第6話
アルトマン男爵が出て行き、馬が道を歩く音が遠ざかった頃。
ユージンの家のリビングでは、顔色の悪いヘルガ嬢が襲撃者たちについて説明していた。
「……あの者たちは、父の家臣の中でもよく動く者たちでしたわ。無論、悪い意味でも……」
「どこにも厄介な連中はいるものなのでしょうね」
ユージンの言葉に溜息交じりに頷くヘルガ嬢。
「……性質が悪いのは、彼らが自分たちを『正しい』と思っていることですわ。ただ、私は別に自分が領主でなくても構わないのです……実力と、覚悟があるのであれば、そして血筋に問題ないのであれば」
彼女が言うことも間違っていない。
同時に、彼女はアルトマン男爵のことを、個人的な問題抜きに『問題あり』と見ているともいえる。
そうでなければ、例え仲が悪かろうと【領主の剣】を手にすることを妨害しようとはすまい。
「……はっきり言えば、彼らに対し私が命令を下したことはありません。しかし、間違いなくエレインは彼らを『私の派閥の者』として情報を操作し、私を排除しようとするでしょうね」
どこか達観したような、それどころか諦観したような表情を見せるヘルガ嬢。
その様子を横目で見ながら観察するユージン。
そんなユージンの様子には気付かず、ヘルガ嬢はユージンに対して頭を下げる。
「……あいにくこの者たちについては貴方に任せるしかありません。しかし、ご迷惑をおかけしたことを、領主の一族としてお詫びいたしますわ。申し訳ありません」
「……貴方は、誠実な人ですね」
そう呟いたユージンに対し、どこか哀しげに、そして誇らしげに視線を向けるヘルガ嬢。
「――それが私ですわ」
それはまさに貴族らしい、責任に対する覚悟を決めた表情だった。
それを見ながらユージンは一つ溜息を吐き、ヘルガ嬢に対し椅子に座るように促す。
「……折角ですから、少し独り言に付き合っていただけますか? 無論、『【領主の剣】の修理』には直接関係しない事ですが」
ユージンはそう言うと、ヘルガ嬢と向かい合わずに、ヘルガ嬢に対し横を向いて座り直す。
だが、彼の纏う雰囲気が変わるのを敏感に感じ取ったヘルガ嬢は、警戒しつつも椅子に座り、ユージンに視線で先を促してきた。
「自分は魔道具に詳しいわけではありませんが、それでも
「……?」
ヘルガ嬢は怪訝な表情をしつつも、ユージンの言葉を遮らずに続く言葉を待っている。
「例えばですが……剣を持っていても、もう片方の物――例えばネックレスのような物がなければ、証としては成立しない、とかですね」
「!!」
だが、ユージンの続く言葉に表情が変わるヘルガ嬢。
その様子を横目でチラ、と見てからユージンはさらに口を開く。
「……恐らくですが、ネックレスと剣を持った状態で、剣を何らかの場所に捧げると、『ナニカ』が動くか、開くかもしれませんね」
「……貴方は……どこまでのことを……?」
震える声でそれだけ呟くヘルガ嬢。
だが、ユージンはそこでヘルガ嬢に向き直り、ニヤリと笑う。
「おや、今のは私の『独り言』、ですよ? どうかされましたか?」
「……! あら、そうでしたわね……」
ユージンの言葉に少しだけ頬を染めると、視線を逸らすヘルガ嬢。
そんな様子を見ながら、ユージンは手を組んで顔の前に持って来て告げる。
「――それで? 全く今の話とは関係がありませんが……何か『修理』を承りましょうか?」
◆ ◆ ◆
――数日後 ヴァルデクラフト辺境伯領都【ヴァルデバリー】
エレイン・フォン・アルトマン男爵は、領主館のとある広間にて、ある式典を始めようとしていた。
「お集まりの皆様、遥々ヴァルデバリーにお越しくださり、厚く感謝申し上げます。この式典は、新たなヴァルデクラフト辺境伯の就任のため、然るべき手順に基づいて――」
辺境伯家の中で、アルトマン男爵を推す家臣の一人が開会の口上を述べる。
それを、この式典に招かれたゲストたちは聞きながら、それぞれが立食パーティのような形で出されている食事に手を付けている。
「――よって、初代より申し送りされている手順に則り、この【継承の門】を開き、正当な後継者たるアルトマン男爵の領主就任を皆様に承認していただくものであります」
はっきり言えばここにいる貴族たちもその程度の事は理解している。
それこそ、ヴァルデクラフト辺境伯というのはかなり昔からフォルノポリス王国の国境を守ってきた家だ。
その領主就任の際の仕来りなど、貴族間では有名なことである。
アルトマン男爵は、口上を述べ上げた家臣を見ながらほくそ笑んだ。
(これで、私は一代官に過ぎない男爵風情から、王国の盾として知られる辺境伯になるのだ。父は成し遂げられなかったことを、今こそ、私が……!)
