第2話 もっと強くなりたい
ここは、地球の東方にある、日出ずる国であった。
この国の首都より、電車で一時間ほどの所にある幸福駅を降り、駅前の大通りをしばらく歩いて行き、信号機のある交差点を左側に曲がり、二つ目の通りを右に入ると百メートル程の距離がアーケードになっていた。
アーケードの入り口には銀色のアーチ形のポールに幸福二番通り商店街と書かれた看板が吊り下げられてあった。
この通りは、以前は栄えた商店街であったが、駅前に出来た大型ショッピングセンターに買い物客が集まるようになり、商店街は寂れてしまい今では開業している商店は半分以下になってしまっていた。
この通りを過ぎると住宅が密集していた。その住宅街の中ほどの路地を右に入った二軒目に、二階建ての古い木造の家があった。二階には広いバルコニーのある家で、その辺りでは大きな家であった。
この家に、この物語の主人公のトンタと言われている男の子が住んでいた。
真夏のある夜のことであった。
その夜は風ひとつ無く蒸し暑かった。
時刻は十一時を過ぎ、住宅街は明かりを消し眠りについていた。
トンタは二階の自分の部屋のベッドで、仰向けになり大の字に寝ころんでいた。
トンタの右側の頬には大きな四角形のガーゼがテープで貼られており、そのガーゼの端から擦り傷が少しはみ出しており、見るからに痛々しかった。
身体のどこかが痛いのか、痛い所をかばうように左側の手と足をぎこちなくゆっくりと動かした。 左腕の肘と左足の膝にも四角形のガーゼが貼られていた。
しばらくすると、左腕の肘と左足の膝をかばうようにして腹ばいになると、右手の手のひらをあごの下に持って行き、肘をベッドに立て上半身を少し起こすようにして何か物思いにふけっていたが、何を思ったのかトンタは急に右手をあごから外すと、握りこぶしをつくり、頭上に大きく振りかざすと、何度も何度もベッドの端を強くたたいた。
「ドン、ドン、ドン、ドン」
「ドン、ドン、ドン、ドン」
ベッドをたたいた衝撃が床に伝わり、家全体が共鳴箱となり大きな音を発生していた。
たたいているうちに、トンタの目には涙が溜まり、溢れるばかりになっていた。
涙は、部屋の灯りが反射しダイヤモンドのように光り輝いていたが、突然「ポロッ」と転げ落ちるようにあふれ出ると、頬を伝わり落ちシーツの上で球状になり光っていたが、直ぐに吸収され始め、シーツを徐々に濡らしながらひろがっていった。
トンタは突然、気がおかしくなったかと思うほどの大きな声で叫んだ。
「あーっ」
「くやしい、くやしいなあー、もっと強くなりたいなあー」
トンタの大きな叫び声は蒸し暑い真夏の夜の空に響き渡った。
その時、
「ドン、ドン」
「ドン、ドン、ドン」
突然、トンタの部屋の壁が抜けるかと思うほど、大きな音をたて揺れ動いた。
「うるさいわねー、ちょっと静かにしてよ」
隣の部屋にいる、姉が勉強できないと、いらいらして壁を蹴飛ばし、かんだかい声で怒鳴った。
「ウー、ワン、ワン」
「ワン、ワン、ワン」
二階でのただならぬ騒ぎを聞き、庭で飼っている犬のシベリアン・ハスキーのゴンと柴犬のランは何事が起きたのかと驚いて吠えた。
すると一階の居間で静かに寝ていた臆病な犬のポメラニアンのジョイが跳び起きると居間の中を駆け回り吠え出した。
「キャン、キャン、キャン」
更に、一階の居間の窓辺に置いてあるケージハンガーに掛けた鳥かごの中の白文長のピイコは居間の中を駆け回り吠えるジョイに驚き、鳥かごの中で飛び回り、羽をまき散らし鳴きだした。
「ピッ、ピッ、ピッ」
ケージハンガーの脇に置いてあるダンボール箱の中では鈍感のハムスターのチョロ
も、この騒ぎにはさすがに驚いて叫んでいた。
「キイ、キイ、キイ」
トンタの家は、四十年程前に建てた古い家なので、一階の両親の寝室では二階でベッドをたたく音、叫び声、壁を蹴る音などに加え、犬の吠える声などが筒抜けに入ってきて、とても寝ていられる状態ではなかった。
「まったく、うるさくて眠れやしないよ」
つぶやきながらトンタの母は目をこすり、大きなあくびをするとベッドから上半身を起こした。
隣のベッドで寝ていた父も目をさましていた。
