第7話

「な……何故、何故貴様がここにいる……!?」


 アルトマン男爵が慄いたようにそう呟く。

 それに対して、ヘルガ嬢は一瞬冷めた視線を向け、表情を改めると不思議そうな表情で首を傾げる。


「あら? 私もヴァルデクラフト辺境伯家の者です、そうなれば継承の儀に参加するのは当然でありましょう? あいにく私には招待状は来ておりませんが……なにせ一族の者です、無くても当然でしょう?」

「そういうことを言っているのではない!」


 焦ったように叫ぶ男爵。

 対して、ヘルガ嬢の冷静さは明らかに対照的であり、周囲で見ているものにとってはどこか『格』の違いを思わせるものだ。


「それにしても、危なかったですわ。領都の隣に位置する街におりましたら、どういうわけか怪しげな強盗や、盗賊に何度となく襲われたのです。しかし、他の旅人たちに聞いたところ、そんな事は無かったと言われまして……本当に不思議ですわね」


 本当に困った、と言わんばかりの表情で溜息を吐くヘルガ嬢。

 対するアルトマン男爵は、射殺さんばかりの視線をヘルガ嬢に向けていた。


「だからなんだ!? 私が襲わせたとでも言いたいのか!?」


 そう言う男爵に対し、ヘルガ嬢は「あら」と言いつつ視線を男爵に向ける。


「おかしいですね? これはこのヴァルデクラフト辺境伯の領内で起きたことですわ、何故領主の一族を『襲わせた』などという言葉が出るのでしょう?」


 そう言いながらヘルガ嬢は、周囲の貴族たちに顔を向け、深く腰を折った。


「ご来席の皆様、このような事態が起きたということをヴァルデクラフト辺境伯家の者としてお詫びいたします。そして、然るべき者が領主に着任次第、徹底的に治安改善のための対応をさせていただきたく思いますわ」


 そう告げたヘルガ嬢に対し、周囲の貴族たちは納得したように頷く。

 その様子を見ながら、一人の貴族が口を開いた。


「なるほど……ヘルガ嬢、その言葉はしかと受け取りました。儂らとしても、その言葉が守られる事を信じておりますぞ」

「ええ、勿論ですわ、公爵殿下」


 ヘルガ嬢に声を掛けてきたのは老齢の貴族。

 正確に言うならば、臣籍降下した元・王族であり、現国王の叔父に当たる人物。

 ヘルガ嬢は公爵に対して、さらに言葉を重ねる。


「とはいえ……少々『厄介』が発生しておりますので、その点はご考慮いただきたく」

「うむ、それはそうでしょうな……儂もその点は考慮しようと思うておる、安んじられよ」

「ありがとうございます」


 堂々と公爵と渡り合う彼女を見て、アルトマン男爵は驚き怖れていた。

 単なる冒険者として、家を飛び出したと思っていたら、とんでもない対抗馬として戻って来たようにしか見えないのである。

 しかし、男爵も然るもの、諦めが悪い。


「こ、公爵殿下! その者の言葉を聞いてはなりません! 彼女は貴族籍を抜けた、民間人なのですから!」


 だが、この場においてその言葉は悪手だった。

 一瞬にして会場の貴族たちから、とんでもなく冷たい視線を向けられる男爵。


「ひっ!?」


 思わず尻餅をついた形になった男爵に対し、ヘルガ嬢は一瞥したのみ。

 そして視線を自分の背後に向けて、声を掛けた。


「マルケス子爵、私は貴族籍から抜けていますか? 貴族紋章院の次官たる閣下より、お答えいただきたく思います」

「はっ」


 彼女の背後にいたのは、貴族紋章院のナンバー2の人物。

 彼は、懐から一つの書類を取り出すとそれを公爵や周囲の貴族に聞こえるように読み上げる。


「貴族紋章院より、ご依頼の貴族籍を確認いたしました。ヴァルデクラフト辺境伯家長女として、ヘルガ・フォン・ヴァルデクラフト様の名が、記載され確認されております」

「ありがとうございます」


 明らかな証拠を突きつけられては、アルトマン男爵もそれ以上の言葉を言うことはできない。

 そんなアルトマン男爵に近付き、彼が取り落としていた【領主の剣】を手に取ったヘルガ嬢。


「なっ……それは私の……!」

「これは貴方の物ではなく、ヴァルデクラフト辺境伯家の物です。さらに言えば、継承の儀では継承権が有る者は皆、これを握る事が許されて……いえ、求められているのですよ」

