第4話 GeneSourceTree

 寝泊まりするための施設は十分にそろっていた。このプログラムでは森を通ってログハウスに着くことと、ここで1か月過ごすこと以外の課題はない。ここでの過ごし方は各々自由でよいという事になっている。

 だがそういわれて本当に各自勝手に過ごすことはこのプログラムではまれらしい。たいていは食事や風呂、生活の雑事の規律を作る。何せ教育プログラムの一環とはいえ、リアルなコミュニケーションを学ぶ機会はほとんどないからだ。時間は無駄にはできない。それにリアルでの経験がないからと言って、僕たちのコミュニケーション能力が低いという事はない。バーチャルでの授業は十分に受けているし、GeneSourceTreeの協調性に必要なアップデートは強く推奨されているからだ。

 僕らは生活に必要な習慣を並べて、集団での行動が必要な項目とそうでない項目を分けた。

 集団のリーダは最年長のシンゴが務めることになった。特に異論はなかった。だが、たとえ誰がなろうとも集団をまとめるスキルはすでに履修しているだろうから問題ないだろうけど。

 そんなことを考えていたからか、僕は夕食のときにこんな話題を出した。

「僕らは今集団生活をしているし、そのために必要な技術も学んでいる。だけれど、昔はそういうことができない人たちが結構いたんだ。周りの要請に従うことが難しい人たちが」

 ハルがトマトパスタを口にしながらいう。

「それって犯罪者の話?」

「そうじゃないよ。もちろん、犯罪者もいたけれど、そうじゃなくて、社会的に成功した人もいる。Think differentって広告があるんだ。広告って知ってる?」

 そう聞くとブロンドのトウマが応えた。

「仕事でよく広告のための映像データをとるよ」

 シンゴは僕の方を見た。

「僕もバスケットをやっているから、スポンサーを付けないかって打診が来たことがある。断ったけど。でもそういう打診を受けるまでは広告って言葉をあまり知らなかったな」

 ハルとシュウイチの方を見ると二人とも知らないようなそぶりを見せた。僕は説明する。

「広告は簡単に言えば企業がお金儲けのためにする宣伝活動のことだよ。まあ、あまり知らないのは無理もない。いまの広告ってほとんどそう意識させないように設計されているからね」

 ハルは言った。

「それで、その、Think differentだっけ?それは何だったの」

「Apple社っていうコンピュータの会社が打ち出した広告だったんだけれど、そこでは今までとびぬけて成功してきた偉人たちのことを語ったんだ。彼らはただすごい人たちってだけじゃない。変人だったり、理解されなかったり、そんな社会の習慣に従えない人たちだったんだよ。そういう人だからこそ、社会の習慣に縛られず偉業を成し遂げたっていう宣伝だよ」

 僕は目の前のやわらかい容器に入ったジュースを見た。

「その人達は社会に従えなかった代わりにとびきりの才能があったんだ。だからね、社会の要請を跳ね除けることができた」

 話を訊いたみんなは、ふうんとあまり気のない感じで、あるいは礼儀を損なわない程度のリアクションをするだけだった。

 僕は口に出さずに、言葉をつづけた。

 多分、いまの世界ではそんなことできやしないんだろう。

 だって、誰もが天才になれるんだ。

 社会の要請に従わない人間なら、替わりはいくらでもいる。


         ◯


「君は平気じゃないの?もしも何もなせない人生なら、それは完全に僕らの責任になる。

 昔は少年犯罪も、親の責任だから許された。

 昔は貧乏なら、頭が悪くても許された。

 昔は不幸なら、同情がもらえたんだ。

 今は全部、全部、全部自分の責任だ。

 何もかも自分の意志で決めて、自分の才能を選び、自分の努力を選ぶことができる。

 エディッティングは積み重なって、データベースにたまる。

 先天的な向き不向きはいくらでも矯正できる。

 だから、僕は偉人にならなきゃいけないのか?

 誰かにならなきゃいけないのか?

 僕でいたらどうしてダメなんだよ。

 どうしてなすべきをなさなきゃいけない!?

 自らを主人にしろってか?

 皆自分の意思だっていうのかよ?

 そんなの嘘だよ。

 皆自分の意志で、自分のゲノム情報を改変して、アップデートしているのか?

 何のために?何かをなすために?

 僕らは選べる。

 それでも僕らは、本当は用意されたものしか選べてないんじゃないのか。

 最適化されたものしか。

 ねえ、僕はこの世に必要ないっていうのかよ」

 多分、泣いていた。


         ◯


 この話よりすこし昔。2040年の秋。ある学会。

 ある学者の発表。

『このように、競合する遺伝子を把握できれば、成長してからのゲノム編集は安全且つ容易に可能です。ですが、今までは課題がありました。それはゲノム編集を重ねた際の記録をとれないことです』

『記録をとれないとどんな問題があるのですか?』

『ゲノム編集を安全に行うためには先ほどの説明通り、今現在の我々の遺伝情報が必要なのです。そうでなければ混ぜると危険な遺伝子が導入される可能性があります。今までは人の遺伝情報は一生涯でいくつかの例外を除き、変化することはありませんでした。ですが、常にゲノム編集ができる技術が確立してしまうと、それも難しくなります。常にゲノム編集ができるという事は常に、我々のゲノムの状態が安定しないという事を示すからです』

『この発表の冒頭ではそれを解決したと言っていましたね、どのように解決したのですか?』

『我々はゲノム編集実行とそれを記録するデータベースの複合体を開発しました。この中にプログラムを複数人で書いたことがある方はいますか……何人かいらっしゃいますね。ではその中でGitを使ったことがある方は?』

『すみません、Gitとは何でしょうか?』

『Gitは……そうですね、プログラムを作成するときに何度か変更したり、機能をつけ足したりするんですが……それが複数人でやるとややこしくなるんです。なのでGitはそのプログラムの作成時に編集記録を管理する機能と考えてください。つまり、複数人でプログラミングをするときの秘書ですかね』

『それが、今回のあなたの開発とどんな関係があるんでしょう?』

『我々の技術はほとんどこのGitの思想を適用しています。そして、我々のゲノムを編集中のプログラムと見たのです。そして開発されたのが、ゲノム編集すべての記録をオールインワンで管理することができるシステムです。これを使えば、我々はある時点での自分の状態にも戻れます。あるいは他の人のゲノムを、競合せずに取り入れることも可能です』

『……』

『シンプルに言えば、『どんな人間の才能をも取り込むことができる』可能性を持つ技術です』

『……』

『我々はこれをGeneSourceTreeと呼んでいます』

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