第15話続、判官贔屓
判官贔屓。
兎角私は吉良上野介を贔屓してしまいます。
前の文でも色々申し立てましたが、様々な書物の切り貼りのカリカチュアなので歴史好きの方々からは…
数字が違う。自分の読んだ本ではこうだ。辻褄が合わないのではないか。贔屓に過ぎる…
そうお叱りのお言葉もあるかも知れません。
ですが御容赦ください。
源義経の話でも、義経は蝦夷地に逃れた…ですとか、大陸に渡りチンギスハンになった…等の浪漫もあるでは無いですか。
ですから吉良上野介にも贔屓にする人間が居る事を許して頂きたいのです…
続けて申しますと。
今回も判官贔屓。吉良上野介の話になります。
赤穂浪士や忠臣蔵がお好きな方は読むのをお勧め出来ませんので飛ばして頂くのが良いと思います。
赤穂浪士の討ち入りで、吉良上野介、ひいては浪士達の生涯も終わります。
上演される忠臣蔵が余りにも良くできていた為にどうしても配役に実像を擦り合わせて色眼鏡で見てしまいます。
その色眼鏡を一旦は外して眺めてみます。
松の廊下刃傷事件から赤穂浪士の討ち入り…が起こるにはかなりの年月があります。
何分資料ではなく記憶による書き出しの為年数や齟齬等は多目に見て頂けますと助かります。
赤穂浪士討ち入りの噂は浅野家取り潰しの時点ですぐに公の下に晒されました。
何分武辺者達が多い浪士ですから寸暇をおかずに吉良上野介の首をとりたかったので露見します。
ですが当時の吉良邸は江戸城本丸近くの要地にありましたからまわりには強大な大名家の屋敷。更には江戸城の堀の内側に吉良邸があるので番所も多く、とても討ち入り等出来ませんでした。
ですが大石内蔵助は圧力をかけ続けます。
自身は手向かう素振りは見せませんが浪士達は様々に吹聴して回ります。
(奴ら…本当に討ち入りを諦めていないのかも)
幕府は密偵等を使い監視もしていた様ですが、大石内蔵助の作戦が図に当たります。
火事と喧嘩は江戸の華
主君の仇討ち等は江戸っ子のかっこうの話題になります。
江戸雀達は盛んに、吉良上野介は賄賂をせびった。
喧嘩両成敗なのに吉良上野介は生きている。
お上の沙汰落ちだ。
江戸雀達は「判官贔屓」により、若き主君の仇を討とうとする浪士に心を寄せ、吉良上野介に対しては賄賂好きな老人…と噂しました。
すると幕府は吉良上野介に屋敷を明け渡す様に迫ります。
そうして吉良上野介は江戸の外れの閑居に屋敷を建てねばならなくなります。
江戸幕府も真逆討ち入りを江戸っ子達が求め始め、吉良上野介を庇うと人心が離れるとなると態度が変わります。
浪士達への監視も弱まり、逆に吉良に対しては「是非とも討ち入り」して下さいとばかりに僻地に屋敷の普請をさせました。
正に大石内蔵助の長期作戦が幕府と江戸っ子を味方につけました。
吉良上野介は二千石余の小身。屋敷を普請するのに苦労します。
そこに唯一の味方。
自身の息子が藩主の上杉家が支援をします。
護衛の武士を寄越したり、普請に費えを出したり。
上杉家は家格は高いのですが、十五万石の小大名であったので新しい吉良邸とはあまり距離は離れておらず、やり取りが行われた様です。
では上杉家は完全な吉良上野介の「味方」か…
そうはなりませんでした。
吉良上野介の息子が藩主になる前のお家騒動もあり、存続は許されたのですが幕府から領地半分を召し上げられ三十万石から十五万石に削減されています。
それを上杉家家中の者達は。
吉良が上杉家を乗っ取る為にお上に讒言したので領地を召し上げられたのだ…
そう逆恨みされていたようです。
吉良からしてみれば、小さな大名家を乗っ取るより大きな大名家に影響力を持つ方が得だと思うのですが…
更には藩主になった吉良の息子は病弱でよく臥せります。
そこに吉良家を継がせる為に孫を吉良家へ「養子」として送る事になっていたので、上杉家家中は、後継ぎを「人質」としてとられた…とも考えたとか。
吉良上野介に落ち度はないのですが、全てが裏目裏目に出てしまいます。
その裏目が赤穂浪士の付け入るスキでした。
盛んに討ち入りの噂を流し、上杉家から吉良家へ武士の貸し出しを増やし、不満を募らせます。
上杉家はそれにより、何故にすぐに死ぬ老人を守らねばならぬのだ…と段々と嫌がります。
そして人数は居るが、吉良邸には簡単に出入り出来る様になっていきます。