アルトマン男爵の父――つまりヴァルデクラフト辺境伯の兄は、側室の息子であったために年長者であるにもかかわらず領主になれなかった。
貴族籍にはあったものの、家臣からも見下され痛くプライドを傷つけられた父は、酒浸りになり、最終的には精神を病んで自殺。
当時アルトマン男爵自身は既に王都に出ており、そこで官僚試験を受けて法衣貴族となっていた。
つまりはエリート街道に乗ったのだが、父の死がどういうわけか周囲に漏れ、その理由まで知られたが故に王都に居づらくなり、辺境に戻るしかなくなったのだ。
(私を疎んじ、王都から追放した連中はどうするだろうな? この新たなヴァルデクラフト辺境伯の姿を見て……)
きっと、驚きと共に恐怖するだろう。
あの頃は自分を馬鹿にしてきた連中であろうと、今後はそうはいくまい。
そんな事を男爵は考えつつ、手元の【領主の剣】に目を落とす。
「さて……あの【
そう呟いてから、男爵は皆の前に姿を見せるのであった。
男爵が会場に姿を見せると、招待された貴族たちは一旦食事の手を止めて彼に注目する。
その視線の中、男爵は意気揚々と口を開いた。
「この度、私の招待に応じてくださった諸卿方、心より御礼申し上げます」
少々芝居がかった雰囲気ではあるが、それでもその洗練された振る舞いは皆の注意を引く。
そうして十分な視線が集まったのを確認しつつ、男爵はさらに言葉を続ける。
「早速ではございますが、こちらの【継承の門】……その解放を行いたいと思います。この門は、我が手元にあるこの【領主の剣】によってのみ開かれ、それこそがヴァルデクラフト辺境伯の後継者である証となるのです!」
高揚したように熱っぽく話す男爵は、その腰にある【領主の剣】を抜き放った。
「【領主の剣】……これは私の手に渡ったときには悲惨な姿で使う事が出来ない状態でした。しかし先日、我が辺境伯家でも有数の腕を持つ【
そう言った男爵は、剣に魔力を込めて言霊を叫ぶ。
『ヴァルデクラフトの後継者たる我、エイレン・フォン・アルトマンの名により宣言する――! 開け、【継承の門】よ!!』
そう男爵が叫んだ瞬間、【領主の剣】が魔力を帯びて光り、その魔力が【継承の門】に吸い込まれ――
――何も起きなかった。
◆ ◆ ◆
「なっ……!?」
アルトマン男爵は、目の前の状況が理解できなかった。
いや、理解を『拒んでいた』。
(何故だ!? 正しく私は宣言し、【領主の剣】を持って仕来り通りに行ったはず……!)
この仕来りについては、ヴァルデクラフト辺境伯家の一族の者なら誰でも知っていることだ。
継承権を――順位が低いとはいえ――持っているならば、自分がするかもしれない継承の儀式を学んでおくのは当然のこと。
故に、これが間違っているなどとは思えない。
そして、実際に間違ってはいないのだ。
継承に際し、【領主の剣】を抜いて魔力を込め、自分の名を含めた言霊を言えばいいのだから。
「くっ……もう一度だ、『ヴァルデクラフトの後継者たる我、エイレン・フォン・アルトマンの名により宣言する――! 開け、【継承の門】よ!!』」
再度継承のための言霊を口にし、魔力を込めた【領主の剣】を【継承の門】に向けるアルトマン男爵。
だが、何度行っても結果は変わらない。
『なんだ? 【継承の門】が開かんぞ?』
『まさか、継承者としてふさわしくないんじゃ?』
『男爵は、前の辺境伯の庶兄の息子なんだろ? 血筋に問題があるんじゃないか?』
周囲がざわめく。
それは、明らかにアルトマン男爵にとっては望んでいない言葉ばかり。
「……ど、どうやら、この問題は【領主の剣】に問題があるようです。依頼した【
そう言いながら剣を納める男爵。
しかし、招かれていた貴族は男爵に対して首を振った。
「おやおや男爵、先程は『有数の【
「……ヒンデミット伯爵、そうしたところで何かそちらに問題でも?」
「いえいえ、まさに貴族らしいと言いましょうか……それに、何か私が言いましたかな?」
「ぐ……」
明らかにヒンデミット伯爵は嫌味を言ってきている。
とはいえ、今はまだ正式に辺境伯でない以上、強くは出られない。
中央の法衣貴族であるヒンデミット伯爵は上級貴族、対して、アルトマン男爵はあくまで辺境の一代官でしかないのだから。
「いずれにせよ!」
アルトマン男爵は声を上げる。
「例え【
そう言ったアルトマン男爵。
周囲の貴族たちはなんとも言えない表情を男爵に向けるも、男爵の言葉は止まらない。
「――奴は恐らくあのヘルガに味方したのでしょう。貴族でなくなったにも関わらず、辺境伯家に楯突く愚か者を私は容赦しない!」
そう男爵が叫んだ瞬間。
――バアァン!!
大きな音を立てて開かれる会場の扉。
そして、その扉の向こうから現れたのは、美しいドレスに身を包んだ一人の女性。
「――あら、それは間違いですわ、アルトマン男爵。いえ、エイレン」
「ば、馬鹿な……!?」
その女性を見て、アルトマン男爵は後退りする。
まさかここに入ってくるとは思ってもみなかったその人物とは……
「皆様、お騒がせして申し訳ございません。ヴァルデクラフト辺境伯の継承の儀が行われるとのことでしたので、前ヴァルデクラフト辺境伯が一人娘、ヘルガ・フォン・ヴァルデクラフトが参上いたしましたわ」
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