愛枝花は固まった。盛大せいだいに固まってしまった。

それもそのはず、極上ごくじょうの顔と体を持つ男にひざをつかれ称賛しょうさんの意味を持つ指先にキスをされたのだ。


これは阿呆あほう駄犬だけん、これは阿呆の駄犬。



繰り返し心の中でつぶやくことで、なんとか落ちつきを取り戻す。



神として、威厳いげんのある姿をくずしてはならない。

その言葉も繰り返しながら、慈愛に満ちた優しい笑顔を浮かべこう言った。



「お前の寄る辺になれたのなら、私の方こそ幸いだ」



※寄る辺=頼りとして身を寄せるところ。







それから後のことは、よく覚えていない。

愛枝花は当初の目的だった風呂に入ることを思い出してすぐさま行動し。

疾風は愛枝花が作ったアサリの酒蒸し片手に、晩酌ばんしゃくすると言って台所に向かった。


何事もなかったように、また元のように過ごしはじめる。

これでいい、二人の間で何かが変わりはじめたらそれはある意味で終わりを意味した。



「…疲れた、な」



新しい氏子うじこを見つけ、世話をしてその後に悪縁あくえんの使者と対峙たいじして。

社を再建してからというもの、目まぐるしく時が過ぎる。

色々なことがありすぎて、休むひまもない。

だが、これでいい。



「やっと、前に進みだした」



なにもかも停滞ていたいし、残るは抜けがらとなった我が身のみだった過去からようやく抜け出せたのだ。


邪神が使者を寄越よこしたのがなによりの証拠しょうこ

力に満ちあふれている愛枝花を好んでいたので、様子を見に来させたのだろう。抜け目がない。


このまま順調に力を取り戻す。

そしていずれーーーー神である自身の願いを叶える、その為に必死にしがみつき生きてきたのだから。



「とりあえず、明日は買い物だな…」



重くなったまぶたを閉じ、これから先のことに思いをせる。

きっと明るく、不安などない未来が待っていると…不確定な明日を信じて。

愛枝花は深い眠りについた。











◆◆◆





愛枝花の朝は早い。

すでに早起きが習慣しゅうかんになっているのもあったが、寒い季節の早朝は起きるのも辛いだろうにいつもと変わらず目を覚ます。

昨夜から一人増えたことによって、さらに食事の仕度に時間がかかるので寝坊ねぼうする訳にはいかなかった。


今朝もやはり寒いので、朝ごはんは雑炊ぞうすいを作ることにした。

キノコと大根の葉っぱ、人参にネギに鮭と卵を入れた味噌雑炊である。

それと漬けておいたかぶの漬物も添えて、熱い茶も用意した。


そこで、眠そうにアクビしながら広間に疾風が入ってくる。

昨夜の気まずさもあって、愛枝花は顔が会わせづらいと思っていたが。

意外にも心は冷静で、乱されることはなかった。


だが、胸の高鳴りは感じなかったが今朝はどうしたことか。

世界がとても美しく見えたのだ。

明るく光り輝き、暗い影など一つとしてないように。


そこで思い出した。女神として力に満ち溢れていた頃は、こんな光景をいつも見ていたのだと。

