第4話
少し、気持ち悪い。いや、気持ち悪い。あんなに、飲んだからだ。いや、飲まされたからだ。鼻の奥から、ゲロの臭いが、ウイスキーの臭いが、甘い、腐った、酸っぱい臭いがする。あんなの飲んだからだ。いや、飲まされたからだ。ふざけんな。ユミ。ふざけんな。マユミ、ハルカ、リエ、リサ、エミコ。ふざけんな。
いきなり小林の声が薄く、頭に、響いた。
「あのさ、そろそろ一次会はお開きで。そろそろ出なきゃいけない時間なんだ。とりあえずいったん撤収で」
薄く瞼を開いた。頭を、持ちあげた。テーブルに、サワーが少し。いや、俺のよだれかこれは。寝たのか。俺は、意識はあったはずだ。やっぱ弱いんだなあおれ。
みんなとりあえず立ち上がった。俺もあまり立ちたくなかったが、しょうがないから、立った。少しふらつく。ダルイ。時計を見た。十時半だ。ヨウコとサトミちゃんが帰ると言った。まっちゃんも、明日早いから帰ると言った。暑かったが、ジャケットを着た。ユミの白いコートが目に付いた。呑ませといて、ほったらかしだ。みんな靴箱の錠を探した。俺の錠が、札がなかった。真っ赤なタカヒロの左手が、俺の木の札を握り締めていた。右手には自分自身の錠を持っていた。
外は冷たかった。心地よかった。足元が少し、浮いた。脈が上がっていた。塀に寄りかかった。背中から、思ったより冷たい感触が伝わって来た。遠くに、ヨウコと、サトミのじゃあねと言う声が聞こえた。まるは送ってかないのか。ああ、ヨウコが送っていくのか。まっちゃんも帰った。得意げに、明日新宿で仕事があると言った。今から新宿に行くと言った。そういえば、仮面浪人したとか言ってたな。今年は受験しなかったのかな。まあ、いいや。タカヒロは少し寂しそうだな。まっちゃんのどこがいいんだよ。じゃあね。
二次会は隣の居酒屋でやるらしい。だったら同じ場所で、場所だけかえてもらったらよかったのに。まあ、いいけど。ああ、先行ってていいよ。俺はもうちょっと夜風にあたってからいくから。うん、場所わかるよ。なにいってんだよ。隣じゃねえか。
俺は、駅を背にして、古い商店街のアーケードを、ひたすら駅と反対に歩いた。
ところどころ、帰り際の飲み会の集団や、カップルや、サラリーマンとすれ違った。酔ったサラリーマンと、同じ大学生だろう集団が、道を封鎖していた。 俺は、目を細め、眉間に皺をよせながらジグザグに間を通過した。サラリーマンの奇声が聞こえた。俺は腕を掴まれたらしかった。たぶん、奇声を上げたサラリーマンだろうと思った。そのまま、振り切った。思ったより、力なくほどけた。
とにかく、ひたすら、歩いた。商店街を抜け、狭い路地を抜け、左に折れた。さらに、住宅街を十分くらい歩いた。古い、神社の鳥居が見えた。もう少しだ。
神社は、誰もいなかった。鳥居を突っ切り、石畳の上を、社堂の裏を抜け、ベンチを横目に、壊れかけの、汚い低いフェンスを登った。フェンスの向こうは、一面、雑草の空き地だった。貯水池か、なにかだろうと思った。暗いのでよく見えないが、葦だろう草が、高く、生い茂っていた。
俺は、フェンスを飛び越えた。柔らかく、草の感触が返ってくるだろう予想は見事に裏切られ、スニーカーを通して、コンクリートの鈍い衝撃に痺れた。俺は構わず歩いた。少し歩いて、吐いた。口に胃液が、逆流してきて、息を止め、それを押し戻そうとした。跳ね返った。胃液はとめどなく逆流し、もう堪え切れなかった。一度口から出ると、堰を切ったように、次から次へと嘔吐した。口から、鼻から嘔吐した。鼻の奥がひりひりした。酒が、酸味が口いっぱいに広がった。よだれがでた。鼻水がでた。鼻水かは分からなかった。酸っぱかった。鼻を手でかむと、鮭のほぐし身であろうオレンジが、消化しきれなかった米とともに、鮮やかに暗闇に現れた。咽が痛い。俺は袖が濡れているのに気がついた。袖を、手をそこらへんの雑草に擦り付けて拭いた。夜目に、ゲロは、鮮やかだった。
黄色く、赤褐色に濁った嘔吐物は、なぜか、生理中のタンポンを、割れ目から抜き取った、うすオレンジに、赤く濁った、ティッシュに包んで捨てた、ゴミ箱を思わせた。
俺は、ブザマだと思った。弱い、弱い。ひさしぶりに、吐いた。高校三年以来だ。そんときも、俺はここで、吐いた。とにかくその時は、みんなで吐いた。
確か、夏だった。近くの、馴染みの、友達んちの居酒屋で飲み、飲み、とにかく飲み、吐いた。みんな吐いてみたかった。酒で、吐いてみたかった。