「……!」


 手を伸ばすアルトマン男爵だが、元々冒険者をしていただけあって軽々と剣を握り、手元に引き寄せるヘルガ嬢。

 そして、【領主の剣】に魔力を込めつつ、彼女は言霊を紡いだ。


『ヴァルデクラフトの後継者たる我、ヘルガ・フォン・ヴァルデクラフトの名により宣言する――! 開け、【継承の門】よ!!』


 彼女がそう言うと同時に、剣の魔力が解き放たれ、門に吸い込まれる。

 同時に、その門のレリーフに魔力が行き渡り、カチャリ、と言う音と共に門が開いていく。


『おおっ!』


 周囲がその様子に、驚きと興奮の混ざった声を上げる。

 そして、その門が完全に開かれると同時に、その奥に存在する部屋が明らかになった。


 そこは、数段高くなっており、その最上段に一つの台座のようなものがあった。

 そして、ヘルガ嬢がその台座に近付き、剣をその台座に突き立てる。すると……


『ここに、新たなヴァルデクラフト辺境伯として、ヘルガ・フォン・ヴァルデクラフトを認める』


 突然、会場全体に響き渡るような声が流れる。

 その荘厳な声は、前ヴァルデクラフト辺境伯のものだったようだ。


「……父上」


 目に涙を浮かべ、そう呟くヘルガ嬢。


 ――パチパチパチパチッ!!

 ――ワアアアアッ!!


 そして、貴族たちからの拍手と歓声が、その会場を包み込む。

 ここに、新たなヴァルデクラフト辺境伯が誕生したのだった。


 ◆ ◆ ◆


「こ、こんな……こんな、馬鹿なことが……!」


 アルトマン男爵は、尻餅をついたままその様子を見守っていた。

 というよりも、立ち上がれるだけの力が無かった。


 予想もしない事が二重に、三重に起こり、自分は認められず、予想もしていなかった自分の従妹が領主となってしまったのだ。


「認められない……認められるものか……!」


 ギリリッ、と歯を食いしばる音が響く。

 勿論、周囲の貴族たちがその様子に気付くことはなく、新たなヴァルデクラフト辺境伯の方に意識が割かれているようだ。


 アルトマン男爵が歯軋りをする間にも、ヘルガ嬢は、いや新生ヴァルデクラフト辺境伯は他の貴族たちからの祝福を受けている。

 と、そこにとある人物が現れた。


「あ、あの男は……!」


 それは、ユージンだった。

 ユージンの姿を認めると、彼女は視線を向けてユージンに自分のところに来るようにと合図している。


「皆様、ご紹介いたしますわ。彼はユージン・シャッフェン。我が辺境伯領の端……とある村でお会いした、領内でも最高の腕を持つ【再製師リジェネレーター】です。彼の働きにより、この【領主の剣】は修復されたのですよ」