母はいらいらした顔で、太った身体を回転させベッドから出ると、無造作にスリッパを履き早足に寝室から出て行き、階段のところまで来ると立ち止まった。
そして二階をにらみつけると、右足のスリッパを脱ぎ、そのスリッパを右手でつかみ上げると大きく振りかざした。
次の瞬間、二階に向かってスリッパを投げつけた。階段の一直線上にあるトンタの部屋のドアにうまい具合に当たり「ドーン」と大きな音がした。
音がしたのを確かめると大声で怒鳴った。
「まったく、うるさいわねー」
「夜遅く、なに騒いでいるのよ、眠れやしないよ」
母の投げつけたスリッパの当たり音と怒鳴り声に、飼っている犬たちが驚き、さらに気が狂ったように吠え出した。
この騒々しさに、隣近所の飼い犬も次々に吠え始めた。
「アウー、アウー」
「ワン、ワン、ワン」
「キャン、キャン、キャン」
辺りが犬の吠える声で騒々しくなっていくと、灯りを消し眠りについていた住宅街に、ぽっり、ぽっりと灯りがつき始め、何軒かの家では窓を開けて何事が起きたのかと、あたりを見渡していた。
この騒々しい夜の原因を作った、トンタとその家族を紹介しよう。
トンタはニックネームであり、本当の氏名は強井俊太、十三歳の中学校一年生の男の子で、黒髪でメガネを掛けており、笑うとえくぼができる笑顔の可愛い気持ちの優しい子供であった。
家族は、父、母、長女、次女の五人家族で、トンタは末っ子であった。
トンタは、名前の強井俊太からは想像すると、いかにも強そうで、機敏でかけ足が速そうに見えるが、身長は百六十センチメートル、体重七十キログラムと太っていたためか、動作はのろく、かけ足も速くはなく、喧嘩は負けてばかりいた。しかし、トンタは質実剛健で武士のような爺ちゃんに可愛がられ、小さい頃から厳しく育てられたため、とても賢くて、正義感を持った、意思の強い子であった。
トンタというニックネームは強井俊太の氏名からまったく想像できなかった。 なぜ、このようなニックネームがつけられたのか、ついでにお話ししておこう。
ニックネームがつけられたのは中学校に入学して一ヶ月が過ぎたころであった。 ホームルームが始まる前、クラスの仲間四、五人が教室の片隅で話しており、突然その中の一人が立ち上がると大声で叫んだ。
「ねえ、みんな、俊太は動作がのろくて、太っていて豚に似ているから、ニックネームは(のろまのトンタ)にしようよ」
その提案に、クラスの皆が同意したのであった。
それからは、(のろまのトンタ)と呼ばれるようになった。
ところが、いつのまにか、のろまがぬけてトンタと呼ばれるようになっていた。
しかし、このようなニックネームを付けられ、からかわれる程度の小さいことを気にするようなトンタではなかった。 人一倍正義感が強く、小さい頃から、弱い者を助けてあげられる立派な男になるのだと、大きな夢を持っていた。
その夢は、爺ちゃんが事あるごとに、トンタの手をしっかりと握り、言って聞かせていたのだった。
「俊太、立派な男になれよのー、立派な男は弱い者いじめをしてはならぬのじゃ、弱い者の見方になり、助けてあげられるような立派な男になるのじゃぞ」
その、大好きな爺ちゃんは二年前に天国へ行ってしまったが、今でも爺ちゃんの教えを守り、立派な男になる夢を実現しようと、トンタは一生懸命に頑張っていたが、思うようにはいかなかった。
実は、今夜、悔しくてベッドをたたきながら「強くなりたい」と叫んでいたのは、弱い者いじめされている友達を助けることができなかったからであった。
それは、今日、学校の帰り道でのことだった。
クラスで一番格好が良く、喧嘩も強く、女の子に人気のある友達が、先輩である二年生の五人組みのヤンキーに、いちゃもんをつけられ、倒され、二人に馬乗りにされて、いじめられていた。
その回りには幸福中学校の下校途中の生徒で人垣ができていたが、ただ見ているだけで誰一人として止めに入ったり、助けに入る者はいなかった。
その時、ちょうど通りかかったトンタは正義感にもえた。人垣をくぐり抜けて二年生の前に踊り出ると叫んだ。
「おい、弱い者いじめはやめろ・・・」
「二年生五人でいじめるなんてひきょうだぞ」
誰が見てもトンタが負けることは初めからわかっていたが、トンタは少しもためらわずに立ち向かった。