町を歩き、女の子にちょっかいを出し、カップルに絡み、男に殴られ、みんなでそいつをボコボコにした。男が、わざとらしく、胃液のようなものを吐くので、ムカついた。それが頬にへばりついたとき、周りが見えなくなった。とにかく、殴った。ひたすら殴った。頭に蹴りをいれたらしかった。男が、昏倒した。口から、泡のようなモノを吐いた。今度は、本当らしかった。少し、満足した。やべえと思った。みんなで駆けた。駆けながら、頬を指先で擦り、鼻にあてた。酸っぱい、吐き気がこびりついた。怒りを覚えた。戻って、殺してやりたかった。男の口から出る、血反吐のこびりついた、酸っぱい粘液を、たっぷり手の平ですくい、女の顔に塗りたくって、犯してやりたいと思った。みんなで、この神社まで走った。
神社で、さらに酒を飲み、呑み、境内で、アツシが吐き、俺と、アユムは、フェンスに向かって、吐いた。アユムが、俺の、学生服の、黒い、ズボンの裾に、ゲロをしぶかせた。靴には、思いっきりかかっていた。俺はアユムのズボンに、靴を、裾を擦りつけた。アユムは気づかなかった。ただ、吐いていた。
神社の境内では、サトシと、キョウヘイが、原チャリで、ぐるぐるまわっていた。ただ、ひたすらぐるぐるまわっていた。ぶつかった。サトシと、キョウヘイを乗せた原チャリは、舗道の、石像にぶつかった。後ろに乗っていた、キョウヘイが死んだ。ぶつかったのは見ていなかった。サトシのほうが重体だと思った。サトシは、おでこを、半ばまで切り、黒い血を滴らしていた。起き上がったキョウヘイは別段いつもと変わりがなかった。ただ、目を細め、頭がいてえと言っていた。
無免で飲酒で病院へ行くわけにはいかなかった。近くのコンビニで、あるだけのペットボトルに水を買った。あんだけ酒を飲んだのに、みんな咽喉が異常に渇いていた。サトシを荒い、水を浴びるように飲んだ。みんなで頭に浴びせながら飲んだ。Yシャツは重く皮膚にまとわりついたが、気持ちよかった。水を浴びながらキョウヘイは、目を細くしながら、頭がいてえと言っていた。
翌日、キョウヘイが死んだ。朝、起きなかったらしかった。あまり、詳しいことは教えてくれなかった。俺らは、事情も聞かれなかったし、積極的に関わらなかった。死因は、なぜか大型トラックに轢かれたことになっていた。自転車で下校中に轢かれたことになっていた。朝会で、なんの現場を見たのか、髪の薄い、禿げたオッサンが現れて、轢かれたときの様子を生々しく語った。Yシャツから除く、細い、頼りなげな若い、というセリフのとこで絶句した。なぜ、ここまでリアルに嘘をつかなければいけないのかと思った。だが、だんだん、大型バスで、葬式に行くころには、本当に大型トラックに轢かれたのではないかと思うようになった。
ジャケットの裾を見た。黄土色の液が乾いてきていた。紺色の裾に鮮やかに馴染んだ液体を、指先で擦り上げた。鼻まで持っていき、嗅いだ。アルコールの臭いが吐き気を誘った。酸っぱかった。ふと、懐かしい香りだと思った。赤ちゃんの香りだ。酔いは大分醒めていた。近くの雑草を引き千切り、裾を拭いた。葉っぱの緑の部分を嗅いだが、期待していた土臭い臭いはほとんどしなかった。ただ、少し酸っぱいだけだった。
母親のことを思いだしていた。
あまり、抱いてもらった記憶がない。話をしても、最低限の日常会話くらいだ。いつからこのような関係になったのかはわからない。
最近、いや、高校の半ばくらいだろうか、母親を抱きたいと思うようになった。犯したいと思うようになった。アダルトビデオで近親相姦モノがあったが、違和感を感じた。アダルトビデオの関係は、ただいちゃついているだけだった。当然であるとしても、本当の親子のはずがなかった。実際はそんなものであるはずがなかった。嫌がる母を押さえつけ、無理やり犯す。母の、ババシャツや、ショーツを破り、太い足を無理にこじ開け、髪を振り乱し、泣き叫ぶ母になんとか、意思を貫き通す。俺は、自分を抹殺したいような背徳感に頭をぶち抜かれ、次第に、なにも考えなくなるだろう。腰を動かすたびに、俺は吐くだろう。何度も何度も吐くだろう。吐いて、ゲロにまみれて、俺は腰を動かし続けるだろう。そして母の腹の上に溜まったゲロを、腕で、手ですくい、母の顔に、体に擦りつけ、こびりつけ、仕舞いにのたうちまわって俺は絶頂を迎える。そのとき、なんともいえない歓びを感じるだろう。心のそこから歓喜するだろう。そして、俺は自殺したい。
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