新たな出会い




弥生を美容院に送り届けた後、2人は言った通りドラッグストアにやって来た。

というのも、普段使っている化粧水を作る為の材料がそろそろ切れそうだったのでそれを買いにきたのだ。


精製水せいせいすいとグリセリンとエタノール。

新たに弥生も増えたので、いつもより多く買わなければならなかった。

手作りの化粧水などは消費期限しょうひきげんが早いのだ。


市販のものよりも自前の温泉水や椿油などで作った物の方が、肌にも髪にもよく馴染なじむ。

弥生を見れば効果は歴然れきぜんなので、彼女が他に使いたい物が出てこない限りは作り続けようと思っていた。


ドラッグストアは大容量で売っているが、愛枝花にとっては重い物なのでここでようやく疾風の出番になる。

エコバッグの中に入っていく重いグリセリンたちを軽々と持ちながら、疾風はそれらをどこか不思議そうに見た。



「……愛枝花の化粧水って、あの温泉水が使われてるんだよな?」

「そうだな。原料の1つだ」

「どうりであの嬢ちゃんの髪も肌も一晩でツルピカのはずだよ。飯まで食ってんだから、そりゃすごい効果が出るわけだ」



愛枝花が使っている化粧水の予備を使ったことで、ガサガサのギシギシのカピカピという擬音ぎおんが合う容姿ようしをしていた弥生だったが。

まじないをほどこした温泉にゆっくりかり、特製とくせいの化粧水やヘアクリームをたっぷり使った上に。

女神手製の料理をたらふく食べたのだ。


髪は艶々つやつやのサラサラになり、肌は乾燥かんそうしきってほうれい線すら出ていたのが透明感とうめいかんのあるもっちり肌に。くまも無くなった。


ヒビ割れかけていた爪はピカピカになり、手なんてささくれとあかぎれだらけだったのが吸い付くような柔らかさになったのだ。


たとえ身内や顔見知りであろうとも、弥生だとは誰も気づかない。

それほどまでに劇的げきてき変貌へんぼうげたのだ。



「自分自身が豊かになれば、心の余裕が生まれる。そうすれば周りがよく見えるようになり、どう生きたいか暮らしたいか過ごしたいか。自身で考えるようになる。そうやって道を示してやるのも神のつとめだ」


「長生きの愛枝花様なら、懇切丁寧こんせつていねいに生き方を教えてやればいいんじゃねーの?」


「自身でえらばねば意味がない。それは私の考えであって、あの娘の考えではないのだから。人は自分で考え決断けつだんしなければ……ゆるやかに死を迎えてしまう生き物だからな」