「なんだ、このデブ、格好つけやがって、弱いくせに生意気なこと言うな」
背の大きい先輩が笑いながらトンタに近づくと指二本で額を突き押した。
トンタは先輩の目をじっとにらみつけながら更に叫んだ。
「友達を離せ、かわいそうじゃないか」
「うるせいチビデブだ、こいつも一緒にやってしまおうぜ」
トンタは背の大きい先輩に蹴飛ばされると、倒れて道路の端までころがり、塀に当たり止った。衝撃でメガネは飛び去り、見えない目でメガネをさがしてしていると、トンタの頭に足をのせ踏みにじった。鼻が路面に強く当ったのか鼻血が出ていた。手の甲で鼻を何度もこすったので、手も顔も真っ赤に染まっていた。
トンタは身体をまるめ痛さを堪えていたが、突然、声をだして泣いてしまった。
「ウーッ、ウーッ、ちくしょう」
「なんだ、このデブすぐに泣きやがって、格好いいところ見せたって、たいしたことねえじゃないか」
二年生五人はトンタと友達の尻を蹴飛ばすと、笑いながら去って行った。
いじめられた友達は、回りの人垣の目がトンタにいっていることを良いことに、素早く立ち上がると人垣を抜けどこかに行ってしまった。
トンタはまだ身体を丸めて泣いていた。
回りの人垣からトンタに対して笑いとヤジが入った。
「アッハッハ、アッハッハ」
「弱虫トンタ、泣き虫トンタ」
いじめられている友達に対して助けることも、止めることもできず、ただ見ていただけの人垣は、助けに入ったトンタを散々にけなした。
弱虫、泣き虫と言われトンタは悔しかった。
トンタが泣いたのは蹴飛ばされ痛くて泣いたのではなく、友達を助けることができない弱い自分に対して、悔しくて泣いたのであった。
トンタは蹴られた尻をさすりながら立ちあがると、人垣をかき分け駆け出した。
服は土埃で汚れ、顔や手は鼻血が乾きこびりついていた。
よく見ると左側の頬、肘、膝が擦りむけ、血がにじんでいた。
近くの公園の手洗い場に行くと、水道水で顔、手足を洗い、服についた土埃を落としているうちに悔しさがこみ上げてきて大声で叫んでいた。
「ちくしょう、みていろ、僕は強くなるぞー・・」
しかし、どうしたら強くなれるのかトンタには分からず、腕を組み、考えながら公園を出て家に向かって歩いていたが、何を思ったのか、急に本屋に向かって駆け出した。
本屋に着くと、通路の一番奥に行き一冊の本を棚から取り出すと、その場に座り込み、真剣な目で読み始めた。
しばらくすると、本屋の店主の爺さんが「ブツ・ブツ」と何か言いながらトンタの方にゆっくりと歩いてきた。
トンタは横目で店主の爺さんを見ると、素早く本を棚にしまい、本屋を出た。
「あーあ、やっぱり駄目かなあー」 スーパーマンは地球の人間ではないよ。
あきらめかけ、グッタリとして大きなため息をついていた。
その時、爺ちゃんの声が聞こえた。
「俊太、簡単にあきらめるな、最後まであきらめてはならぬのじゃ、頑張れ」
急に、笑顔になると自分に自分で言い聞かせた。
「そうだよ!簡単にあきらめちゃ駄目だよ、地球の人間だってスーパーマンになれないはずが無いよ」
「よーし、絶対になってやる」
トンタは、うなずくと、暗くなった道をスーパーマンになったかのように、堂々と胸を張って家に帰って行った。
遅くなった食事を素早く済ませると、沁みる傷口をかばうように風呂に入った。 風呂から出ると、顔をしかめながら頬と肘と膝のすり傷を消毒し、化膿止めの軟膏を塗り、ガーゼで傷口を保護し終わると、急に疲れが出てきた。
トンタは疲れた身体を引きずるように二階の自分の部屋に入ると、ベッドに仰向けになり、大の字に寝転んだ。
時刻は十一時になっていた。
トンタはいじめられていた、友達を助けられなかったことを思い出した。 そして、今夜のあの騒々しい騒ぎへと発展して行ったのです。
・・・・・
さすがに夜の十二時になると、あの騒々しい騒ぎも収まり静かな夜となって行った。 トンタはまだ、あきらめずにスーパーマンになれる方法をベッドに大の字になり、天井を見つめ考えていたが、いつの間にか深い眠りの世界に引きずり込まれていった。
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