第14話判官贔屓
判官贔屓
日本人は兎角、弱い立場の者の境遇に憐れを感じて応援してしまう。と言う意味でしょうか。
この四字熟語は源九郎判官義経…が始まりと言います。
義経の位が判官(ほうがん、転じてはんがん)であったので、判官を贔屓する…
わかり易いですね。
簡単に申しますと、源義経が平家を打倒したにも関わらず、兄の源頼朝に疎まれて討伐軍を差し向けられ最後は奥州平泉で最後を遂げる…
そこに憐れと浪漫を人々が求めたので判官贔屓と言う言葉が生まれた。
人は自分に関係の無い話であれば憐れを寄せやすいですね。
自分の敵が弱っていたなら攻めますが。
吉良上野介義央
彼の事は皆様どう思っていらっしゃいますか?
漢字だけで誰だか分からない?
かもしれません。
吉良上野介義央(よしなか)
は、昔はよく年末に放送された「忠臣蔵」での悪役です。
一般の忠臣蔵の粗筋ですと。
若き俊英浅野内匠頭長矩が、幕府の饗応役に任じられて、それを指導するのが高家筆頭の吉良上野介義央。
吉良は事ある毎に浅野内匠頭を虐めます。虐めの理由に挙げられるのが、吉良家の領地に塩田があり、浅野家が吉良家から塩造りを学び自家で塩田を開き、結果として吉良家への打撃となった…いや、これよりわかり易いのは、「賄賂」が貰えなかったから。
その虐めが「賄賂」の有無で発生したと言われるので、浅野内匠頭は清廉潔白、吉良上野介は黒い…とされます。
そして江戸城松の廊下での決定的な事件。
「昨日の遺恨!覚えたるか!」
浅野内匠頭が刀を抜いて吉良上野介の額を割ります。
そして背を向けて逃げようとする吉良の背中にも一太刀浴びせ…
居合わせた者に取り押さえられ…
即日切腹となる…
喧嘩両成敗を訴えるも吉良は「賄賂」を使い処罰を免れます。
浅野家はそれに憤慨。武闘派の多かった浅野家は城の明け渡し迄戦か開城かで揉めます。
そこに有名な後の赤穂浪士を率いる家老、大石内蔵助良雄が現れて奔走します。
結果、浅野家の親族に家を継いでもらう事で家中は落ち着きますが、いくら待っても幕府から許可が下りず、お家取り潰しに。
その際国には二人家老が居ましたが、一人は逃げ、一人残った家老が「大石」。大石内蔵助は金蔵を開き、異例の退職金を払います。
そして、それでも仇を討ちたい武闘派を纏め、血判署名をして無血開城を成し遂げた…
それにより大石内蔵助は浅野内匠頭の俊英、清廉潔白を引き継ぎ、見事忠臣蔵の主役となります。
あとは流れ流れて、雪の降りしきる中に、武装した赤穂浪士四十七士を率いて吉良邸に討ち入り。
自分は戦わずに卑怯にも隠れていた吉良上野介を見つけ、額の傷を検めて。
「吉良殿、腹を召されい」
吉良は臆病で切腹が出来ません。
そこで浪士の一人が首をはねて、それを白布で包み長槍の先に結び担ぎ、四十七士は誰一人死ぬ事はなく、浅野内匠頭の墓前に吉良の首を供えて。
「殿のご無念、ここに晴らされたり」
あとは幕府預かりとなり、1ヶ月程の猶予の後に全員切腹となり…
赤穂浪士四十七士は最も苛烈に武士の忠義を尽くした義人…
そうして現代迄伝わりました。
私は子供の頃、今もですが時代劇は大好きです。
年末の忠臣蔵も家族で見ていました。
ですが私の中の「判官贔屓」が年々首をもたげます。
本当に弱く、追い詰められていたのは浅野か、浪士か…それとも吉良なのか?