「ほう……!」


 周囲の貴族たちが感嘆の声を上げる。

 彼らはあの【領主の剣】が魔道具に近い魔剣である事を知っている者たちだ。

 同時に、それを修復できる【再製師リジェネレーター】の少なさ、というものも十分に理解している。


「では、ヴァルデクラフト辺境伯は彼をお抱えにするので?」

「私としてはお願いしたいですが……でも、そうしては皆様のためにもなりませんでしょう? あくまで仕事の関係を守りつつ、支援させていただきますわ」

「はは! 流石は新ヴァルデクラフト辺境伯、よくお分かりだ!」


 ユージンはあくまで呼ばれてその場に立っているだけだが、それでも間違いなく新たなヴァルデクラフト辺境伯の側だというのは分かるだろう。

 しかも、実際に大勢の前で彼女が暗に『支援者』となる事を匂わせてもいる。


 この瞬間、アルトマン男爵の目の前は真っ暗になり――残ったのは、憎悪の炎だけ。


「兵士たちよ! ヘルガとその【再製師リジェネレーター】、そして奴らに味方する貴族を拘束しろ! 抵抗するなら殺せ!」


 アルトマン男爵がそう叫んだと同時に、その会場にいた兵士たちが、ユージンやヘルガ、さらには公爵たちを取り囲むのであった。


 ◆ ◆ ◆


 アルトマン男爵が兵士たちに命令を下す少し前。

 ユージンは周囲の気配を探り、異様に人数の多い隠れた兵士たちの存在に気付いていた。


(……なるほどな、奴らは男爵側か)


 纏う気配と、こちらに向ける視線。

 その二つが、間違いなくユージンたちの敵である事を示している。


(さて、いつ動くか……)


 ユージンは考える。

 元々は恐らく、アルトマン男爵に敵対するような一族の者、あるいは家臣たちを拘束、あるいは殺すために潜ませているのだろう。

 だが、この状況において明らかに形勢は逆転し、ヘルガ嬢が辺境伯を継ぐことは間違いない。


 そうなると、一体どこで動くのだろうか。


(可能性としては、俺の件が取り上げられ、彼女が俺の後ろ盾になるということを暗に匂わせた場合だろうか? 恐らく、プライドの高い男爵のことだ、暴発する可能性は高い)


 そう考えているところで、ヘルガ嬢の顔を見るとこちらと視線が合ったことにユージンは気付いた。

 恐らく、ヘルガ嬢の周囲にいる貴族たちは、彼女の味方をしている側。その者たちと顔を合わせるためなのだろう。


 同時に、彼女が身に着けている『指輪』に、魔力が通されている事も分かった。


(……彼女も気付いているな)


 あの『指輪』は、緊急信号を出すための指輪だ。

 それを既に発動させているということは、彼女も男爵がキレることを予想しているらしい。


『これは、緊急時に辺境伯家の騎士団に信号を出す指輪です。これを発動させると、直ちに騎士たちが駆けつけますわ……壊れていますけれど』


 数時間前にそう言われ、ユージンは苦笑しつつ修理したことを思い出す。

 なお、これは家を出るときに父親から預けられたものらしい。


(間違いなく、父親である先代は、彼女が後継者となる事を望んでいたわけだ)


 そうでなくては、そのような指輪を渡すとは思えない。

 そんな事を思い出しながら、ユージンは貴族たちと顔を合わせる。


「ふむ、実に凜々しいな」

「恐れ入ります、公爵殿下」


 話しかけてきた貴族の中には、先代王弟である公爵も含まれている。


「ユージン、といったな。結婚はしておるか?」

「いえ、あいにく。それに少々、私には事情がございまして……」

「ほう……まあ、有望な【再製師リジェネレーター】ならば、急いで結婚する必要もあるまい。引く手数多だろうからな」


 そんな事を言う公爵に対して、ユージンとしては苦笑するしかない。

 だが、そんな時間は一瞬にして終わる。


(……!)


 自分に向けられる殺気を感じ、横目でその元を確認する。

 すると、先程尻餅をついていたアルトマン男爵が、憎悪の篭もった目でこちらに視線を向けているのが分かった。


 ――ヘルガとその【再製師リジェネレーター】、そして奴らに味方する貴族を拘束しろ! 抵抗するなら殺せ!


