初花




あれから無事に風呂に入り、髪もきちんと乾かした弥生が居間にやって来た。

髪も肌もやけに艶が増しているのを見て、愛枝花は満足げに頷く。

乾燥を防ぐ為の手製椿油クリームを使うようにと、愛枝花がわざわざメモを置いたのである。


まだ寒い今の時期は、平気で風邪をひいてしまう。

弥生はザンバラ髪が少々目立つが、短い髪だったのですぐに乾いたのだろう。


風邪などの病気に関しては、疾風にはいらぬ心配だろうが。

弥生は栄養足らずの未発達みはったつな子供なので、心配し過ぎぐらいがちょうどいい。

油断すれば簡単に体調をくずすのは目にみえていたので、暖房と加湿器はフル稼働中である。

ちなみに弥生の部屋も、現在進行形で暖め中だ。


部屋に入ってきた弥生は、目がうつろな状態で食卓に並ぶ料理を食い入るように見つめていた。

作りたての料理の匂いに腹の虫が悲鳴を上げているばかりか、無意識にヨダレまであふれ口のはしで光っている。


愛枝花たちはあえてそれは突っ込まず、適当な場所に座るよううながす。

ふらふらと吸い込まれるように疾風の真向かいの席に座ると、愛枝花が手を合わせ声をかけた。



「頂きます」

「いただきます!」

「いただき…ます」



そう言い終えたら、後は行動が早かった。

疾風の食い気をあなどることはおろかとしか言い様がない。

なのであらかじめ、愛枝花と弥生の分は分けているのだ。

おかずはもちろんのこと、ご飯に関しては疾風用のおひ御櫃おひつを用意して側に置いてある。


最初の内におかずの線引きをして、領域りょういきを侵したら容赦ようしゃなくおかずを大幅に減らすと伝えれば素直に頷く疾風だったが。

ここまで気を回さなければならないほどの大食いを、なんとか出来ないかとそれとなく聞いて見れば「美味すぎる飯が悪い」と眩しい笑顔付きで返ってきたので。

愛枝花は無言で疾風のみぞおちを殴った。

いわく「別に照れ隠しではない」と言っている。



「おいふぃ…」



呟くようにポソリとそう言った弥生に、愛枝花は視線を向けた。

温かいおかずを口に入れる度に、「おいふぃ、おいふぃ」と呟いて。

また涙がたくさん溢れ落ちることにも気づかずに、ただひたすら箸を動かし食べ物を口の中へと運ぶ。


…弥生のそんな姿を見て、疾風が自身のおかずを一つ分け与えたのだ。

天変地異の前触れか。

皮肉ではなく、本気で愛枝花はそう思った。



「美味い飯食えて、幸せだよな」

「幸せ…」

「最高に美味い!!幸せだ…しかも女神である愛枝花が作った飯だから、なんか御利益ごりやくがありそうだよな!」

「今さらそれを言うのか」

「へ?」



さらりと口に出した愛枝花の言葉に、疾風と弥生の二人はピクリとも動かなくなった。

疾風などはあれだけ間を置かずに食べていながら、静かに箸を置いて真面目な顔で愛枝花に尋ねた。



「御利益…あるのか?」

「大したものではない」

「曲がりなりにも女神である愛枝花の御利益がある食事だぞ!?なんの御利益だ?どんな影響がある?!」

「……やけに必死だな」

「当たり前だ!!ただでさえ俺の輝かしい美貌びぼうがさらに魅力アップしたらどうするんだよ?!どんな御利益か知っておかねぇと困るのは俺だ!!」

「それで真剣に言っているのだから笑うに笑えぬな。…具合によっては確かに、魅力が増すやもしれぬ」



 ・疾風はムンクの叫びを披露ひろうした。


 ・愛枝花は無視を決め込んだ。


 ・が、弥生まで質問してきたのでそれも出来なかった。



「私が作った料理は、食せば加護…と言えばよいのか。良い箇所かしょをさらに良くし、悪いところを治す効果を発揮はっきする」

「もう少し詳しく言うと?」

「……例えば、肌が荒れていたり髪が痛んでいたりするとだな。より悪化させる原因となる物を全て外に排出させ、良い方向に改善かいぜんさせる働きを強くするのだ。今の私の力の働き具合を考えれば、それこそ一回の食事で一週間分の働きをしたことになる」