図書館に通い、様々な記述を読みました。
しばし私の判官贔屓にお付き合い下さい。
長くなる事と、忠臣蔵がお好きな方はご立腹されると思いますので、この話は飛ばされるのをお勧めします。
吉良と浅野の関係。
吉良と浅野は初対面ではありませんでした。
事件の十年程前の浅野が若殿だった頃に初めて幕府から饗応役に任じられ、初めてで作法も分からぬとの事で高家筆頭の吉良上野介が指導役になります。
よく聞く高家筆頭とは。
徳川幕府はまだ朝廷とのやり取りに不備もあり、故に古式典礼に詳しい貴人の力を借りていました。
吉良家等は。足利が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ…と言われる古くから室町幕府中枢に近い家柄で、朝廷との折衝が出来たので、古式典礼の貴人の筆頭として吉良が第一とされました。
ですから、不案内の浅野内匠頭の指導役を任されます。
そしてまだ礼節に厚い家老が付いていたので、吉良上野介に指導料として贈り物を届けました。
吉良は元々幕府から信頼されて指導役になっていたので、その贈り物も丁寧に受け取ります。幕府も高家が指導料を受ける事は認めていました。
高家筆頭と言えども、所領は二千石余り。大身の旗本より身は小さいのです。
ですがみすぼらしくは出来ないので古式に倣った官服を着ます。
一度目は無事に終わりました。
吉良上野介としても自身の失敗は幕府の権威失墜を意味しますから手抜かりは出来ません。浅野内匠頭にも技術を開きました。
ですが…
ここに初めの「問題」が潜んでいました。
浅野内匠頭の性格は清廉潔白と言われますが、反面血気盛んで、武辺者を大切にして事務方や儀式を行う者に対しては敬意を払えない人物だった様です。
もう徳川幕府五代…天下泰平と言っても良い時期です。
ですが浅野家は時代に逆行するが如く、政務より武辺を尊び、浅野内匠頭の人物収集癖もあいまり、石高に見合わぬ家臣を抱えて、領民に重税を課して過ごしていました。
はい。浅野内匠頭は吉良上野介を「指導役」と認めていなかったのです。
先にも申しましたが、「礼節に厚い家老」が若殿に代わり指導料の渡しをしています。
浅野内匠頭からすれば、弓矢も摂れない二千石の老人でしか吉良上野介はありませんでした。
そして事件の起こる二回目の饗応役の時に浅野内匠頭は吉良上野介に指導料として。
藁で縛った鰹節三節…を置いて去ります。
浅野内匠頭は吉良上野介を益々侮り、指導料にもそれが表れています。
はい。「賄賂」ではなく「指導料」です。
特別な技術を短期間で教えを請う訳ですから料は発生します。
因みに、一回目の饗応役、事件の時でもある二回目の饗応役も浅野内匠頭のみならず他にも饗応役の大名はついています。
「問題」は一回目の饗応役で浅野内匠頭が吉良上野介に従うのを「屈辱」と感じた事です。
事件の饗応役の時もそれが如実に表れます。
その時折悪しく、急に朝廷の使者の到着が早まったりして宿所の改めをせねばならず、吉良上野介と饗応役は奔走します。畳の総入れ替えや季節柄寒いので暖をとれる様に手配したり…
浅野内匠頭は一回目に習ったと思いこんでいたので、その急な変更を吉良上野介が自分を陥れようとしている…と感じていた様です。
ですが浅野内匠頭は吉良上野介に聞きません。
もう一人の饗応役は吉良上野介にきちんと確認を取っていたので手抜かりはありませんでしたが、浅野内匠頭の受け持ちは散々でした。そこで吉良上野介は浅野内匠頭を「叱る」事になります。
浅野内匠頭は益々「恨み」を募らせました。
さらに吉良上野介は高齢の為に風邪を召して、一時指導役から外れたそうです。
そこで浅野内匠頭は仮病だと思い益々恨みを募らせます。
ですがもう一人は吉良上野介から引き継ぎを受けていたので困りませんでした。
吉良上野介も自分の風邪で饗応に穴を開ける訳にはいきませんからそこはきちんと手順を残したのです。
浅野内匠頭は朋輩も下に見ていました。
ですので同じ饗応役なのに何でアイツは仕事してるんだ…
そうか。「賄賂」か!