 そして、男爵の叫びと共に、ユージンたちの周囲を武装した兵士が囲む。

 ユージンたち以外の来賓に対しては、槍を向け会場から追い出しているのが見える。

 残っているのは、ヘルガ嬢側の者を除けばアルトマン男爵側に与する数名の貴族と家臣、そして兵士たちだけだ。

 兵士たちは皆が槍を手にしており、その視線はユージンたちの一挙一動を警戒しているようだ。


「これは……なんの真似だ男爵! 王家に刃向かうか!」

「公爵殿下、あまり騒がれますな。ここで最期の言葉を残す羽目にはなりたくないでしょう?」


 そう言いながら近付いてくるのは、アルトマン男爵だ。

 その表情は、最早どこか狂気すら感じさせるように赤くなり、瞳は血走っている。


「さて……ヘルガには聞かねばならんことがあるな。そして、ユージン……私の警告を、聞かなかったようだな」


 そう言いつつ笑みを浮かべ、兵士の一人に対して「やれ」と指示する男爵。


「ぐっ……」


 すると、兵士は槍の柄の部分で、ユージンを強かに打つ。

 思わず呻き声を上げるユージン。


「ヘルガは、私の部屋で拘束しろ……ああ、後でお前たちにも回してやるからな」

「へっへっへ、それはありがたいことでさ」


 そう言う兵士は、明らかに下卑た笑みを浮かべてヘルガ嬢に視線を向けている。


「……お前は、あの時の盗賊たちか」


 どうやらヘルガ嬢は、相手が何者かを知っているようだ。

 その『兵士』に対して、鋭い視線を向けている。


「アルトマン男爵も、堕ちたものですわね……盗賊共と手を組むとは」

「黙れ! 使えるものは何でも使う、それが貴族の正義だ! それができんお前では、どうにもならんのさ!」


 そう言ってからアルトマン男爵は、ユージンに視線を向ける。


「一応、貴様は【領主の剣】を修復した。その事は認めてやろう。だから一度だけ、私に従うチャンスを選ばせてやる。どうだ? どうせ貴様のような【再製師リジェネレーター】は、戦えるわけではないのだからな、私の守りの中にいた方が――」


 そう男爵が言い切らぬうちに、ユージンの口が動いた。


「お断り、だな」

「――なんだと」


 男爵の言葉に被せるようにして告げられたのは、男爵に対しての『拒否』。

 思わず聞き返した男爵は、わざとらしく溜息を吐くと『兵士』に向かって命令した。


「……ならば、貴様は用済みだ。――殺せ」

「だってよ……死ね!!」


 男爵の命令を受けた例の『兵士』は、手に持った槍をユージンに向かって突き出す。

 それは、盗賊にしては鋭く、一般人では避けられないであろう速度だ。

 その突き出された穂先が、ユージンに突き刺さろうという瞬間、ユージンの姿と共に、穂先が――消えた。


 ◆ ◆ ◆


 普通の相手ならば、間違いなく死ぬであろう槍の一撃。

 『兵士』は、これまでの生活で自分の槍捌きがかなりのものであることを理解していた。


 少なくとも、一般人や低ランクの冒険者程度には負けない、という自負があった。


(ここで活躍すれば……俺はっ……!)


 だが、ヘルガという名の冒険者に負けて捕らえ、犯罪奴隷となった。

 その屈辱は胸にあったが、炭鉱で犯罪奴隷として働く内に諦めと共にその気持ちも無くなっていた……はずだったのだ。

 だが、あるときにとある貴族によってその場所から連れ出され、『復讐したいと思わないか』と言われた。


(俺は、復讐に協力すると言ってくれたアンタを、恩人だと思ってんだ。その恩を、今ここに――!)


 アルトマン男爵に忠誠がある訳ではない。だが、恩義を感じているから。

 自分はそれしかできない、と分かっているからこそ、命令に従って槍を振るう。


った!)


 いくら有能な【再製師リジェネレーター】といえど、これは避けられないだろう。

 そう思うほどの、人生で最も速い一撃。


 ――しかし、相手は普通ではなかった。


「――あ、れ……?」


 槍を突き出した『兵士』は、自分の下半身の断面を見ていた。

 そして、その下半身が勝手に倒れていく瞬間も。

 自分の事を、まるで路肩の石のように見つめる、赤い髪の青年の冷たい瞳も。


 ――彼が自分の意思とは関係なく地面に倒れ伏したとき、彼の瞳からは光が消えていた。

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