美肌、美髪、その他諸々の機能向上は確かに疾風が恐れていた美貌の輝きが増すに繋がる。

しかし、逆を言えば病にかかっている者や美を追求したい者たちにとってこれほど喜ばれる物はないのである。

疾風はさらに箸を進めるのを躊躇ちゅうちょしているのを見て、愛枝花はさらに追い討ちをかけた。



「ちなみに露天風呂もそうだぞ?」

「はぁ!!?」

「あそこの湯も、堀当てた当初から現在に至るまで呪いをほどこしているからな。浸かるだけで私の料理と同じ働きをうながす。飲めばさらに効果を得よう」

「え、え…えぇー……?なんか最近、やたら肌がつるつるだって言われるようになったのって、」

「料理と風呂のおかげだろうな」



世界中の女性たちが欲してやまない美の効果を、これほどまでに嫌がる者も珍しい。

疾風の場合は、過去が過去なので仕方がないと言えようが。


それでも今さら、美味い食事と気持ちのいい露天風呂を味わえないのは死ぬより辛いことだろう。

なんだかんだ言いつつも、結局は残さず食べきったのだから呆れる他ない。



「…あの、悪いところは必ず治るんですか?」



これまた同じく料理を全て完食した弥生が、ごちそうさまと言った後に愛枝花に質問した。

どこか体調の優れないところがあるのか、体は温まって満腹になったはずなのにまだ顔色が悪い。

疾風の顔をチラチラと見ているので、なるほどデリケートな部分の不調ふちょうのようだ。


疾風に後片付けを任せ、二人は話を聞かれないように移動することにした。

ちなみに弥生の部屋だ。

愛枝花の部屋だと、邪魔が入る可能性が高い。

さすがにそこまで野暮やぼな男ではないだろうが。

繊細せんさいな少女の心をこれ以上痛めつけることは、決してあってはならなかった。



「さて、お前の部屋ならば邪魔じゃまは入るまい。何を気にかけている?」

「あの、あの、なんか…恥ずかしいんですけど」

「ん?」

「あたし、あの、その…………生理、来てなくて……」

「………生理、ああ!月のものか!どれだけの期間来ていないのだ?」

「違うんです!そうじゃなくて……あたし、まだ初潮も来てないんです」



やけに神妙しんみょうな顔で何を言うのかと思えば、なんだそんなことかと愛枝花は言った。

涙目でかすかに震える弥生を見て、小さな愛枝花がまるで幼い子供をあやすように頭を優しく撫でる。



「初花……初潮は、十から十七の歳の間で来るものだ」

「え?」

「平均で十二歳だが、お前の歳で初潮が来ていなくとも別に異常なことではない。それに、体質や体の発育も大きく関係する。その細すぎる体つきでは、仕方がないことではあると思うぞ?」

「変じゃ、ないんですか…?」

「変ではない。他に異常な症状があるのならば、調べてもよいが…変わったところはないぞ。せすぎ血色悪すぎではあるが」

「じゃあ、あたし…病気とかじゃないんですね?異常な訳じゃない…ちゃんと普通の……」

「ーーーーお前は正常だ。不健康だが、それも栄養面をどうにかすれば治る。特別な病気にはかかっていない『普通』の人間の子供だ」






愛枝花は、女神の眼で人間の悪いところや不調なところが見えるのだ。

力のある者や、術を扱える者が巧妙こうみょうに隠したならいざ知らず。

なんの変哲へんてつもない人間の少女の全身チェックぐらいなら、苦もなく出来る。


見たところ、少し体調不良な程度で大きな病気の心配はない。

肉付きが良くなれば、心配事も解消される程度のことだ。


……弥生は生い立ちゆえに、他人と違うことを恐れているのだと愛枝花は気づいている。

普通の家庭に生まれて育っていたら、まだ生理が来ていなくとも特に気にせず毎日を過ごしていただろう。


しかし弥生の場合は親が親だっただけに生理が来ていないというだけで過敏かびんに反応し、誰かに相談をしようものなら変に引っかき回されると考えたに違いない。


弥生が恐れているのは、生理をきっかけとして中途半端に家の事情を知られ中途半端に同情されたあげく中途半端に引っかき回されることだ。


話を聞くだけで助けてもらえなかったと、そのことがさらにストレスとなって生理が来るのが遅れる可能性だってある。


必死に生きようとしている小さな子供。

その子供を見つけたのが自分で良かったと思うべきか、きちんとした人間の大人との縁を結んでやった方が良かったのではないかとも考える。


だが、神ではなく弥生と同じ人間を世話してやったところでどうなるかわからないのが世の常。

今はこれで良かったのだと思うことにして、愛枝花はれたばかりの熱い茶をゆっくりと口にふくんだ。



「…とにかく今は、己自身と身の回りを整えることを優先させよ。さすれば忘れた頃に初花もやって来よう」

「愛枝花様って、物知りなんですね…!」

「遥か昔より人の世のみならず、人自身もよくよく見てきたのだ。最低限のことは知っている。……知ってはいても、理解したくないことも多いがな」



長い年月、人に近しい場所で生きてきたせいか他の神々とは違い間近で人を見てきた愛枝花は。

人の良いところも、悪いところもたくさん見てきた。

時が経ち、遠くおぼろ気にしか思い出せないほどにまでなったが。


幾度いくたびの季節が過ぎ、どれだけの時代が変わろうとも。

弥生のような子がいなくなることはない。

もっと悲惨ひさんな子がいなくなることもない。

だからせめて、自らの意思で愛枝花のふところに飛び込むことを決めた弥生を。

自分で飛び立てるその日まで、守ってやろうと思うのだった。



「ではそろそろ休め。明日はお前の衣服などを買いに行くからな」

「私は作務衣だけで…」

「予備が無いのだぞ?まさか一年中それ一着で過ごす訳にもいくまい」

「お金ないし…」

「お前がきちんと取り決めを守ればいいだけの話だろう。いつまでもウジウジ悩むな、最低限の身仕度は整えてやると言った私の言葉を疑うな」

「っ、………はい。ありがとう、ございますっ……!」



何度でも礼をきちんと言える弥生は、やはり良い子だと愛枝花は思う。





“大丈夫、私はきちんと前に進めている”





その証が欲しかったのだ。

神でも人外の者でもない、ただの人間がーーーー自分を未だに必要としているのだと。

信仰され、崇め奉られる存在なのだと。


そんな人間を、愛枝花はずっと求めていた。

女神としての尊厳そんげんほこりなどは二の次。

今の愛枝花は、元の力を取り戻すことを念頭ねんとうにどうしても人間の信仰心を集めたかったのだ。


美しい社を取り返す為ではない。

こんな窮地きゅうちに追いやった男神おがみ復讐ふくしゅうする為でもない。

願いを叶える側である女神の愛枝花が、たった一つ願う望みの為に……。



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