世界に闇はあるものの、それは遠い場所のことで自分には関係ないと思っていた時代だ。


今思えば、当時の自分はなんと楽天家だったことだろうと愛枝花は思う。

人の世の苦しみも苦労も、深い悲しみも辛さも。

神であるがゆえに、何も知らずに願いを叶えてきたのだから。

思わず口のはしを上げて笑えば、珍しいものを見たように驚いた疾風が愛枝花に声をかけた。



「な、なんか朝からご機嫌だな…?」

「そうか?」

「いや…昨日あんなことがあったから、もっと機嫌が悪いかなーと」

「あんなものごときで私の機嫌は左右されない。それに、得た物の方が多かったのだから機嫌が悪くなるはずがないだろう」

「そ、そっか」

「おはようございます!」



そこへ新たに弥生がやって来た。

昨日と違い髪も艶があり顔色も良くなっている。

きちんと顔を洗い、歯も磨いてきたようで。

愛枝花が教えたことを忠実ちゅうじつに守っている辺り、彼女の生真面目きまじめさがうかがえた。



「おはよう。早いではないか」

「はい!気分が良くて、早く目が覚めちゃいました。だから早速、参拝所に言ってお参りすませてきました!」

「良い心がけだな、誰かとは大違いだ」

「本日も朝から素晴らしい糧をありがとうございます愛枝花大明神様!!」

「私は雪津梛愛枝花乃比女だ」



手に持っていたお盆をまるでフリスビーのように素早く疾風に投げると、素早く避けたかと思えば畳の上ですべり頭を打ち付けていた。

思いきり打ってもだえ苦しんでいるので、天罰てんばつは本当にあるんだと弥生はきもに命じこれから頑張ろうと改めて誓うのだった。









朝食を食べ終え、食後のひと休みをてから三人は行動を開始した。

少し遠いが、大型ショッピングモールがあるのでそこへ向かうことにしたのだ。


地元の商店街では、若い子向けの物は売っておらず無難ぶなんな物ばかり。

せっかく十代の盛りの女子に、それではあんまりだろうと若者向けの店で買い物をすることにした。


それに弥生から聞いた限りでは、楽しい買い物などしたことがないようだ。

最低限の食事や文房具の買い物のみで、綺麗な服や可愛い小物なんて遠目からしか見たことがないというのだから愛枝花は頭をかかえる。


二人が出会った時、この寒空にコートすら羽織はおっていなかったのだからどんな扱いを受けていたのかよくわかるというものだ。

とにかくオシャレな防寒着ぼうかんぎ筆頭ひっとうに、私服や下着類などなど。

女の買い物は物がかさばる。


それをまえた上で、荷物持ちと護衛ごえいね疾風が一緒に行くことに。

向かう先のショッピングモールには、有名なビュッフェがあるのだと知って自ら志願しがんしてきた。




「電車で20分か~…。俺が2人を抱えて行ってもよかったんだぜ?」


「たわけ。そんなことをすれば目立って仕方ないだろう。遠距離えんきょりに向かう訳ではなし、これくらいの距離ならば公共機関こうきょうきかんを使う方が効率的こうりつてきだ」