浪士達は物売りに変装したりして吉良邸を探れる様になりました。
吉良家は高家ですので、無役と言えどもいつお呼びが掛かっても良い様にと茶の湯や芸事の鍛錬は怠っていませんでした。
ですので、茶菓子や芸事の道具売りに化けれます。
思いますに、吉良上野介は浪士の変装を見抜いていたと思います。
普段来ていた商人に代わり、浪士に協力した菓子店が浪士を菓子売りに仕立てて送り込む。
道具屋もしかり。
そこで吉良上野介は、長く付き合っていた店(たな)からも縁を切られたと分かったと思います。
ですが吉良上野介は浪士の「義心」に賭けた…
敵の「情け」を信じようとしたのだと思います。
ですからその怪しい物売りを断りもしませんでしたし、応対もまだ子供の見習い茶坊主に任せたりして誼を通じさせようとしました。
そこでまた吉良上野介に不運が襲いかかります。
息子である上杉家藩主が病の床に臥します。
そうなりますと、上杉家から来ていた護衛の武士も引き上げます。
ですが吉良上野介はこの事を「利用」しようと考えていた節があります。
息子の病気見舞いで、お供も満足に連れずに籠に乗って無防備に何度も上杉屋敷に通うのです。
もし皆様ならどうでしょうか?
自分が確実に命を狙われているのに、逃げるに良い乗馬をせずに、逃げるに悪い籠に乗って往来を行く…
並の神経ではその死への恐怖に勝てずにお供をズラリと並べるか屋敷に籠もると思うのです。
ですから吉良は浪士の「情け」にすがろうとしたのだと思います。
何も屋敷に討ち入らずともこの首はこの道でとればよい。
逃げはしない。
吉良は自分だけが討伐される事で皆を守ろうとしたのだと思います。
ですが浪士には「情け」はありませんでした。
討ち入りの日直前。
やっと吉良の孫が元服し、幕府から役職を貰う事になります。
そこで吉良は幕府に、世話になった人々を招いて酒宴を開きたいと願い出ます。
ですが幕府はそれを却下します。
それではと吉良は茶会だけでも…と頭を下げました。
孫の門出…そして恐らく自分がもう討ち取られる覚悟があった為に、まだ音信のある人々に死出の顔見世。それと孫を贔屓にして貰える様にとの最後の願いでした。
吉良の低頭の願いは聞き入れられ、茶会は許されました。
そして茶席で、茶と料理を客人に振る舞い。
「どうか孫を宜しくお願い致します」
その場で人々に願いました。
客人が帰った後に、家中にも酒を許します。
孫の行く末は「安泰」になったから皆も楽にして欲しい。
吉良上野介の真心でした。
ですがその「真心」は最悪の形に結実します。
先に幕府に茶会の願いを出していたのを浪士が聞きつけ、大石内蔵助はその茶会の夜に「討ち入り」決行を決めました。
その日は講談とは違い雪は降っていなかったとか。
しずしずと赤穂浪士四十七士が「完全武装」で吉良邸を囲みます。
その武装振りは甲冑の下に鎖帷子。武器も血糊で鈍るのを想定して複数所持。
この武装振りで彼等が「皆殺し」を望んでいるのが分かります。
大石内蔵助は「誰一人討死させない為の武装」と言いますが…
そして討ち入りです。
内部を見知った者達が内側から門を開けて浪士達がなだれ込みます。
図面も入手していた様です。
ですから先ず吉良上野介の寝所に迫ります。
ですが肌衣のみでしたが吉良家の武士が討ち入りを知らせ立ちはだかるので吉良の寝所はもぬけの殻でした。
そこで講談でも有名な、布団を触り「まだ温かい」
吉良上野介は屋敷にいる筈と、皆殺しが始まります。
吉良上野介がいないとなると次は後継ぎの孫の寝所に押し入ります。
吉良の孫は寝所に大太刀を掲げていて、その長刀を抜き放ち寝間着のまま応戦します。
相手は完全武装の浪士三人。
怯む事無く長刀を振るっていますと、吉良家家中の臣が。
「若はどうかお逃げ下さいます様に!」
と言い浪士に掛かります。孫は「武士は逃げぬ」と留まろうとしますが他の駆け付けた家臣からも「若が無事であることが上野介様の願いです!」と重ねて言うので、自身で攻め手の薄い箇所に切入り吉良邸を逃れます。
講談でも語られていますが、吉良家の家臣は肌衣に刀を下げている程度でしたが、中には浪士を押しまくり最後は腹を槍で縫い留められながらも最後迄刀を振るい味方を鼓舞した侍。
槍を手に複数の浪士に善戦した侍…
講談を盛り上げる為の存在でしょうか?
