第10話だいこん昔話
「このだいこん役者!」
こう言われた事がありました。
ご存知の通りのだいこん役者。
説明は省きますね。兎に角言われたら悲しいですが、どこか愛嬌のあるお叱りの言葉ですよね。
この様に日本にはだいこんに関しての言葉がある位だいこんは身近な野菜でした。
私は好物ですらあります。
だいこんを炊いている時のあの匂いだけでお腹が鳴りますから。
そして全国津々浦々に独自のだいこんが存在します。
まるで細い蛇の様な守口大根。その姿が小さなねずみに見えるねずみ大根。太く瑞々しい源助大根。
少し探すだけで見つかります。
更に興味深いのが、昔の大英帝国の船乗りが大根を知っていた事です。
江戸時代の伝えですと、江戸の近くに救助を求める大英帝国の船が近寄りました。
もう外国を無視できなくなっていた時代。
幕府は特例でその大英帝国船籍の船を入港させました。水、食料、燃料の補給の為です。
そうしましたら接岸された船から乗組員達がどっと降りてきて、近隣にあった畑に飛び込みます。
そう。
お目当ては「だいこん」
彼等は見知らぬ土地で生水を飲む事の危険性や、船で真水を長時間保管できない事もあり、水分を多く含んだ大根が水筒代わりでした。
そして船乗り達は大根を引抜いて齧りながら溢れる水分を手にとって顔を洗う様に水分をこすりつけました。
何故彼等は大根を知っていたのか…
大英帝国にも似た野菜はある様ですが、船乗り達は口を揃えて。
「日本のナーボ(大根)が一番美味い!」
そう言ったそうです。
当時の航海は命懸け。
ですから特技が必要です。
例えば密入国。
公には開国していない日本でしたので、近海によった船乗り達が小舟で夜間に乗り付けて大根を「失敬」した事もあった様です。
そして船乗りネットワークで瞬く間に日本の大根の美味さが伝わった様です。
時は現代に近くなりますが。
日本から開拓移民が南米に入植した時です。
移民達は土地を開墾しながら野菜等を作り、売っていました。
ですが、日本から持ってきた野菜は馴染みがなく特に大根は不遇でした。
それはそうですよね。齧れば辛い白い根っこ。
現地の人達は見向きもしませんでした。
ですが不思議な巡り合せ。
そこに大英帝国の人達が立ち寄りました。
そして大根を手に取り。
「ナーボ、ナーボ」
と言って大根を沢山買ってくれたそうです。
それを見た現地の人達は驚いて大根を買うようになったそうです。
結果として船乗りの「失敬」が、日本からの移民達の口を一時的にですが潤したそうです。
やはり持ちつ持たれつ…ですね。
では海外からまた日本のお話に。
時として、大根はお嫁さんの力量を測る野菜にもなりました。
昭和の時代迄は、大根一本から七つの料理を作れる嫁が欲しい。
そんな時代でした。
私も好物なので葉付きの大根一本から料理をします。
大根の葉は塩もみして、菜飯に。
皮は厚めに剥いて細切にし、きんぴらに。
大根の身は根元側、中間、頭側の三等分にして。
根元は繊維が強く辛味も出やすいのでおろしに。
中間は炊き物に。
頭側は甘みも他より強いので、味噌田楽も良いかもしれません。
あれ…五つですね。
お嫁さんにはなれそうにありません。
その残り二つはその嫁ぎ先の味や、実家の味になり、そうすると七つ…に、なると思います。
古くは大根と書いて「おおね」とも呼びました。
昔は税の一つとして献上もされていたと昔の税の記録にも記載があります。
更に今でもだいこんは、神社に奉納されているのをニュース等で見る事が出来ます。
だいこんは、神様もお好きなんですね。
そしてだいこんは、春の七草、すずしろです。
せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ、春の七草。
昔は新鮮な野菜は貴重でもありました。
だいこんは野辺にもあり、厳しい冬を支える柱の野菜であり。
春を告げる七草にも名前の載る「有名人」です。
身近な野菜から歴史の香りも楽しめたとしたら、心にも潤いが生まれるかもしれませんね。
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