第8話

 ユージンの一撃は、槍の一撃を放ってきた男を両断し、その命を即座に刈り取る。

 同時に彼の左手にも、新たな剣が握られており、囲んでいた兵士の数名を一瞬で斬り捨てる。


「……えっ?」


 そう呟いたのは、誰だろうか。

 あまりにも早く、鋭い剣戟は、誰の目にも捉えられることはなく。


「……う、うわあああ!?」


 時間をおいて噴き上がった血飛沫が、ちょうど近くにいたアルトマン男爵側の貴族に掛かり、その周辺に血溜まりを作る。

 思わず悲鳴を上げ、後退りした貴族は、足元の血溜まりによって滑り転け、自らの衣装を真っ赤に染めていた。


「――さて」


 自身は即座に離脱したことで全く血飛沫を浴びていないユージンが、呟く。

 同時に周囲の自称兵士たちを睥睨しながら、ヘルガ嬢に声を掛けた。


「……騎士たちは?」

「もうすぐかと思いますわ……それよりも、まずは武装解除をお願いしても?」

「……良いだろう」


 ヘルガ嬢のお願いに対し頷いたユージンは、普段の優しげな様子とは異なった口調で口を開く。


「正当なるヴァルデクラフト辺境伯に対し、反旗を翻そうとした者たちよ、一度だけ慈悲を与える。即座に武器を捨て、投降せよ」


 ユージンがこう口にしたのには理由がある。

 というのは、アルトマン男爵が手駒としていた自称兵士――盗賊たちのことだ――はそこまで多くない。

 それ以外の兵士たちは、あくまで事情を知らずに使われているかもしれない、という懸念があったのだ。


 すると、やはり自覚が無かったと思われる兵士たちは、即座に自分の武器を捨てている。

 逆に、男爵に従っている者たちは、ユージンに向かって攻撃しようとし、あるいはヘルガ嬢側の貴族を狙って人質を取ろうとしていた。


「……向かって来る者は、あるいは愚かにも人質を取ろうとする者は、『敵』ということだな」


 一瞬にして、人質を取ろうとした者を斬り捨てるユージン。

 同時に、逆の手では攻撃を仕掛けてきた盗賊らしき男を斬り捨てる。


「ヘルガ嬢は……問題ないな」


 先程ユージンが囲まれていた辺りでは、ヘルガ嬢が剣を手に逆らう兵士たちを相手取る。

 流石は冒険者をしていただけはあり、複数人相手に全く危なげなく戦っている。


 と、そこにドアを開けて踏み込んできた一団が現れる。


「辺境伯様、ご無事でありますか!? ……って、これは一体!?」


 揃いの鎧に身を固めた、どこか熊のようにも見える男たち。

 どうやら、ようやく護衛騎士団が到着したようだ。


 その頃にはヘルガ嬢の周辺は落ち着いていたようで、ヘルガ嬢が前に出て口を開く。


「ご苦労様です、騎士団長」

「これは……ヘルガ様、お戻りになられたのですね」

「ええ」


 どうやら騎士団とヘルガ嬢は顔見知りのようだ。

 騎士団長と思わしき人物が、床に膝を付いてヘルガ嬢と話している。


「――細かい話は後にしましょう。現在、この場には新たな辺境伯である私に逆らう者がおります……アルトマン男爵とその支持者を、直ちに制圧しなさい」

