第5話:よく学び、よく遊べ

 ペルセポネーは、たいそう物覚えがよかった。

 すんなりと権能の制御を覚え、今までよりも自在に植物を操るようになった。


「おじさま、見て。金のリンゴよ」

「見事だ。しかし、どうも見ていると嫌な予感がする。私が預かろう」


 身の回りの世話はヘカテーがしてくれた。

 一人では眠れないペルセポネーと添い寝をして、そして地上の水や食事も用意してくれた。


「美味しそう……私もそれ食べたい」


 豚肉の炙り焼きを前にして、ペルセポネーは唾液を飲み込む。

 しかしヘカテーはにやっと笑うと、炙り焼きの皿をペルセポネーから遠ざけた。


「こいつはあたしらの食事だ。あんたは麦粥にしておきな」

「そんなぁ。ね、ちょっとだけでいいから……」

「……冥界のものを口にすれば、その身は冥界に縛られる」


 ヘカテーの囁きに、ペルセポネーは口を噤む。

 魔女の守護者たる女神は金の瞳を細め、試すような目で娘神を見つめた。


「その覚悟は、あるのかい?」


 ペルセポネーは、大人しくミントの香りのする麦粥を食べた。

 ヘカテーはまた、様々なことを教えてくれた。

 彼女はハデスより世俗的なことや――ちょっと卑俗的なことも教えてくれた。


「……こんな話を知ってもいいの?」

「むしろ知らなすぎるんだよ、お嬢ちゃん」


 顔を真っ赤にするペルセポネーの頭を、ヘカテーは優しく撫でてやった。


「こういうことも知っておかないと、悪い神様に喰われちまうよ。ギリシャヘラスの男神は皆オオカミなんだから」

「でも、おじさまはその……ヘカテーの言うようなことはしてこなかったけど」

「あれは特殊。本当に稀有な例」


 ヘカテーはにいっと笑うと、ペルセポネーの髪を梳いた。


「……それにギリシャヘラスの女神は過激でなけりゃ」


 ハデスから、地獄の番犬ケルベロスの制御も学んだ。


「ぎゃんぎゃんぎゃんぎゃん」「威嚇し返すんじゃない。いいか、こいつは――」


 次いでヘカテーから、疲れている時に高速移動する技を学んだ。


「そぉら! 走れ走れ! 新記録だ!」「いけーどんどん走れー」

「ケルベロスで犬ぞりをするな! というか廊下で犬ぞりをするな!」


 知った。学んだ。教えられた。

 神々が誓いをかけるステュクスの川を見た。

 タルタロスの門を見た。エリュシオンの野に足を踏み入れた。

 原初の話を聞いた。祖父クロノスの末路を知った。

 でも、ハデスのことだけはわからなかった。

『良き忠告者』という異名があるだけあって、彼は教えるのは人一倍うまい。そのうえ辛抱強く、ペルセポネーの話を整理しながらじっと聞いてくれる。


「……お前はよく話す。そして話すのが速い」


 ある時、ハデスは言った。

 彼の玉座を前にして、ペルセポネーはぱちぱちとまばたきをした。


「……迷惑? 聞き取りづらい?」

「いや。これでも冥界で数万の証言を聞いている身だ。特別聞き取り辛いとは思わない。ただ意外だっただけだ。お前の母親は、口数の少ない方だったから」

「私とお母様は違うわ。当然よ」


 ペルセポネーは、そこでふと自分の言葉に眼を見開いた。


「私とお母様は違う……違うのよね……」

「……お前は自由に言葉を口にすればいい」


 ハデスは肩をすくめて、杯に口を付けた。天上の神々と違って、冥界の神は酒をほとんど口にしない。彼が飲んでいるのも葡萄果汁の水割りだ。


「口にした言葉によって、時になんらかの責任を負うこともあるだろう。しかし、お前を支配する誰かの代弁をする必要はない。少なくとも、私はお前の話を聞きたいと思う」


 ――けれどもハデスは、自分のこととなると途端に言葉が少なくなる。


「知らなくていい」とハデスは言う。

「私は大した神ではない……ただ、日々の仕事をしているだけ。それだけだ。私について語るほどのことはなく、そしてお前が知らなくてもいいことばかりだ」

「私が知るべきことは私が決めるわ。私はおじさまのこと、もっと知りたいのに」

「……知らなくていい」


 ハデスはペルセポネーの髪に撫でようとして、手を降ろした。

 この男は、いつもこうだった。

 最初は、冥界の神は自分に触れられない制約でもあるのかと思った。

 しかし添い寝する時にヘカテーはいつも「もち肌だねぇ~」とペルセポネーの頬をもちもちしてくるので、そんなことはないらしい。


 攫っておいて、触れようとしない。

 置いておいて、近づこうとしない。


 ペルセポネーは冥界の日々を愉しんでいたが、ハデスについてはだんだん焦れてきていた。

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