もし吉良上野介が真に「黒い」人であったなら家臣は我先に逃げ出したでしょう。
ですが、彼等は忠臣蔵でも隠れなく吉良上野介に忠義を見せます。
方や赤穂浪士は。
血判をしたにも関わらず、貧乏暮らしに耐えきれず「抜ける」浪士も多かったとか。
一体、浅野内匠頭と吉良上野介…どちらが真の殿様か…
忠臣蔵では吉良上野介は卑怯にも一人隠れていて、最後に引き摺り出され首をはねられます。
では忠臣蔵から抜け出た「生身」の吉良上野介は。
吉良上野介は家臣から隠れる様に勧められ、台所に身を隠します。
はい。実際にも「隠れて」いました。
そこに浪士が捜索に来ます。
台所の隅に吉良上野介は居ました。
「すわ、何者か!」
浪士が改めると、その「何者」かは台所の鍋や食器を投げながら脇差しを抜き放ち、浪士に斬りかかります。
浪士二人でも押しまくられる程の鬼気迫る武者振り。
浪士が応援を求めます。
そこに灯りをもった援軍が駆けつけ、その「何者」かを改めると。
額に刀傷の老人。
そうです。
吉良上野介義央でした。
浪士達は吉良の発見に勇立ち刀で襲いかかりますが、吉良は台所の配置が分かるので存分に地の利を活かして脇差しを振るいます。
囲まれて四方から襲われても吉良は倒れるどころか躍りかかり浪士の首を狙います。
ですが…悲しいかな。
吉良の脇差しは何度も刃を重ね、鎧に当たった為に「簓の如く」ボロボロで首をとることが叶いませんでした。
そして浪士も刀では不味いと判断し獲物を槍に替えて吉良を刺し貫きます。
はい。
史実の吉良は浅野内匠頭と対照的であります。
浅野内匠頭は有利な状態で刀を抜いたにも関わらず吉良を討てませんでした。
浅野内匠頭は武辺者を好みましたが自身の腕前は並以下でした。
対する吉良上野介は。
松の廊下で「逃げ出した」と言われて、腰抜けや弓矢の摂れない老人…とされましたが。
完全武装の浪士に囲まれても、斬られても突かれても決して倒れず最後迄その武辺を知らしめました。
吉良はどうしてそうまであらがったのか。
先に私は言いました。
吉良は単身籠に乗り、討たれても構わないと思っていたのでは…ないかと。
ですが事討ち入りになってしまっては、「跡取りの孫」を逃がす事が吉良の唯一の願いだったのではないかと思います。
吉良は恐らく逃げる様に家臣に言われたでしょう。
ですが、自分如き無役の老人よりもお披露目をした孫を逃がすべきだ…と。
吉良上野介は高家筆頭として礼節にだけ注力していても困らない筈でした。
ですが吉良の血がそれを良しとはしません。
何せ室町幕府足利の一門。弓矢の忠義も心得ています。ですから跡取りの孫も寝所に大太刀を据えて、自身で浪士達と切り結び、挙げ句単身の脱出迄果たす。
正に知勇兼備を尊しとしたのでしょう。
そして討たれんとする吉良は浪士達にまたも裏切られます。
敵であるから裏切るにはならないかも知れませんが…
浪士の扮した物売りに子供の見習い茶坊主をあたらせていたにも関わらず。
浪士達は恐怖に震える子供を布団に押し込め、刀と槍で子供達を皆殺しにしていました。
更には吉良家と言うだけで、無抵抗の者迄我先に討ち取り。
小屋に詰めていた武士達が出てこない様に小屋の戸口を釘で打ち付けて閉じ込め、逆らうなら「焼く」と、抵抗を封じていました。
吉良の耳には…子供達の泣き叫ぶ声が聴こえていたかも知れません。
それだけでも…無念だったでしょう。
更には暗がりの筈の庭が明るく照らされている。
討ち取りの物音を隣屋敷の者が聞きつけ、浪士に「何事か」と問うと。
大石内蔵助が、「酔っぱらいが暴れております。お騒がせ致す」
すると隣屋敷の者は討ち入りと知ってか知らずか、「お困りであろう。当家が灯りをお出しする」
そう言って隣屋敷は討ち入りを通報するどころか助けたそうです。
きっとその灯りも鮮烈に吉良の眼に焼き付いたでしょう…
そこで吉良は首をとられ命を落とします。
そこからは講談が詳しいですが、浪士が討ち入りから墓参り等を行っていると。
木戸番小屋から番人が出て来て「ご本懐を遂げられた様です。是非とも茶を馳走させて貰いたい。我等の誉れと致す」
なんと道中茶も馳走になっていたそうです。
そして幕府は投降した浪士を大名屋敷預かりとして一ヶ月半程の後に切腹となりました。
何故浪士達はこれ程討ち入りに拘ったのか。
吉良が単身の時を狙っても良いのではないか?