「は……? は、はっ! 承りました!」


 一瞬何が言われたか分からなかったのだろう、団長らしき人物は少しだけ狼狽える。

 だが、直ぐに自分がすべき事柄を理解し、行動に移しだした。


「――ヘルガ様に逆らう愚か者共を制圧する! 掛かれ!」

『応!』


 なんともむさ苦しい感じの騎士団だが、その動きは非常に早かった。

 投降者を含め即座に捕縛し、敵する者も数人で当たり、シールドを用いて制圧していく。


 そんな中、剣を振るうユージンの姿を認めた団長が、ヘルガ嬢に声を掛けてくる。


「ヘルガ様、あの剣士はどうしましょうか!」

「? ああ、彼はこちらの味方ですわ。ですが彼に攻撃を仕掛けようとする者たちがいましたら、できるだけ制圧していただけると助かります」

「はっ!」


 団長は即座に、ユージンの援護に数人を派遣する。

 それからたった数分で、男爵側の者たちは拘束された。


 だが、問題は残っている。

 一人の騎士が、ヘルガ嬢に駆け寄ってきた。


「ヘルガ様、アルトマン男爵がいません!」

「……逃げ足の速い男ですね。ヴァルデバリー全域に厳戒態勢を。門の出入りも制限してください」

「直ちに!」


 そう言って即座に出て行く騎士。


 ――その様子を見ていたユージンが、離れたところでぽつりと呟く。


「……『破損原因』が、逃げたか」


 ◆ ◆ ◆


 ヴァルデバリーは領都と言うだけあり、かなりの規模だ。

 しかも、辺境領である以上、その周囲を囲む防壁は高く、封鎖されればまず誰も抜け出すことはできない。


 それは中央から最も遠いスラム街でも同様であり、その劣悪な環境も相まって色々な意味で抜け出すことはできなくなるだろう。

 だが、そんなエリアをアルトマン男爵は走っていた。供には一人の剣士を連れている。


 アルトマン男爵は何故逃げ出せたのか。

 それは、ひとえに彼が諦めが悪かったからだろう。

 そして、意外と状況判断が素早く、旗色が悪いと判断した瞬間にはスケープゴートを使い、あるいは即座にその場から抜け出して無関係を装う事ができるからだ。


 先程も、ユージンが戦い出すと同時に自分の側の貴族を盾にして隠れ、さっさと秘密の通路から抜け出したのだ。

 この剣士は外で待機させていたので、身一つで抜け出せたというのも大きい。


 さて、この剣士はアルトマン男爵の腹心とも言える人物で、同時に国内有数の剣の使い手でもあった。

 そんな剣士が、アルトマン男爵に話しかける。


「……しかし、信じられませんな。【再製師リジェネレーター】がそれほどに戦えるとは……」

「私も我が目を疑ったさ。だが、間違いなく奴は腕が立つ。だから即座に逃げたのだ」


 アルトマン男爵は内心歯噛みしつつも、自分が逃げる判断をしたことに間違いはないと思っていた。

 明らかに、ユージンが剣を振るった瞬間、大きくユージンの側に趨勢が傾いたのが男爵には感じられたのだ。


(あのままでは、私も殺されていたかもしれない……)


