第3話

 アユムが出て行ったあと、みんなで、予備校の思い出話しや、大学の近況などを語った。だが、二年しかたっていないし、予備校時代の話はあまりでなかった。

 みんなの関心事は、まだ一年のナベはともかくとして、将来のことだった。現役の奴等はもうとっくに就職活動をしていた。みんな、少し焦っていた。小林のようなアクティブなヤツを除いて、だれもかれも憧れの大学生活を、ただなんとなく過ごしている。

 俺だってもちろんそうだ。大学に入ってやってきた事と言ったらセックスだけだった。教育学部に入ったものの、なんとなく、教師になるのは躊躇われた。ユミやヨウコもそうだった。

 ユミもヨウコも、学部は違うが小学校か、幼稚園の先生を目指していた。この時期は、みんな迷うのかも知れなかった。だが、就職活動をするヤツなんてほとんどいなかった。そういう大学だ。今、このご時世、教員になりたいだなんてよっぽど変わっている。教員を目指す学生はどこかしら精神構造が幼いと思う。中、高、大学と、みんなの前に出るのが好きで、どこかしら浮いてきてるような奴等ばっかりだ。社会経験もないのに、世の中の、一体、なにが正しくて、なにが悪いかなんてわかるのか。だから、学校の先生はとても胡散臭い。

 もう、コースで頼んだだろう料理は、あらかた片付いていた。俺も酔ってきていた。鮭茶漬けを頼んだ。尿意がする。トイレに行く。

 トイレは臭かった。奥から、二番目の小便用の青い便器には、黄土色をしたゲロが溢れていた。たくさんのブロックアイスが乗っていた。じょぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ。酒が入ると、やけに小便が長い。少しふらつく。蛇口から水が出しっぱなしだったので止めた。

 トイレを出ると、ユミがいた。

「おう、トイレ?」

「うん」

「ちょっと、酔ったな」

「わたしも。あんま話してないね」

「席遠いし」

「うそだ。私のこと避けてるでしょ?」

 嘘だ。避けてるのはユミだ。ユミの声は、少し鼻にかかっては籠る。

「学校でみかけても、あんまり、あいさつもしてくんないし」

 なにいってやがる。そもそもあんまり会わないじゃんか。それに、いつもサークルやらなにやらの集団でいるくせに。

「我慢しないほうがいいでしょ」

 肩を押された。グーで。パンチかそれ。そのままユミは俺をすれ違った。

 

 茶漬けが置かれていて、誰かが食べていた。半分に千切れた梅干と、ほぐされた、やけに身がオレンジな鮭は、さっきの吐瀉物を思わせた。腹が減っている。構わず食べる。タカヒロはさらに真っ赤。さらに目は充血し、顔はむくんで脈打っている様子。汗で掻き分けられた髪は、脂ぎっている。スマトラ沖の水死体みたい。それでもタカヒロは飲み続けている。

 ナベとまっちゃんは、まっちゃんがこないだ旅行で行った、タイでの売春の話しをしているようだ。卑らしく唇の端を歪めている。

 ユミが戻ってきた。俺と小林の間に強引に割ろうとする。小林が席を譲った。ユミは酔っているのかいないのかよくわからなかった。顔はいつもと変わらない。すまして、座った。ヨウコがこっちを見ていた。

「なんだよ、狭いんだよ」

「いいじゃん。別に」

 ユミの肩が俺の右肩に擦れた。なんとなく、頬杖を突き、障子側を見た。ふすまは、微妙に開いていた。飲み終えたグラスが手前に、大量に置かれている。

 いきなりユミの腕が右腕が、俺の斜め前の、テーブルの上に置かれた飲みかけのグラスを掴んだ。斜めに白い、谷間が、覗いた。ブラジャーはピンクだ。斜めにユミを見た。ユミは、近くにあった飲み残しの酒を、ちゃんぽんしていた。サワーに冷酒にウイスキーに、なんでもありだ。グラスが溢れそうになるまで注ぎ、割り箸でまぜ、白く濁ったグラスを俺の前に突きつけた。

「飲んで」

 真正面に俺を見ている。はあ、バカかこの女は。

「一番はじめに、ポン酒サワーのグラスに入れてたのも、お前だろ」

「知らない。飲んで」

 ますます俺に顔を近づけてくる。頬杖をしている肘に胸が触った。

「はやく飲んで」

 譲りそうにない。俺は圧された。おっぱいに圧された。グラスに口をつけ、少し飲んだ。

 想像以上にマズい。臭い、とにかく、臭い。カルピスの味がした。精子だ。ゲロだ。吐瀉だ。

 構わずユミがグラスの底を押し付けてきた。

 俺は覚悟を決めた。ゆっくり、呑み干した。少し、残した。

 咽が、胸が焼けるようだ。バカだこの女は。

 構わずユミは無表情だ。怒っているようにも見える。ふざけんじゃねえよ。

 なに考えてんだよ。この女酔ってんのか。バカだ。ユミは、近くに残った酒を、サワーとウイスキーを混ぜて、淡く、白いグラスを傾けている。バカだこの女は。だが、

 横顔に見る、ユミの、黒い髪はキレイだ。サラサラだ。一本一本が滑らかに踊っている。触りたい。肌も、透き通るように、白い。頬はほのかに、赤い。グラスを、軽く、噛むように含んだ口は、少し厚ぼったい。鼻は、低く、丸い。鼻の頭に、妙に気になる大きなホクロが二個ある。

 とりたてて、美人な顔ではない。スタイルも、おっぱいも普通だ。さっきは、思ったより跳ね返ってきたが。だが、ユミを、ユミにしているのは、なんといっても、声だ。目だ。目は、常に水分を十分に含んで潤んでいる。大きくも、小さくもないが、睫毛は長い。涙腺が、どれだけ緩いんだろうと思う。そういえば、前二人で映画を見たときにも、ボロボロ涙を零していた。まさしく、ボロボロだ。あの目から、涙が零れ落ちるのは、実に自然なことだ。男は、あの目にやられるんだろうと思う。

 今も、長い睫毛に被われた黒目がちな目は、普段よりも濡れている。グチョグチョだ。焦点が定まっていないように見える瞳は、泣いているようだ。妄想で、ユミを犯すのは簡単なことだ。あの、潤んだ、海のような瞳に、俺を咥えさせる。少し厚ぼったい口は、俺を積極的に含み、鼻にかかった声で、咽を鳴らして、俺に媚びるだろう。しばらく、上下運動を繰り返し、そして、上目遣いに俺を見る。ユミの潤んだ目に瞳に、海に、俺は吸い込まれ、そして爆発する。

 脈が、急速にあがってきた。俺の息は、荒い。頬杖をついた、右手の平が熱い。目は間違いなく充血しているだろう。俺は、ユミを犯したい。あの、潤んだ瞳を、さらに濡らしたい。鼻にかかった、太い声から、甘く、切なく、苦悶に満ちた声を出させたい。ユミも、それを望んでいるはずだ。俺に、乱雑に、乱暴に引き裂かれることを、望んでいる。

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