岩塩になってしまったそうだぞ」
「いったい、どうなっているのでしょうな」
「リツミエリは、そうとうな力を持った魔導師だったはずだが……?」
「そうです、その上、腕の立つ獣人戦士を、何人も奴隷印で縛って、護衛につけていた」
「それが、手もなくやられてしまうとは……」
「王都の秘密調査官、ルキウスの仕業でしょうか?」
「うむ……しかし、あれは人間の仕業とはとうてい思えぬ」
そのとき、二人の頭にふと浮かんだのは、五人委員会の会合で、警察長官ナシリエが口にした「邪神ハーオスのしもべが出没している」という、あの噂である。
「「邪神?」」
二人は顔をみあわせ、そして、同時に言った。
「「まさか……」」
苦笑いをする。
「それにしても……リツミエリがこうなることが分かっていたら、さっさとスヴェトラーナにも奴隷印を捺させておくべきでしたかなあ」
「いや、それはちがうぞ」
と言ったのは貴族アレクサンドルだ。
「奴隷印など捺したら、主の命令に従って、唯々諾々と処刑を受け入れてしまうではないか」
その顔には、ひどく加虐的な、卑しい笑いが浮かんでいた。
「どこまでも抵抗し、叫び、苦しんでこそ、公開処刑の意味があるのではないかな?」
「なるほど、それもそうですな」
「明日は、間近で楽しませてもらおう」
「そうしましょう」
二人は、そういって、うなずきあったのだ。
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