 そう思うと、鳥肌が立つ。

 あの瞬間の彼の目は、間違いなく『殺人』に対して躊躇いのない、慣れた者の目だった。


 少し腕を擦りながら、スラムを駆ける男爵。

 そうする内に、少し道幅が広くなったようだ。

 だが……


「おいおい、そんなに急いでどこに行くんだぁ?」


 そう言いながらぞろぞろと現れたのは、スラムの住民の中でも柄の悪い……恐らく裏社会と繋がりがあるような男たち。

 そんな男たちが、思い思いに短剣や斧、あるいは槍を持って現れる。


 恐らく10人はいるだろう。

 チンピラたちは、自分たちの数を頼りに男爵と剣士を囲む。


「……下がれ。ここに居られるのはアルトマン男爵閣下だ、貴族に手を出すならば、貴様らには死あるのみだぞ」


 そう言う剣士の言葉に対し、男たちの一人がピュウッ、と口笛を吹く。


「お貴族サマかよ。なら通行料を払って貰うのと、折角だからスラムのためにお慈悲をくれませんかね、男爵サマよぉ」

『そうだそうだ!』


 そう言いながら囃し立てる周囲の男たち。

 対する剣士は、額に青筋を立てつつ、地の底から出てくるような声で警告した。


「……退け。殺すぞ」


 もし、スラムの男たちに実力が――相手の戦力を見極めることも含め――あれば、即座に逃げただろう。

 だがあいにく、男たちはそこまでの実力も無く、そして愚かだった。


「『殺すぞ』だってよ! たった一人で何ができる、そっちこそイキがってんじゃねぇぞっ!!」

『ギャッハッハッハッハッ!!』


 大声を上げる主格の男と、それを聞いて大爆笑する周囲の男たち。

 それを見ながら、剣士がチラリと男爵の方を見、男爵は軽く頷いた。


「痛い目に遭わねぇと分からねぇらしいなぁ! やれぇ――」


 そう主格の男が叫ぼうとした瞬間――男が左右に割れた。


「……は?」


 あり得ない。

 そう呟こうとした、主格の男の隣にいたチンピラは、一瞬にして首を刎ね飛ばされて絶命する。

 恐らく、自分が死んだ事すら気付かなかっただろう。


「こ、こいつ……!? や、やれ! 殺せぇっ!」


 やっと今の状況を理解した一人が叫ぶが、次の瞬間にはやはり斬られて屍となる。


「……やれやれ」


 アルトマン男爵はその様子を見ながら、少し呆れたように溜息を吐いた。

 腹心の部下である剣士は、上位冒険者ですら相手にならないほどに強力な剣士だ。

 チンピラ程度では、まるで藁を斬るかの如く。


「に、逃げろ、逃げろぉ!!」


 結局、逃げ出せたのはたった2人。

 残りは血溜まりに沈んでいる。


 剣士は残りの2人も追って処理しようとしていたが、男爵が止めた。


「それ以上深追いをしなくて良い、よくやった」

「……恐れ入ります」


 男爵が止めると、即座に戻ってくる剣士。

 どことなく、主人には忠実な狂犬のように見える。


「今は、ここから出ることが優先だ。行くぞ」

「はっ」


 即座に男爵の半歩前に出て、先導する剣士の男。

 それから数分ほど歩いたところだろうか、少し開けた場所が現れる。

 周囲の建物には人気はなく、恐らくスラムの中でも破棄されている場所なのだろう。

 そんな場所で、突然剣士の男が立ち止まった。


「どうした?」

「……手練れがおります。――出てこい」


 剣士の男がそう言うと、建物の影から青年が一人、現れる。

 髪は燃えるような紅、そしてその瞳は特徴的な榛色。


 身体を覆うようなローブでは無く、黒ずくめの戦闘服。


「……貴様は」

「やあ、アルトマン男爵。このような場所で奇遇ですね」


 現れたのは、ユージンだった。

 笑みを浮かべながらアルトマン男爵に声を掛ける彼だが、その目は全く笑っていない。


「何をしに来た、貴様」

「依頼を果たしに」

「依頼……だと?」


 怪訝そうな表情の男爵だが、対するユージンはそれ以上は何も言わずに剣を抜く。

 それは、二振りの片手剣。


「貴様! あれほど自分は『関わらない』と言っておきながら! ヘルガのためには関与するというのか!?」


 近付いてくるユージンに対し、叫ぶようにそう言う男爵。

 剣士の男は、ユージンを警戒して剣を構えている。


「ヘルガ嬢からは、あくまで『依頼』を受けたまで。それに……契約を反故にし、先に俺を『関わらせよう』としたのは貴方の方だ」

「な、何を言っている……!」


 後退りする男爵と、近付くユージン。

 だが、男爵を守らんとする剣士がその間に入り、口を開く。


「……これ以上、男爵に近付くな!」

「おや……えらく忠実な番犬ですね」


 薄らと笑い、そう言うユージン。

 剣士はユージンに何も応えず、ユージンに向かって打ち掛かりながら叫ぶ。


「男爵! 今のうちに!」

「す、すまん!」


 そう言って走り出すアルトマン男爵。

 ユージンはそちらを追おうとするが、打ち掛かってきた剣士の攻撃を回避し、防御するために追うのを止めた。


「……ここで貴様を倒す!」

「おやおや……なんと素晴らしい」


 そう言っているユージンだが、その口調はどこか剣士を馬鹿にしたものだ。

 それに対して剣士は何も言わないが、攻撃の圧力が上がる。


 剣士の男が使うのは長剣で、その1メートルほどの刃渡りの剣を巧みに使っている。

 対するユージンは二刀流で、片手剣を使うためリーチは剣士よりも短い。


「ふむ……重い一撃ですね。そのまま受けては、押し負けてしまいますか」


 剣士の男は上段からの振り下ろしを軸に、突き、払いを混ぜている。

 上段からの振り下ろしはその重さと相まって、かなり危険な一撃だ。チンピラが正中線で真っ二つになったのも頷ける。


 ユージンはそれを去なしながら、剣士に話しかける。


「一つお知らせですが……あの男爵は、既に罪人となっています。公爵殿下に刃を向けていますからね……そんな人物に、貴方が命を掛ける必要があるので? ここで武器を収め、投降してくれませんか?」