愛枝花は皮肉ひにくそうに笑う。

その笑みはとてもいびつで、泣きそうにも見えた。

気が遠くなるほどの長い時の中で、判断を間違えたこともあったのだろう。

後悔したこともあったのだろう。まるで人間のように。


その経験けいけんを生かし、手を差しのべられる相手には慈悲じひの手を差し出す。

そして救ったのちに、自身で立ち上がり生きていけるように教えみちびくのだ。


それはまるで仏の教えのようである。



「神は自分勝手な連中が多いからな。横暴おうぼう不遜ふそん、強大な力を持っているくせに癇癪かんしゃくでその力をふるうのだ」

「愛枝花もか?」

「性質が異なるだけで根本は一緒だ」

「顔も見たこともない神さんのことなんて知らねーよ。俺は愛枝花が、なんだかんだ言って優しくて面倒見のいい神様だってことを知ってれば充分」

「真冬の池に放り込まれてもか?」

「ただのスキンシップとして笑って流せるさ」



どんな目に合っても言われても、疾風は快活かいかつに笑う。

それはとてもすごいことだと、尊敬すら抱く。


愛枝花のように、ほの暗さを微塵みじんも感じさせはしない強い男だ。

こういう男が神なら、人々はこぞってすがってくるのだろう。目に見えるようだ。

助けてくれと、救ってくれと懇願こんがんするのだろう。

昔の愛枝花もそうだった。


今のように物があふれていない時代は、人は簡単に死んでしまったし絶望に落ちるのもすぐだったのだ。

だからこそ愛枝花は、すがって信仰してきた人間たちを出来る限り救ってきたしおかげでさらに力は増した。


今はもうあの頃のようにはいかない。

愛枝花は変わりすぎたのだ、良くも悪くも。

だが変わったことで、依存させすぎずに人々に信仰させ力を取り戻す方法を選ぶことが出来る。


昔のように、人々の願いに押しつぶされそうにはならない。

もう、ただ甘いだけの女神ではないのだから。



「……買い物はすぐに済んでしまったな」

「美容院は混んでなかったとはいえ、まだ時間はかかりそうだしな~。調理器具でも見に行くか?」

「本屋に行くのもよいかもしれぬ」



どちらに行こうか話し合っていると、ふと騒がしい声が耳に入った。

ドラッグストアの隣にあるペットショップの中から、女の怒鳴り声が聞こえてくる。


外からのぞいてみれば、やけにけばけばしい派手な格好の女が女性店員に一方的に怒鳴っていたのだ。

何事かとひそかに聞き耳を立ててみれば、実に身勝手で腹立たしい話だった。


女は以前このペットショップで、恋人と一緒に小型犬のオスとメスを1匹ずつ購入したそうだ。

しかし購入して1週間で2人は破局はきょくし、見るたびに恋人のことを思い出すきっかけにしかならない犬のことが鬱陶うっとうしくなり返品を願い出た。


しかしペットショップは原則げんそく、返品は行っていない。

むろん返金もしていない。

だから犬を持ち込まれても困ると店員は言ったが、女は『いらない物を返せないってどういうことよ!?』と納得しなかった。


女の足元には2つのキャリーケースが。

時おり『きゅん……』と鳴き声が聞こえてくる。

ひどく悲しげな鳴き声だ。


店を訪れていた客は成り行きこそ見守っているものの。

顔をしかめたりヒソヒソと声をひそめ話していたりと、あからさまに犬を返品しに来た女を軽蔑けいべつしていた。



「疾風」

「…なんだ?」

「あちらに割って入る。私に危害きがいが加えられぬよう、気をくばれ」

「あの店員を助ける気か?……俺は生き物を売り買いする職業のやつは好きじゃないんだが…それに簡単に命を捨てるやつも好かない」

「誰がそやつらのめごとを収める為と言った?」



愛枝花の瞳に映るのは侮蔑ぶべつの色を宿した炎。

どうしようもないほどおろかしい人間に対して、とてつもなく怒っていた。


疾風が止める間もなく、2人の人間の元に進んでいく。

視界のはしに愛枝花を見つけると、ギョッとしたように驚いた。


目をくような着物を着た美少女が、淡い粒子りゅうしの光が全身に降りかかっているように神々こうごうしく微笑んでいるのだ。

女たちがたじたじになっていると、愛枝花はさくら貝のような唇をゆっくりと開きこう言った。



「その犬2匹とも、私が買おう」



それは、辺りが一瞬にして静まりかえるほどよく通る声だった。

絶対に拒否などさせないという強い圧すら感じるほどである。


呆気に取られた女たちだったが。

すぐに正気に戻ると、派手な女の方が先に口を開いた。




「子供が口出すんじゃないわよ!!こいつらがいくらかわかってんの!?」

「犬を買うのは初めてだから知らぬ」

「40万よ!2匹で40万!!あいつが愛の証に欲しいって言うから買ってやったのにっ……浮気しやがって!!!!」

「お前の痴情ちじょうのもつれに微塵みじんも興味などない。……つまり、私がその金額を支払えば犬たちの所有権をこころよ後腐あとくされなくゆずるのだな?」




40万と言えばかなりの大金だ。

愛枝花なら払えてしまうだろうが、こんな面倒な女に支払ってまで犬を手に入れようとするのか疾風には理解出来なかった。


こんな女に命運めいうんにきられていることを考えれば哀れと言えば哀れだが、そんな存在はいくらでもいる。

ペットショップに返そうとするだけ、まだマシな部類に入るだろう。


見た限り小型犬のようなので、言い方は悪いが子犬の内ならまだ新しい飼い主は見つかりやすい。

よほど運が悪くなければの話だが。


ここで愛枝花が手を差しのべなくても、なんとかなるのだ。

それをあえて介入するということは。

あの犬たちに、何かあるということ。

疾風はさっしよく気がついた。




「親におねだりでもする気?子供のおこづかいで買えるほど安くないのよ!いいからさっさとっ……」

「即金で50万、犬の代金と手切れ金だ。欲をかかずこれで納得せよ」



愛枝花は、持っていたかばんの中から札束を1つ取り出すと女の顔めがけて思いきり投げつけた。

最初は現金だと気づいておらず般若はんにゃのような顔になったが、投げつけられた物の正体に気づくとあからさまに表情を変える。

実にわかりやすかった。



「お互いに欲しい物が手に入るのだ、文句はあるまい?」

「……使っちゃいけない金じゃないでしょうね?」

「私が自由に使ってよい金だ。その子たちを置いてく去るがいい」




そう言われ、札束を鞄にしまいこみ女は逃げるようにして店を後にした。

残された店員や一部始終を見守っていた他の客たちは、一言もなにも言わずぽかんとしている。

ただ1人愛枝花だけが足を動かし、ひざをついてなるべく目線を合わせると。

いまだキャリーケースの中にいた犬たちに声をかけた。



「災難だったな」

『クーン』

「今から私がお前たちの主だ。命尽きるまで、共にいることを神の名において誓おう」



キャリーの中から見えるつぶらな瞳が、さらに輝きを増した。

嬉しそうな鳴き声をあげる2匹に、愛枝花は極上の微笑みで応える。

そして疾風に目で自分の方へ来るように伝えると、何を言うでもなくキャリーケースを持ち上げた。





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