第6話:激怒するデーメーテール

 その間、地上はとんでもない騒ぎになっていた。

 デーメーテールは行方不明の娘を探し続けた。放浪の過程で子供を蜥蜴に変えたり、うっかり人間を一人不死にしかけたり、彼女の狂乱は留まることを知らなかった。

 しかし地にも天にも、世界で一番かわいい娘神の姿はどこにもない。

 ついにデーメーテールは、ヘカテーを問い詰めた。


「あなたは悪いことに特に詳しい……」


 デーメーテールは囁く。ヴェールから覗く顔は、すっかり憔悴しきっていた。


「そしてあなたは、ゼウスから『どこにいてもいい』権利を与えられている……天界、海、地上、冥界……答えて。私のコレーの行方を知っている?」

「……ああ、知っているよ」


 ヘカテーは金の瞳をあちこちに彷徨わせると、深くため息を吐いた。


「お嬢さんは冥界にいる。ゼウスに唆されたハデスが攫ったのさ」


 すぐさま、デーメーテールはゼウスを問い詰めた。

 光溢れるオリュンポスの宮殿――黒衣を纏った豊穣神は、その怒気で大気を震わせた。


「このろくでなし……ッ! 下半身でしか物を考えることのできない痴れ者!」

「口を慎みなさい、デーメーテール。分を弁えて。ただし全文同意する」


 神々の女主人ヘラが冷然と窘める。

 ヘラが口を開くだけで、居並ぶ神々には震えが走った。

 しかし、デーメーテールは弁えなかった。彼女も娘に似て怖い物知らずだった。


「この稲妻の如き節操無しの愚か者! コレーをただちに返させなさい! お前はあの子の父親でもあるのですよ! なっていません! まったくなっていませんわ! 娘を攫わせる父親がありますか!」

「……娘を幽閉した挙句、海に流した父親がいたな」「あれも父上(ゼウス)絡みですねぇ」


 太陽神アポロンと伝令神ヘルメスがこそこそと話し合う。

 しかしデーメーテールが睨んだ途端、悪友二神は思い切り視線を逸らした。


「さぁゼウス! 冥界に遣いを! 私のコレーをあの暗がりから解放して! 嗚呼、可哀想なコレー……私のコレー……! きっと怯えているに違いないわ……!」


 ゼウスは、輝く玉座から立ち上がった。

 空気が震える。稲妻が宮殿を走り、神々は最高神の威風に思わず息を飲んだ。

 デーメーテールの陰に控えるヘカテーは、その様をじっと見守った。

 コレーを豊穣神見習いとするというハデスの書簡は渡した。

 滅多なことは起きないはずだが、何故か嫌な予感がする。

 ――そしてたいてい、ヘカテーの予感というのは外れたためしがない。


「デーメーテール……何を嘆くことがある」


 重々しくゼウスは言って、漆黒の書簡を示した。ハデスからの書簡だ。


「この書簡によると、ハデスはコレーを見習いとしたらしい。権能を学ばせるため――と」

「そんなこと――!」

「……まぁ、話を聞け。デーメーテール」


 反論しようとするデーメーテールを制すると、ゼウスは紫の瞳を細めて笑った。


「豊穣神見習い……なるほど。もっともらしい言い訳だ。しかし、このとっても賢いゼウスは騙されはしない。これには隠された意味がある」

「は?」ヘカテーは眼を見開いた。

「この真の意味は即ち――花嫁見習いである」

「はァ?」ヘカテーは眉を吊り上げた。

「ハデスはコレーを自らの花嫁とするべく攫った。しかし考えてもみろ、母親に溺愛されている箱入り娘に冥府の后を務めさせるのはなかなか荷が重い。故に現在、コレーに花嫁修業をさせているに違いない。そうだろうヘカテー。そうだというなら声を発しろ」

「いや、待ちな――」

「声を発したな、ヘカテー! つまりそういうことなのだ!」

「なんだと――」

「さぁさぁさぁ!  嘆くことはないぞ! ハデスは地下の全てを支配する世界一の富豪であり、このゼウスの兄弟である! 欠点はくじ運が致命的なことだけ!」


 ハメられた――! ヘカテーは口元を覆って絶句する。

 デーメーテールはただ、黒いヴェールの向こうでゆっくりと呼吸をした。


「後悔なさいますよ、皆様……」


 瞬間、気温が下がった。

 居並ぶ神々は、デーメーテールから膨れあがる異様な気配に口を閉ざす。あのヘラでさえも目を見張り、わずかに腰を浮かせた。


「これより、如何なる芽吹きも地上には与えない」

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