「!」


 ユージンの言葉に、思わず剣の動きを鈍らせる剣士。

 同時に剣を弾きながら、距離を取るユージン。


「貴方は、あの男に巻き込まれているだけ、と思います。どうですか? このまま惨めに、犯罪者として死ぬのは辛いものです。……投降してくれれば、少なくとも命は保証できますよ?」


 ユージンの言葉は事実だ。

 下手に処罰を行ってしまうと、あの場にいた兵士たちや、巻き込まれただけのヴァルデクラフト辺境伯家の家臣たちも含まれてしまう。

 この処罰については公爵の口添えもあり、まず問題なく処理されるだろう、とユージンは聞かされている。


 だが、剣士は目を伏せ……再度目を開けたときには決意を漲らせた視線と共に口を開く。


「……これは、俺の心の問題だ。例え罪人だろうと、俺は男爵のための剣だ」


 それはユージンの言葉を拒絶し、男爵の側であると自ら宣言する言葉。

 その言葉にユージンは悲しげに目を伏せる。


「……残念ですね。仕方ありませんか」


 同時に、ユージンの纏う気配が変わる。

 純粋な殺意と覚悟を固めた、ユージンの気配。


 肌が粟立つような感覚を味わいながら、剣士は笑った。


「……この一撃に賭ける! はああああっ――!!」


 これまでで最も鋭く、最も美しく。

 上段からの単純な振り下ろしは、単純が故に強力無比。

 剣士は駆けながら咆哮し、剣を振り上げ――振り下ろした。


 それを視ながら、ユージンは剣を交差させ、気を整える。




「――最終剣技、【オルクス】」




 次の瞬間、剣士の長剣が粉砕されると同時に、その胸に大きく刻まれた交差する三本の線。

 その線から、紅が滲み――華を咲かせた。


「――……最高の、戦いだった」


 そう呟いて、剣士は倒れ伏す。

 そして、二度と立ち上がることはなかった。


 ◆ ◆ ◆


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」


 身体が酸素を欲している。

 立ち止まって、休憩するようにと身体が求めているのが分かる。


 だが、ここで立ち止まっては終わりだ。

 そう思いながら、アルトマン男爵は必死に足を動かす。


(あいつは……こっちに向かって来られているだろうか?)


 残してきた剣士のことを思う。

 だが、彼が動いてくれなければ、自分は死んでいた。

 彼のためにも、自分は生きなければいけない。


 そう考える男爵はようやく、外壁のとある場所に辿り着いた。

 そこは、一部外壁が崩れており、人一人がぎりぎり通れる位の穴が出来ている。

 本来即座に塞ぐべきなのだが、場所が場所なので中々対応できていないのが事実。


「私が戻ったら……あれも塞がねば……」


 そう呟いた男爵は、立ち止まって息を吐く。すると――


「――おや、何を塞がれるので?」

「!?」


 思わず肩を跳ねさせるアルトマン男爵。

 油の切れた機械のように、後ろを振り返る男爵は、その場にいた存在に息が止まらんばかりだった。


「な、なぜ……」

「『なぜ』とはどういうことでしょうか? この場に俺がいることが不思議ですか?」


 先程と変わりのない笑みを浮かべる、ユージン。

 だが男爵は、心底寒からしめられていた。身体の表面が熱く感じるのに、流れ落ちる汗と身体の奥は冷えている。


「あ、あいつは……?」

「残念ながら、投降されませんでしたので」


 剣士は、この男によって殺されたのだ。

 男爵はユージンの言葉振りからそう悟る。

 だが、男爵にとっての恐怖はこれからだった。


「……さて」


 そう前置きをして、剣を抜くユージン。

 その刃は暗くなってきた周囲にあって燃えるような紅の光を反射し、紅く染まっている。


「ひっ……」


 後ろに下がる男爵だが、後ろは都市の外壁。

 直ぐに背中がぶつかり、逃げ場がなくなる。


「往生際が悪いですね、男爵。最期くらいは、男らしく堂々とすべきでは?」


 そう言って、三日月のように ユージンの口が弧を描く。


「や、止めて……止めてくれ……!」


 そう言う男爵に、ユージンはまた一歩近づく。

 そして、底冷えのするような声と共に剣を振り上げた。


「――命乞いの途中で悪いが、『故障原因』は取り除かねば……な」

「い、嫌だアアアアアアアアッ!!!!」


 その叫び声は、夜の帳が下りゆく空に、溶けて消えた。

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