出会いを否定するな
ある人に言われた言葉です。
「この人は酷い、そう思っても相手を否定しない事だよ」
「どうしてですか?酷いことをされたのに…」
「縁が有るから出会ったんだよ。それに『類は友を呼ぶ』…だよ。他人の否定は自分を否定することなんだ」
「………」
人を否定したくなることは生きていたら多々あると私は思います。勿論頻度は人それぞれですが。
人との別れと言うのも悲しいものです。理由のあるなしにも関わらず人が離れて行くのは。
兎も角今回は人を否定すべきではないと言うお話。
武田鉄矢さんのお母様のお話で身につまされる話がありました。『他人を指差して笑っているその手をみてご覧。残りの指は自分を指差して笑ってるたい』
確かに指差している手を見ると、折られた指が自分に向いていました。正しく他人の否定は自分を否定する行為であるという好例と思います。
先の方が続けます。
「自分を否定する事程悲しいことはないよ。今の自分が幾ら思い通りにならないからと言って、他人に原因を求めるのは」
こうも言われました。
「人は孤独なものなんだ。産まれる時も死ぬ時も一人。だからどのような出会いであれ大切にね。だけれども友人知人の多さは問題ではないんだ。それは仮初め。『同床異夢』だ。愛した人と同じ布団に寝ていても同じ夢を見る事は無いんだ。だから仮初め」
「人と比べる事もナンセンス。出来ることが違うんだから。それを当たり前と思いなさい」
私は怒りの人間です。理不尽だと思ったら怒り狂います。それを見越してのアドバイスだと私は理解しました。別の話でも書かせて頂きましたが、『怒りは己の脳を焼く』です。
怒ると前が見えなくなります。大陸の諺でも大きな角を持つヤギがマガキに引っ掛かります。だが怒りと同じく冷静でない為にマガキを押し引きして暴れることしかできない…怒りとはとても愚かな選択です。余計に人も遠ざかってしまいます。
如何でしょうか?私にあてられた言葉ではありますが同じく『怒り』『否定』『孤独』を抱える人には立派な『処方箋』足り得ると思い、綴らせて頂きました。
皆様が平穏無事に過ごされます様に…
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