第7話古い本、新しい本
皆様は読書はされますか?
ごめんなさい。
十分な読書家でしたね。
この様な独り言迄、お読みになっていらっしゃる位ですから…
では、本屋さんには通われますか?
古本屋さんは通われますか?
そうしましたら、多分こういった経験も愛読家様ならされていると思います。
新しく買った本の内容が以前買った本の内容と被った…
もしくは、同じ題材なのにちぐはぐな内容だった。
もしくは乱丁ですとか。
乱丁は今では珍しいので、蔵書家なら出会ったら保管して置くという方も居るかもしれませんね。
では。
同じ題材の本、同じタイトルの本が有ります。
作者さんは別で、一方は古書。一方は今日発売されたばかりの新書。
そして、同じ題材で、同じタイトルでありながら内容は違っています。
そうしますと。
新書を大切にされますか?
古書は古い常識だから、新しい情報のインプットとして新品を取りますか?
それとも…もしかして…古書「も」大切にされますか?
私ですと、内容がどうして違ってしまったのか…
と、そう考えてしまいます。
本屋さんに行きました。新書コーナーです。
そこで、私の目にとまったのは流行りでもありました「禅」の手引書。
禅の用語を解説している本でした。
著者名からするとお坊さんが著した本の様でした。
私も自身の蔵書で、禅を扱った本を持っていたので何気なく手に取りました。
私の好きな禅語は「破草鞋」です。
破草鞋と書いて「はそうあい」と読みます。
新書にも破草鞋が引かれていて、少し嬉しくなりその頁に飛びました。
新書の内容はこうでした。
あなたは破れた草鞋の様に擦り切れるまで良く頑張っていらっしゃいます。ですからどうか一旦頑張るのを止めて、自分を褒めてあげて下さい。
そう言った旨を書かれておられました。
私の好きな破草鞋ですと。
自分が蓄えてきた知識や財産は破れた草鞋の様に無用の物である。だからこそ決然と己を投げうち、本当の無用の用、本当の無知の知がある事を理解して執着を捨てよ。
簡略に書きますとこうですね。
そうなのです。内容が全く違います。
では…どうして違っているのか…
まずは作者様です。
新書はお坊さんの様ですが、平成の新書なのでお若い方なのかと。
一方蔵書ですと。著者は大正から昭和にかけて座禅に取り組まれた方で、きちんと自身の号や、どの老子に師事されたか迄事細かに書かれておりました。
では、経歴が立派だから蔵書を支持するべきか…
新書は嘘をついていたのか…
「私」はどちらも正しいと思います。
あくまで、「私」はです。
教えの中には、北風と太陽の様に切っても切れないものがあります。
学校でもそうです。小学一年生に大学の講義をしてしまうのは…辛いですよね。
ですが、まず大きな学びがある事を教えてから、小さな学び…小学一年生にもわかる学びを教えると思います。
そして果には小学一年生が大人になっても不自由が無い様にと先達は気を配ります。
はい。破草鞋です。
新書は今現在苦しんで救いを求めている方々への気遣いとも取れます。
ですが、気遣いばかりで禅宗が伝えて来られた悟りへの道筋迄引かないのは…嘘とも取れます。
昭和に出された私の手元にある蔵書ですと。
破草鞋のお話にも、昔の雲水は破れた草鞋も刻んで壁の補修に使いましたし、肥料にも使いました。と、当時の生活感も感じさせるふみを載せて下さっていて、厳しくもとてもあたたかい気持ちにさせられます。
そうです。北風と太陽なのです。厳しさと優しさの両方を著す側はわきまえねばいけないのかもしれません。
蛇足駄文ですが。
お医者さんが言っていました。
今日発売された新書だとしても、その内容は3年は遅れているそうです。
わかり易い話ですと、週刊漫画雑誌の連載漫画の単行本ですね。
単行本の内容は半年は遅れていますよね?
先に掲載雑誌に公開されていますから。
ですから愛読家、読書家の皆様も、今は古の古今伝授の時と思われてご自身で一度編纂をしてみるのも面白いかも知れませんね。
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