浅野内匠頭は早合点しました。
本来なら朋輩に吉良上野介からの手順を確認すれば問題は無かったのですが…
そして回復した吉良上野介が登城して再び指導役になった時に。
「昨日の遺恨!覚えたるか!」
松の廊下の刃傷事件です。
ですがここでも浅野内匠頭は馬脚を現します。
至近距離で刀で斬りつけたのに吉良上野介を殺せなかったのです。
更には刀を抜いていたにも関わらず、たった一人の無刀の武士に取り押さえられます。
典型的な激情型の犯行です。
そして即日切腹。
切腹に際しても浅野内匠頭は冷静ではなく、何も喋らなかったので将軍の怒りを買い…切腹…
講談では弁解をしない浅野内匠頭を清廉潔白と解釈しますが、史実としては将軍の詮議を拒否したのは…どうか…
更には浅野内匠頭の叔父にあたる人物も重要な儀式の最中に乱心し、刀を振り回す刃傷事件を起こしており、切腹しています。血筋がそうさせたのか…分かりませんが。
これも吉良上野介が讒言したから即日切腹になったのだ!
ではなく…
吉良上野介はもう高齢でした。
額を割られ、背中も斬られた彼は出血と身体の弱りもあってその日から一日生死の境を彷徨っていて意識も無く、松の廊下の側の部屋で将軍の御典医がつきっきりで介抱していました。
ですから吉良上野介が将軍に讒言する事は不可能だったのです。
意識を取り戻した吉良上野介は、浅野内匠頭が昨日切腹になった事を知って悲しんだそうです。
そして喧嘩両成敗と決まっているからとその場で御沙汰を待ちます。
ですが、将軍からは「そちに手抜かりはなく、生死の境迄彷徨ったものにこれ以上は沙汰はない」として命は助けられます。
ですが喧嘩両成敗。
吉良上野介は隠居となり、後継ぎの孫が元服する迄は無役として過ごす事になります。因みに後継ぎが孫なのは、吉良上野介の正室の実家である上杉家に後継ぎが無く、お家取り潰しになりそうなのを上杉家から助けを求められて上杉の血を引く息子を上杉家にとられる形になったからです。ですがこのままだと吉良家が絶えるので、孫が産まれたら吉良家の跡取りに…との約束で孫を引き取り養育していました。
無役とは役職の無い立場。武士としては屈辱でもあります。吉良上野介は十分に成敗を受けていました。
変わって浅野家ですが。
先にも述べた通り、家中には事務方が殆ど居らず、殿のお気に入りの武辺者が幅をきかせていました。
ですから家中は戦、戦、の合戦一辺倒になります。
そこで世襲家老の大石内蔵助が浅野内匠頭の親族を迎える手配をしたりしました。
ですが一向に幕府からの返事は無く、お流れになります。
そして大石内蔵助の慈悲深さを表す「金蔵開き」を行い、下は足軽に至る迄に退職の金子を渡して無血開城するのですが…
本来ですと、お家おとりつぶしの時点で藩の金蔵は公のものとなりますので大石内蔵助は公金横領となります。
更には身内と言える武士には金子を出しますが、領民への保証には金子は出しませんでした。
大石内蔵助も領民には冷たかったのです。
ですので浅野家が領地から出て行くと、領民は悲しむどころか祭りを開き、餅をついて祝ったと伝わります。
税も五公五民でも高い時代。幕府も当時は四公六民の税率でしたが。浅野家は六公四民と高税でした。
更には塩田での過酷な労働。
街にはいつ暴れるか分からない武辺者の武士がわんさか…典型的な恐怖政治でした。
では吉良上野介は。
吉良上野介は二千石余りの領地を見回るにも赤馬(駑馬、駄馬と言われる役立たない馬。生き物にそんなレッテルは良くありませんが、今で言うなら中古の軽四ですかね)に乗りゆっくり自ら見回り、領民も心を許して何事も問題が起こると吉良上野介を頼ったそうです。
浅野家の家中の説明より…完結に済んでしまいました…
兎に角慕われた「オラとこの殿様」でした。
吉良家と浅野家は塩田で仲が悪かったと書かれる書物も有りますが、実際には吉良上野介の領地には塩田はありません。
本当に特産の無い鄙びた土地だった様です。
塩田は付近の別の吉良家が持っていた様ですが。
ここまで書きましたが…
これを真実とするならば。
浅野内匠頭は暴君。吉良上野介は名君と言わなくても良君ではあると思います。
ここから私の判官贔屓は加速して参ります。
次も吉良上野介の話を書こうと思いますので…
ここまで読まれてご不快になられた方々は次も飛ばされるのが良いと思います。
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