「そ、それに、途中いろいろなお店とか発見出来て楽しいですし」



地道に山から降りて、商店街を抜ければ駅に着く。

時間はちょうど店が開いたばかりで、人はまばらだがいい匂いがただよっていた。

特にコーヒーやパンの焼けた匂いが印象に強い。


コーヒー専門店に隣接りんせつしてパン屋があるせいだろう。

特に今の季節は食べたくなることもあって、ついつい3人は視線を店の方に向けた。



「おっ!あそこのパン屋、出来立て販売中って書いてるぜ?」


「あれだけの朝餉あさげを平らげておきながら、まだ食欲がわくのか…」


「焼き立てパンは別腹じゃね?」


「…買うなら一つにしておけ。今から電車に乗るのだから、匂いが充満じゅうまんしては他の客の迷惑になる」



買うな、とは言わない愛枝花は優しい。

お許しを得た疾風はすごい勢いで走ったかと思えば、売り子の若い女性を魅了みりょうして一番美味しそうなパンを手に入れていた。


普段から女のことで困っている風に言っているくせに、こういう時には己の美貌びぼうを最大限利用するのだから始末に悪い。

また新たな犠牲者が出たと横目で見ながら、再び駅に向かって歩きだした。


そして、駅の構内でも電車の中でも女性たちの注目を嫌というほど浴びながら移動すること20分。

ようやく大型ショッピングモールにたどり着いた。


ここは百貨店とは違い、大きな建物の中に個々の店が出店している訳ではない。

決まった出入り口は無く、開けた場所に屋根と通路はあるが壁が無い開放的な作りの施設だ。


一階は食料品やレストラン、食器に鍋などの調理器具専門店がのきつらねている。

そしてドラッグストアと美容院、ペットショップの店があった。

二階は衣料品や雑貨や靴屋に宝飾品店に美容店などの店が列び、三階は本屋やオモチャに文房具店に携帯ショップが揃っていた。



「うっわぁ~!!」


「どうした?」


「こ、こんなオシャレなお店が並ぶ場所なんて初めてで…!!」


「俺も普段はこんな人が集まる場所なんて来ねーしな~久しぶりだ」


「私もだ。買い物は商店街で事足りる」



ショッピングモールの入り口で、やけに目立つ三人組が立っていることでまた注目を浴びている。

絶世の美男と着物を着こなす美少女、それに作務衣を着る中学生だ。

目立つなという方がどうかしている。


いつも以上に視線を浴びることに居心地の悪さを感じた三人は、さっさと二階に上がるエスカレーターを見つけ衣料品売り場を目指した。


まずは弥生の身の回りの物を買い揃える。

いつまでも作務衣のままでは気の毒なので、着るものから揃えることにした。

とりあえずは下着だ。


胸なんて無いからパンツだけで……なんて言う年頃の娘の為に、早々に下着上下セットを購入しなければならない。

という訳で、疾風は店の外で待たせ下着ショップに2人は入った。


店員に声をかけ、きちんとサイズを計ってもらい下着の着付けの方法も丁寧ていねいに教えてもらう。

他に客がいなかったおかげで、あせらず説明を聞くことが出来たのだが。


……その理由が、店の外で待っていた疾風を見る為に女性客がむらがっていた為だったとは。

合流するまで気がつかなかった。


発育不良気味の弥生は支えるべき肉のかたまりが今のところ無い。

なので身につける下着は無限の可能性を秘めている。

つまり、色やデザインが限定されないということ。


大きいサイズなだけで可愛くなくなるといったことが無いので、いくらでも可愛い下着が着れるのだ。

とにかくさまざまな下着を選んでは弥生の好みと照らし合わせ、いくらあっても足りないぐらいなのでたくさん購入。

店員には最上級の笑顔と共に見送りをされた。


次は今風の女性服だ。

現代の流行りに疎い面子がそろっているので、愛枝花の見る目を持って良さそうな店と店員がいる店を見つけた。


その上で、弥生の好みを聞き店員のセンスで一通りの服を揃えるように伝えると。

弥生は青くなり、店員は満面の笑顔を見せた。


その中から服一式を選んで作務衣から着替えを済ませると、体の線の細さが目立つもののようやく今風の女の子の装いになった。


しかしせっかく可愛らしい装いになったというのに、今履いている靴がボロボロのローファーのままなことがとても残念だ。

よって、次に向かう店が決まった。


服の量が量なので、ポイントカードは大量に判を押されて値引き券がたくさん貰えた。

しかも宅配の手続きもやってくれるという厚待遇こうたいぐうだ。

その際に下着も一緒に配送してもらうように頼む。


深々と頭を下げた店員に別れを告げ、店を後にした三人は次に靴屋に向かった。

女性専用の靴屋だ。


普段使いの靴は四足、タイプの違うスニーカー三足にブーツを一足。

これから春になるからブーツは必要ないかもしれないが、春でもけるショートブーツがあったのでそれを購入した。