後世の研究ですと。浪士達の討ち入りは派手に行われなければならなかった。
彼等は武勇を示す事で「忠義」を皮切りに「士官先」を探していた…と。
証左に、何故切腹迄一ヶ月半程もかかったのか。
それは大名達が浪士を召し抱えたいと幕府に嘆願していたからだそうで。
そこまでは大石内蔵助の掌中でした。
ですが、幕府はここで赦しては第二第三の討ち入りが起こると危惧して、罪人の打首ではなく、名誉の切腹として幕を下ろした…様です。
対する討ち入り後の吉良邸ですが、検分の役人以外にも野次馬が大量に湧きます。
塀に登ったり、役人の目を盗んで屋敷に入ったり。
そして無惨な死人を前に江戸雀達は「吉良に侍は一人も無し、鎧兜も何処へやら」と言う様な狂歌も歌います。
実際に鎧兜の侍は一人も居ませんでした。
多くが肌衣で無抵抗に斬られ、抵抗した者の遺体はもう集団私刑をされた様です。
役人も「無様」と吉良を嘲笑います。
更には討ち入り後、すぐに大当りする「忠臣蔵」の影響力は絶大で、わざわざ吉良上野介の墓まで旅をして墓石に小便を引っ掛けると言う事が流行ります。
ですが、中には心ある人も居ました。
松の廊下の時に吉良を介抱していた御典医です。
その御典医は浪士捕縛の後に吉良上野介の首を貰い受け、首の無くなった吉良の亡骸に首を縫い付け「五体満足」の状態にして荼毘に伏しました。
もう江戸中忠臣蔵だらけ。
吉良を心配していた人達は表も歩けない中でのその御典医の行動は正に「憐れ」を誘うものですね。
そして喧嘩両成敗。
逃れて保護されていた吉良上野介の孫は。
「武士たる者が刀も交えぬうちに家中、ひいては祖父を見捨てて逃げた事、許し難し」
と沙汰を下され。
諏訪藩預かりとなり。
浪士贔屓の世の中。満足な食事も無く、牢から出されず、衣服も薄い肌衣一枚のみで、諏訪の厳しい寒さに身体を壊し…
預かり三年程で獄死。
こうして吉良上野介の吉良家は断絶しました。
彼の持っていた大太刀には戦傷はあった筈です。
幕府には刀を司る本阿弥家も居ます。
彼が武士道に悖る臆病者かどうかは一目で分かった筈です。
ですが幕府は跡取りを獄死させる道を選びました。
五代将軍綱吉公は先駆けて生類憐れみの令を発布した将軍でしたが、この事に関しては「憐れ」とは思わかなった様です。
すみません。駆け足で思いのたけを書き殴ってしまいました。
判官贔屓とは言いますが。「人気」のあるモノにはそれに害された者が必ず居ます。
今の世の中探さなくても、会社の尻尾切り。濡衣。謂れなき差別。迫害。上げればきりがありません。
私も忠臣蔵世代。吉良上野介を悪者とするのが一番批判もされず座りの良いものです。
ですが、そこを曲げて…今回判官贔屓を披瀝させて頂きました。
読まれた方は、「お前も所詮は同じ穴の狢だよ」と思われると思います。
その通りです。判官贔屓している事に違いはありませんから。
忠臣蔵がお好きな方には嫌な気持ちにさせたかも知れません。
ですが、色々事には多角的見方が必要と思います。
私の贔屓に付き合って頂きました事、有り難く思います。
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