そして最後にローファーを一足だ。


履いていた靴は、お世辞にも綺麗とは言えず靴底くつぞこはすり減り穴すら空いていたのだ。

これではダメだと新しい物を買って、買ったばかりのブーツをここで履きそれ以外は宅配で送ることになった。


そして今度は雑貨や小物が置いてある店をのぞいた。

弥生はザンバラ髪が目立つ短髪だったが、髪を留める可愛らしいピンを身につけてはどうかと愛枝花は提案ていあんする。


普段使いの物から、外出用の物を見繕みつくろい弥生にあてがいながら好みかどうかを聞いた。

たくさんある中から比較的ひかくてき、気に入った物を買う。


これで弥生が身につける物は一通り揃った。

あとは勉強道具と一番重要な物を手に入れるだけ。



「…女の買い物は長いって覚悟かくごはしてたが、想像以上に長ぇ~!!」


「食べ放題に釣られてついてきたのはお前だ。こんなに宅配サービスが充実じゅうじつしていたなら、荷物持ちは必要なかったな……」


「そんなこと言うなって!絶対俺が必要になる時が来る!」



それはすぐに証明されることになる。

一同は3階の文房具ぶんぼうぐ売り場にやって来て、一通りの勉強道具を購入。

そして、愛枝花は本日もっとも重要な買い物をしようとしていた。



「携帯?」


「私と弥生用だ。今まで必要に感じなかったが、これからはこれが無ければ色々と不便だろう。複数人で契約すればかなりお得らしいからな」


「……愛枝花や嬢ちゃんの戸籍こせきはどうすんだ?」


「知り合いの伝ですでに用意済みだ。お前は仕事先で用意してもらった物があるだろうが、契約の都合上お前を親として契約を行う。今後は公私こうしで使い分けろ」


「は!?いつの間に……!!」


「例の工務店で働く為に戸籍と身分証が必要だったにも関わらず持っていなかったお前に用意してやったのは誰だ?」


「愛枝花さんです……」


「実際に用意したのは私の知り合いだがな。間を取り持ったのだから、これからはお前が戸籍上での私たちの『兄』だ」



そしてトントン拍子びょうしに契約は進み、無事に3人共が新しいスマホを手に入れたのである。

ちなみに愛枝花が白で疾風が黒、弥生が今年の春の新機種だという桜色のスマホだ。

一括購入で無事に契約完了。


お互いに番号やLINEやアドレスなどを交換し、これでやっと一通りの買い物が済んだところで。

お待ちかねの食事の時間がやって来た。



「昼時だからちょっと混んでるな~」


「だいぶ待つということもないだろう。弥生、疲れたか?」


「こんなに歩き回ったのは初めてなので、ちょっと疲れました…」


「もう少し頑張れ。食事が終わったら、今度は美容院に行くぞ。その髪を整えてもらわねばな」


「買ってもらったピンで目立ちませんし…」


「綺麗になってもとがめる者は誰一人としていないのだから、身だしなみを整えられる絶好の機会を逃すな」



そう言われ、ゆっくりと頭を下げながら弥生はか細い声で愛枝花にお礼を言った。

美容院なんて生まれて初めてなのだろう。

校則に引っかからないようにいつも自分で切っていたのだ。


ガタガタな髪型になるのも無理はない。

嬉しそうに髪をいじる弥生を余所よそに、今度は疾風が愛枝花に絡みだした。



「なら、嬢ちゃんが切り終わるまで俺たちはどうする?」


「ドラッグストアに行きたいな。欲しい物がある」


「お、珍しいな。食料品や反物たんものじゃない物が欲しいなんて」


「お前こそどこか行きたい店はないのか?男物の店もあるだろう」


「今のところ早急に欲しい物はないからな。愛枝花に付き合うよ」


「ならば美容院が終わり次第弥生を迎えに行こう。連絡をくれたら向かうから、私たちが行くまで弥生は店の中で待っていなさい」


「わかりました!」



そうして話し合いは簡単に終わり、そこでようやく席が空いたようで3人は店の中に入った。

ざっと見た限りでも品揃えが豊富で、特にスイーツが多種類ある。

今は苺フェアが開催かいさいされていて、ピンク一色に埋めつくされた一角はまさに壮観そうかんだった。







ーーーーーーーーーー愛枝花は忘れていた。

麻痺まひしてしまっていたと言ってもいい。

疾風が過去にブラックリストに入ってしまうほど食べて食べて食べまくったという過去を持つことを。



思い出した時にはもう遅かった。



店の料理が半分ほど消えた段階だんかいで、店長が恐る恐るやって来て『勘弁してください』と涙ながらに頭を下げたのだ。

女子組2人はその時点でスイーツを一通り食べ終わっていたので、疾風を止めて会計を済ませ店を出る。


これは当分あの店には行けないな、などと考えながら次の目的地に向かうのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る